オニテンの読書会

文化・民俗や、オススメ本の紹介、思ったことも書きます。

同性愛への嫌悪、そしてそれは如何に表現されるのか。『同性愛嫌悪を知る辞典』ーオススメの本の紹介ですー

 世界には様々な憎悪、嫌悪が渦巻いています。外国人に対する嫌悪(xenophobia、ゼノフォビア)、女性に対する嫌悪(misogyny、ミソジニー)、そして、同性愛に対する嫌悪(homophobia、ホモフォビア)など、問題が顕在化されるにともない、「人の嫌悪感」についての研究が盛んになってきました。

 今回の記事では、同性愛者に対する嫌悪、そしてそれが如何に表現されるのかについて詳細にまとめられた『同性愛嫌悪を知る辞典』をご紹介したいと思います。

〈同性愛嫌悪(ホモフォビア)〉を知る事典

〈同性愛嫌悪(ホモフォビア)〉を知る事典

 

  この本は、現在約19,000円となっています。非常に高価な本ですが、市町村の図書館や、大学図書館には所蔵されていると思いますので、ぜひ、図書館に足を運んで読んでいただきたいと思います。非常に興味深く、かつ、人間の嫌悪という感情についても考えさせられる本となっています。

【目次】

 

 

 

・この辞典の視座

 現在では、人々が同性愛に対して寛容になり、同性愛者が自由に生きていけるようになったという見解が広く流布されています。しかし、アメリカではトランプ政権発足を発端に同性愛者に対するヘイトクライムが急増、日本においても一橋大学で同性愛者であることをアウティングされ、自殺に至る事件が起こっており、まだまだLGBTに対する理解が進んでいるとは言えない状況にあります。

 この『同性愛嫌悪を知る辞典』では、同性愛嫌悪を、身体的、精神的、象徴的暴力の総体であると定義します。同性愛嫌悪は、人類が抱える深刻で複雑な問題であり、深く考察するべきであると提言します。そして、その嫌悪と戦うためには、真の原因をつきとめ、その嫌悪が如何に日常的に表現されているかを分析する必要があるとするのです。

 

・いかに同性愛嫌悪は日常に紛れ込んでいるのか?ー嫌悪を知ることからー

 テレビなどにみられる《表現》に対して、「これは嫌悪、差別ではないか?」と声をあげると、決まって「それは言いがかりではないか!」という意見があります(とんねるずの保毛尾田問題、ダウンタウンの黒塗り問題など)。その炎上の背後には、笑いへと昇華することを目的としているものであっても、人々の嫌悪を惹起する危険性がないと言い切れない現状があるのではないでしょうか。わたし自身、お笑いが大好きですし、どこからどこまでが許容されるのか、また、避けるべきなのかは、非常に難しいと感じています。しかし、こうした状況だからこそ、ただ避けるのではなく、いかに人間の差別心や嫌悪が表現されているのかを知り、マイノリティへの理解を深める必要があるのではないでしょうか。

 この辞典には、そうしたテレビなどにみられる表現が文章だけでなく、写真やイラストによって詳細に解説されています。

 

・項目「広告」(230-234頁)をみてみましょう!

 この辞典で、とても興味深かった項目「広告」を、みてみましょう。

 まず、広告は、経済的対象であり、できるだけ多くの消費者を引きつけることが目的となっていることから、異性愛主義的なイデオロギーを表出する特性を持ちます。

 そして、ヨーロッパ社会においては、広告における嫌悪の表出は三つの時期に分けることができるとしています。

 まず、❶広告の開始から1950年代まで、❷1960年代から1990年代まで、そして❸1994年から現在まで、の三時代区分です。とりわけ興味深いのは、❷の時期での、同性愛者の描かれ方です。

 ❶1950年代までは、同性愛は否定され、タブーとして隠されていたとします。

 ❷1960〜1990年代までの期間には、同性愛はカリカチュアされる事になります。

 ❸1994年から現在まで、同性愛は物象化されているといいます。

❶の時期には、広告は、同性愛を暗に意味するようにキャッチコピーやイラスト用いて、人々の関心を引こうとするのです。

❷の時期は、より直接的に同性愛者が描かれる事になりますが、同性愛者は、決まって風刺や滑稽な役割を担うことになります。同性愛者は、「奇形」として描写され、人々はそれを面白がると同時に、驚嘆することになります。同性愛者は、滑稽で感じのいい道化を演じるか、だまし絵および間違いといったパターンの物語的図式の中に現れます。そして、同性愛者は異常、病的なものの領域に追いやられていくのです。そこで独創性を追い求める広告業者は、同性愛者の「異常性」に対する言説を利用しようと画策するのです。

❸の時期には、同性愛者自身も消費者として考えられるとともに、同性愛のイメージをより性的に表現する「セクシュアリティの過剰」の状態であるといいます。とりわけ、レズビアンは、異性愛主義的観点から過度に官能的に描かれる事になるのです。

 

 こうした、広告の傾向は、西欧の広告から例証されていますが、日本にも共通するものがあるのではないでしょうか。

 

また、この辞典には、日本についての考察も巻末に載っており、とても興味深いものとなっています。台湾やオーストラリアでも同性婚が認められるようになり、日本でも議論が活発になってきています。こうした時勢の中で、同性愛に向けられた/向けられる嫌悪について、この辞典を通して学んでみてはいかがでしょうか?

 

〈同性愛嫌悪(ホモフォビア)〉を知る事典

〈同性愛嫌悪(ホモフォビア)〉を知る事典

 

 

 

 

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台湾の『君が代』ー『君が代』を歌う祖母ー

 こんにちは。台湾出身、日本在住のキャロルです。今回は、台湾における「君が代」のお話をしたいと思います。 

【目次】

 

祖母が「君が代」を歌えるか、聞いてきた

 最近、台湾にいる祖母から「日本の国歌歌えますか?私は小さい時勉強したことはあるんだけど、今すっかり忘れてしまったよ。もう一度聞きたいね。」と、言われました。

 台湾出身の祖母は小学生の頃、日本の植民地時代の教育を受けたことがありますので、たまにその時の話を私に話してくれます。

 ところが、祖母の「君が代を歌ってほしい」との、お願いに応えられることができませんでした。日本に留学しても、野球などの国際試合を鑑賞する習慣はあまりなかったので、ちゃんと日本の国歌を聞く機会がなく、「君が代」について私は曖昧な記憶しかなかったからです。

  歌詞を見てみても、

君が代は

千代に八千代に

さざれ石の

いわおとなりて

こけのむすまで

…なんとなく意味がわかるような、わからないなっていうのが最初の印象でした。

 

 これを機に、辻田真佐憲の著作『ふしぎな君が代』を読み始めました。

 

ふしぎな君が代 (幻冬舎新書)

ふしぎな君が代 (幻冬舎新書)

 

 

皆様は多分「国歌」を聞いたり歌ったりする経験がありますが、国歌はどのように国を代表する歌になるのかにつきまして、知っている人は比較的少ないでしょう。『ふしぎな君が代』は「なぜこの歌詞」、「誰が作曲」、「いつ国歌になった」、「いかに普及した」、「どのように戦争を生き延びたのか」、「なぜいまだに論争的になるのか」などの問題から発し、詳しく、かつ分かりやすい文章で「君が代」の巡る歴史を解説しました読み応えのある著作です。 

 

「君が代」形成を知る

 「君が代」が国歌になる経緯は、意外とその場しのぎのものだったようです。

 1869年英国王子アルフレッドの訪日に伴い、外交の礼儀として国歌の演奏が必要となりました。英国の国歌「God Save the Queen」に対して、それまで国歌の概念ですらなかった明治新政府は、悩んだ挙句、古歌「君が代」に目をつけます。

「君が代」は江戸時代、将軍家の元旦の儀式で使用された歌でしたが、「君」を天皇の意味でとれば、天皇の万歳を寿ぐための歌にもなるため、国歌の歌詞として提案しました。歌詞の案が受け入れた後、琵琶歌「蓬莱山」の一節を用いて、洋楽の形式で譜面を起こし、君が代の「原型」を作り出しました。

 急いで作った歌なので、歌詞とメロディーが合わない問題が後に指摘されます。この問題に対応し、宮中の雅楽の伶人に願い、新たな旋律を作りました。その後、ドイツの海軍楽教師によってアレンジを加え、現行の「君が代」が完成しました(本当に大雑把ですみません、興味のある方はぜひ『ふしぎな君が代』を読んでください!)。

ふしぎな君が代 (幻冬舎新書)

ふしぎな君が代 (幻冬舎新書)

 

 

 ちなみに、外交の場として使用された以前、古歌「君が代」もまた様々な文学作品や謡曲に登場したことがありまして、統治者の治世が長く続ける歌以外、健康長寿を願う歌、めでたい歌として捉えられました。 

 現行する「君が代」が作り出した後、別の曲や歌に変更する模索はありましたが、1893年「祝日大祭日歌詞竝楽譜」の公布によって、君が代が実質上の国歌になり、小学校でも歌えるようになりました。

 

 

台湾の「君が代少年」ー植民地支配と『国歌』ー

 第二次世界大戦の幕開けと共に、「君が代」を歌うことも、愛国の象徴として捉えられるようになりました。

 一例として、1942年に改定された『初等科国語三』の教科書に登場したた「君が代少年」の話です。

 少々長く、古い表現もありますが、全文をここで掲載します。

 

君が代少年(出典

  昭和十年四月二十一日の朝、台湾で大きな地震がありました。

  公学校の三年生であった德坤という少年は、けさも目がさめると、顔を洗ってから、うやうやしく神だなに向って、拝礼をしました。神だなには、皇大神宮の大麻がおまつりしてあるのです。それから、まもなく朝の御飯になるので、少年は、その時外へ出てゐた父を呼びに行きました。

  家を出て少し行った時、「ゴー。」と恐しい音がして、地面も、まはりの家も、ぐらぐらと動きました。「地震だ。」と、少年は思ひました。そのとたん、少年のからだの上へ、そばの建物の土角がくづれて来ました。土角といふのは、粘土を固めて作った煉瓦のやうなものです。

  父や、近所の人たちがかけつけた時、少年は、頭と足に大けがをして、道ばたに倒れてゐました。それでも父の姿を見ると、少年は、自分の苦しいことは一口もいはないで、「おかあさんは、大丈夫でせうね。」といひました。

  少年の傷は思ったよりも重く、その日の午後、かりに作られた治療所で手術を受けました。このつらい手当の最中にも、少年は、決して台湾語を口に出しませんでした。日本人は国語を使ふものだと、学校で教へられてから、徳坤は、どんなに不自由でも、国語を使ひ通して来たのです。徳坤は、しきりに学校のことをいひました。先生の名を呼びました。また、友だちの名を呼びました。

  ちゃうどそのころ、学校には、何百人といふけが人が運ばれて、先生たちは、目がまはるほどいそがしかったのですが、徳坤が重いけがをしたと聞かれて、代りあって見まひに来られました。「先生、ぼく、早くなほって、学校へ行きたいのです。」と、徳坤はいひました。「さうだ。早く元気になって、学校へ出るのですよ。」と、先生もはげますやうにいはれましたが、しかし、この重い傷ではどうなるであらうかと、先生は、徳坤がかはいさうでたまりませんでした。徳坤は、涙を流して喜びました。

  少年は、あくる日の昼ごろ、父と母と、受持の先生にまもられて、遠くの町にある医院へ送られて行きました。その夜、つかれて、うとうとしてゐた徳坤が、夜明近くなって、ばっちりと目をあけました。さうして、そばにゐた父に、「おとうさん、先生はいらっしやらないの。もう一度、先生におあひしたいなあ。」といひました。これっきり、自分は、遠いところへ行くのだと感じたのかも知れません。

  少年は、あくる日の昼ごろ、父と母と、受持の先生にまもられて、遠くの町にある医院へ送られて行きました。その夜、つかれて、うとうとしてゐた徳坤が、夜明近くなって、ばっちりと目をあけました。さうして、そばにゐた父に、「おとうさん、先生はいらっしやらないの。もう一度、先生におあひしたいなあ。」といひました。これっきり、自分は、遠いところへ行くのだと感じたのかも知れません。

  それからしばらくして、少年はいひました。「おとうさん、ぼく、君が代を歌ひます。」少年は、ちょっと目をつぶって、何か考へてゐるやうでしたが、やがて息を深く吸って、静かに歌ひだしました。「きみがよは,ちよに,やちよに」

  徳坤が心をこめて歌ふ声は、同じ病室にゐる人たちの心に、しみこむやうに聞えました。「さざれ,いしの」小さいながら、はっきりと歌はつづいて行きます。あちこちに、すすり泣きの声が起りました。

  「いはほとなりて,こけの,むすまで」終りに近くなると、声はだんだん細くなりました。でも、最後まで、りつばに歌ひ通しました。君が代を歌ひ終った徳坤は、その朝、父と、母と、人々の涙にみまもられながら、やすらかに長い眠りにつきました。

 

 明らかに皇民化政策の宣伝ですが、最後のシーンは丁寧な筆致で描かれています。上手な表現だなと思いました。これを用いた授業を、日本をはじめ、台湾、韓国、中国、シンガポール、マレーシアなど、日本の植民地支配の下の小学生が、勉強したのです。内容も、若干真実性を疑われそうな記述はありましたが、德坤少年は「詹德坤」という実在した男の子で、台湾の北西部の苗栗に住んでいまして、1935年の大震災で亡くなったことも事実でした。

 陳其澎の論考によると、1935年4月21日、震度7.1の地震によって、台湾の中部地域は3千人以上がなくなり、詹德坤もその一人でした。震災後の三日目、詹德坤は重傷して、意識不明な状態で入院した。校長が生徒たちの見舞いに来る際に、詹德坤がいきなり「君が代」を歌い出し、歌い終わらないで亡くなったという事件が発端でした。

 1936年4月23日、詹德坤少年の一周忌に、社会からの寄付によって德坤少年の等身大銅像が建立され、開幕式を行いました。その後、その小学校の生徒たちは、登校と下校の際では銅像に敬礼することが要求されました。また、命日の際には日本の僧侶を銅像の前に招いき、校長、行政、詹德坤の家族、学校の教師や生徒たちは、みんな儀礼を参加するといいます。

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 亡くなった7年後、詹德坤は愛国の模範的な「君が代少年」として日本の教科書に登場し、海を渡って知られるようになりました。

 この銅像の後日談ですが、苗栗の大学が主催したイベントで、その後の德坤少年像の行方について以下ことがわかりました。

・政治関係で、日本敗戦以降銅像は撤去されました。

・銅像は詹德坤の母と姉によって実家に持ち帰られ、重くて不便で、通行人に怖がられるため、その銅像を売ってしまいました。得たお金を使ってポンプを買い、「まるでお兄さんが家族のために水を運んでくれたような」と、詹德坤の弟が言ったそうです。

 

「君が代」を歌う祖母 

最後に、再び私の祖母の話ですが、

日本の国歌が聞きたい祖母のために、その後私は「君が代」でyoutubeで検索をかけました。歌を聞いた途端、祖母は歌詞に沿って「君が代」を歌い出しました。

「君が代」は彼女にとって、国の歌や日本を代表する歌というよりも、むしろ幼いころを思い出す一つの鍵なのでしょう。

 

 

 

 

参考文献

陳其澎. “框架” 台湾: 日治時期殖民現代性的研究 台灣文化研究学会論文集, 2003. 

三輪昭子、「現代台湾から考えた日本」、『地域社会デザイン研究』2016

2011年12月4日、「国歌少年」

 

ふしぎな君が代 (幻冬舎新書)

ふしぎな君が代 (幻冬舎新書)

 

 

運営者追記

辻田真佐憲さんの本は、運営者のタカギスグルも大好きです。彼の著作は、面白く、かつ恐いと感じさせる力があります。歴史を知ることで、今を知ることができる。その媒介になってくれるような、力のある研究家だと思います。ぜひ読んでいただきたい、と思っています。

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(自宅書斎にて、辻田氏著作を並べてみました。)

 

大本営発表 改竄・隠蔽・捏造の太平洋戦争 (幻冬舎新書)

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たのしいプロパガンダ (イースト新書Q)

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何も起きない探偵の物語。ポール・オースター『幽霊たち』

【108円本屋大賞】

某大手古書店チェーンに存在する100円均一棚。それは、売れ残り、値段が下げられ続けた本たちが、最後に行き着く、最果ての地である。しかし、そんな棚にも、傑作、名作が眠っている。そんな本を救い出し、読み、人に勧めたら、、、

と思った、わたしが始めるシリーズです。

 

今回、ご紹介する本は、ポール・オースター『幽霊たち』です!!

幽霊たち (新潮文庫)

幽霊たち (新潮文庫)

 

 あらすじ

私立探偵のブルーは奇妙な依頼を受けた。あきらかに変装したとわかる格好のホワイトから、ブラックを見張るように、という依頼だった。ブラックの住む部屋の真向かいの部屋から、ブルーは見張りを続ける。だが、ブラックの日常に何の変化もない。ブルーは、ただ毎日何かを書き、読んでいるだけなのだ。ブルーは空想の世界に彷徨う。ブラックの正体やホワイトの目的を推理していくが、実態はつかめない。次第に、ブルーは焦燥と不安に支配されていく。

  

 この物語は、探偵のブルーが主人公なのですが、ほぼ最後まで何も起きません。何も事件が起きていないのに、読み進める手を止めることができない、そんな小説になっています。事件は、起きないけれど、小さな感情の起伏、追い詰められていく主人公を丁寧に描く文学作品となっています。

 

それでは、わたしのオススメポイントです!!

①何も起こらないことからくる、実存的不安、そして「書くということ」

 この小説では、ブラックと、彼を見張るブルーの間には、まったくといっていいほど何も起きません。しかし、その何も起きない日常の中で、「自分とは何か?」、「自分はどうしたら良いのか?」という問いに、ブルーは苛まれ続けるのです。彼は、何もしない男を見続けることにより、自分の存在意義への疑問を抱くことになります。

 また、この小説では、書くということも、重要な要素となっています。書くことは、もちろん読む人がいることが前提ではありますが、孤独な作業です。孤独な作業であるからこそ、自分を見つめることになります。

 

 

②他者とは、何かを考える。

 ブルーは次第に、ブラックに対して、時に親近感をおぼえ、一体となった感覚に陥り、時には暗澹たる孤独感に襲われます。彼は、ブラックによって支配された、(もしくは見放された)感覚と戦うことになります。

 ここで、着目したいのが、他者とは何だろうということです。他者は、自分を表す鏡でもあります。また、自分が、こうありたいと思った時に、他者によって自分を形作ることもあるのではないでしょうか?

 この物語は、鏡となった二人の他者の物語です。

 

 

③幻想的な世界観に身を浸して

 この本では、登場人物のほとんどがブルーやブラックといったように、名前が色で表されています。そして、ニューヨークを舞台に、詳細な街並みの描写と、色彩をもつ名前のコントラストにより、幻想的な世界観が生み出されています。あたかも、街並みや情景が、色を失ったように感ぜられるのです。

 とくに、ブルーが見張る男の名はブラックです。彼を見続けることにより、ブルーは憔悴していきます。それは、あたかも、漆黒の暗闇に、色彩が奪われていくような感覚なのです。

 

 

④翻訳がカッコいい!!

 著者のポール・オースターは、1980年代のアメリカ文学を代表する作家ですので、文章が美しいのはもちろんですが、この本の翻訳もまた素晴らしいのです。

 冒頭の文章を見てみましょう。

まずはじめにブルーがいる。次にホワイトがいて、それからブラックがいて、そもそものはじまりの前にはブラウンがいる。ブラウンがブルーに仕事を教え、こつを伝授し、ブラウンが年老いたとき、ブルーがあとを継いだのだ。物語はそのようにしてはじまる。舞台はニューヨーク、時代は現代、この二点は最後まで変われない。ブルーは毎日事務所へ行き、デスクの前に坐って、何かが起きるのを待つ。長いあいだ何も起こらない。やがてホワイトという名の男がドアを開けて入ってくる。物語はそのようにしてはじまる。(5ページ)

 どうでしょうか?カッコよくないですか?わたしは、この冒頭を読んで、これは名作だと思い買いました。そして名作でした。

 

 

 このようにカッコいい文章が続きます。

    秋の夜長にぜひこの本を手に取ってみてください。

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(読んだ証として、写真を載せておきますw)

 

 

【108円本屋大賞】シリーズです!! 100円で読める名作たち、お近くの本屋さんでチェックしてはいかがでしょうかw

www.oniten-yomu-book.com

 

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盲目の少女が、《見た》残酷な真実とは? ジッド『田園交響楽』

【108円本屋大賞】

某大手古書店チェーンに存在する100円均一棚。それは、売れ残り、値段が下げられ続けた本たちが、最後に行き着く、最果ての地である。しかし、そんな棚にも、傑作、名作が眠っている。そんな本を救い出し、読み、人に勧めたら、、、

と思った、わたしが始めるシリーズです。

 

 今回ご紹介する本は、ノーベル文学賞受賞者である、フランス人作家、ジッドの『田園交響楽』です! 

田園交響楽 (新潮文庫)

田園交響楽 (新潮文庫)

 

 あらすじ

 

身寄りなく、まったく無知で動物的だった盲目の少女ジェルトリュードは、牧師に拾われ、その教育の下でしだいに美しく知性的になっていった。しかし待ち望んでいた開眼手術の後、彼女は川に身を投げて死んでしまう。開かれた彼女の眼には何をみたのだろうか。牧師と盲目の少女、牧師の妻と息子との四人の愛情の紛糾、緊張を通して、「盲人もし盲人を導かば」の悲劇的命題を提示する。 

田園交響楽 (新潮文庫)

 

 この小説は、ジッド(1869~1951)は、フランスの作家で、1947年にノーベル賞を受賞しています。彼は、厳格なプロテスタントの家庭に生まれたのですが、そうしたキリスト教的背景が、この小説を支えるものととなっています。

 それでは、わたしのオススメポイントです!!

 

①慈悲か、悦楽か? 盲目の少女への献身

 この小説は、主人公の牧師の視点で描かれます。牧師である彼が、残した手帳の日記が、物語となっているという、一人称視点の小説です。牧師である彼は、聾唖であった老婆に育てられた、盲目の少女ジェルトリュードと出会うことから、この物語は始まります。彼女は、話すことはおろか、反応することもありません。しかし、牧師の教育により、しだいに言葉を覚え、聡明な女性へと成長します。

 牧師の主人公は、彼女の保護を、神から与えられた運命と考えます。慈悲の心から、と彼は言うのですが、だんだんと美しい少女であるジェルトリュードの魅力に引き寄せられてしまいます。

 それは、「醜いもの」、「汚いもの」を見ていない、知りもしない、彼女を、神聖視するかのようです。

 彼は、慈悲と言いながらも、純真で、保護を必要とする少女への、《教育》をやめることができないのです。それは、すでに慈悲の枠を超えたものでした。

 

②不思議な四角関係

 この彼の活動を、こころよく思わない人々も、います。彼の妻です。彼の、過度な献身を咎めるのですが、牧師の彼は、意に介さず、妻を歪んだ、醜いものと感じてしまうのです。また、彼の息子は、美しいジェルトリュードに思いを寄せます。息子の恋慕を感じ取った主人公は、息子を遠ざけようとするのです。

 彼は、息子や妻といった家族と、ジェルトリュードとの間に立ち、思い悩むのですが、それでもやはり、彼女への愛情を止めることはできません。

 この家族を巻き込んだ、父親の献身は、不思議な恋愛関係となって、物語を彩ります。

 

③開眼手術、そして、自死へ

 美し育ったジェルトリュードに、開眼手術のチャンスがやってきます。彼女は、手術によって、世界を初めて見ることになるのです。しかし、手術により、物語は、破滅的な最後を迎えます。

 彼女が、見たものは、なんだったのでしょうか?

 ぜひ、この作品を読んで、確認してみてください!!

 

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 (一応、読んだ証として、本の写真をあげておきます。)

 

 108円本屋大賞では、以下の本も紹介いたしました。

www.oniten-yomu-book.com

 

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本を読まないとは、どういう状態か?  レイ・ブラッドペリ『華氏451度』、ショーペンハウアー『読書について』などから考える。

 若者の活字離れが叫ばれて、久しく、大学生が本を読まなくなったと聞いても、別段驚くことではないと思ってしまいます。

 今回の記事では、「本を読まない」という状態を考えてみたいと思います。

 【目次】

 

 

 

それでは、まず本が禁止された世界を描いた『華氏451度』の世界を覗いみましょう!

本を読むことを禁止された世界では、テレビ画面が大きくなる。

 まず、「本を読まない」どころか、「本を読むことを禁じられた」世界について考えてみたいと思います。

 かの有名なレイ・ブラッドペリ『華氏451度』は、本が禁制品とされた近未来を描いた作品です。1953年に発表された作品ですが、現代を見通していたかのような筆致です。

華氏451度〔新訳版〕 (ハヤカワ文庫SF)

華氏451度〔新訳版〕 (ハヤカワ文庫SF)

 

 

 ちなみにですが、この華氏451度とは、紙が燃え始める温度です。主人公は、本を燃やす昇火器をもち、隠された書物を燃やす昇火士(fireman)の男です。この世界では、本の所有は禁じられ、見つかれば即焼却されてしまうのです。

 主人公には妻がいるのですが、彼女の様子は非常に奇異で、しかも、なんだか現代に通じるようなものがあるのです。彼女は、テレビの壁に囲まれた部屋にこもり、流れてくる映像に合わせセリフを言ったり、挨拶をかわしています。しかし、その映像は、ただ一方的に流れているだけです。彼女の耳は「巻貝」といわれるイヤホンのようなものを取り付けており、四六時中ラジオ放送が聞き続けているのです。

 人々は、壁のようなテレビを前に、耳に取り付けれたイヤホンから流れる放送に身をまかせているのでした。

 

本はいかにして、禁止されるのか。 それは、「読んだつもり」から始まる。

 作者の卓越した慧眼をあらわしたものの一つに、本がいかに禁止されたかについての過程が、フィクションながら的確に、そして現実のものとして考えられるレベルで説明されているのです。

 本が禁止されるまでの概略ですが、

  • ラジオやテレビが人々の心を掴む。
  • 本や映画などの作品の中身を単純化。
  • 作品を圧縮するようになる。本は要約され、最後には「紹介」のみに。
  • 同時に、スポーツを普及させることで、人々に考える時間を奪う。
  • 平和の名のもとに、《差別》を表現するような作品を消し去る。

 このような世界では、学校は、スポーツ選手、資本家、製造業を世に送り出すことに熱心になり、賢者の育成を怠り、「インテリ」は人を罵る言葉となるのです。 

 現在においても、ドナルド・トランプなどの所謂「ポピュリスト」と呼ばれる指導者たちは、学者や研究者を目の敵にして「本ばっかり読んでいるインテリたち」と罵る傾向にあります。彼らの思想の背景には「反エリート主義」がありますが、それは彼らが非エリートであることとは無関係で、大衆にそういえばウケるという確信からなされる言動になります。

 本の価値の低下、反エリート主義、そして、問題を生み出すことを怖れ、本を消しさろうとする潔癖主義が、蔓延する時、本は焼かれることになるのです。

 

 レイ・ブラッドペリの描いた世界では、いかに人々に「考えさせない」ようにするかが、本を焼却する理由や、壁一面のテレビや延々と放送されるラジオに身をゆだねる生活様式の一つとなっているのです。 

 それは、本そのものがもつ、読む人に「考えさせる」という力を危惧したからなのでしょう。

 

思索する読書へ。 

 現在では、本を読むことよりも、youtubeを視聴することの方が好まれるのは疑いようがありません。理由は、面白さや、わかりやすさ、なのではないでしょうか。特に、情報をとる、という目的では、本よりインターネットの方が優れている場合も多くあります。

 読書にしても、最近では話題になった本だけを読むという人も多くいるのではないでしょうか。例えば、又吉直樹さんの『火花』は、300万部を超える大ヒットとなりました。この作品のすごいところは、普段本を読まない人に、本を買わせたことだと思います。

 しかし、わたしが、疑問に思うのは、話題になっている本を読む時の目的が、本を楽しもうとするものではなく、話題についていくため内容を知ろうとして読んだ人も多くいるのではないだろうか、というものです。

 それは、すでに本を情報をとるための、とみなしているに過ぎないのではないか、と思ってしまうのです。

 では、本を読むという行為において、もっとも大切なことは何でしょうか。

 ショーペンハウアーは、『読書について』で、読書の作法には二つの型があると指摘してます。それは思索型、読書型です。 

読書について (光文社古典新訳文庫)

読書について (光文社古典新訳文庫)

 

 

 読書型とは、そのまま、ただ人の考えたもの(本)を自分に埋め込もうとする人であり、思索型とは、本を読むことで自分自身の頭で考える人となります。

 そして、ショーペンハウアーは、

自分で考える人は、まず自説を立てて、あとから権威筋・文献で学ぶわけだが、それは自説を強化し補強するためにすぎない。

 と述べています。この思索型読書ができる人間が、思想家や天才と言われる人になるのです。

 同様のことを歴史家についても言うことができます。、著名な歴史家であるジャック・ル=ゴフが、中世歴史家ミシュレの研究業績について述べたものです。

歴史家としての仕事のはじめから、ミシュレにとって資料とは想像力の跳躍版、ヴィジョンの始動装置にほかならない。

 と、歴史資料という「事実」をあらわしたものであったとしても、それを読む歴史家により、新たな発想を生み出すことになるのです。

 これは、現代における新聞や、週刊誌の記事においても、それを鵜呑みにするのではなく、自分自身で考えること、そして、現実社会に対して、ヴィジョンを持つ必要があることと通じるものであると思うのです。

時代区分は本当に必要か? 〔連続性と不連続性を再考する〕

時代区分は本当に必要か? 〔連続性と不連続性を再考する〕

 

 

 この問題は、本を情報としてではなく、現実社会を生きるために、自分の頭で考える能力の育成する場やツールとして用いるという非常にレベルの高いものであると思います。

 それは、いかに読むのか、そして、いかにその本を評価するのか、という営みであるといえるでしょう。

 

未読と不読のコントラスト、そして既読の曖昧さ

 本を読むことにも、その巧拙がありますが、本を読んでいない状態ということにも、二つの状態があるのではないでしょうか。

 それは、ある本をまだ読んでいないという状態と、ある本を読まないという状態です。それは、「未読」と「不読」と表すことができるでしょう。

 本を読むという前向きな気持ちがある人であれば、本屋さんにあるほとんどの本は「未読」ということになりますが、すでに活字離れが問題になり大学生さえも本を読まない現代において「不読」を決めている人も多いのではないでしょうか。

 最近、あるお笑い芸人さんや有名な資本家の方がインターネットの放送で、「本なんて読んでる奴は、、、」とおっしゃっていました。彼らは、「不読」を選択したということなのだと思います。

 しかし、読んだものであっても、忘れてしまっていたり、読んでいなくても、内容を知っていたりする本があることも事実です。

 そうした読んだこと、読まないことの曖昧性を記した本が、あります。

読んでいない本について堂々と語る方法 (ちくま学芸文庫)

読んでいない本について堂々と語る方法 (ちくま学芸文庫)

 

 題名は、非常に変ですが、中身はいたって真面目です。この本では、読むことの曖昧性を詳細に述べています。

 著者であるピエールバイヤールは、ある本を読むことは、他の本を読まないこと、そして読んだとしても、内容を忘却していく、また、読んでいないにしても、内容を知っている状態があることを指摘し、読むという営みがいかに曖昧で、不確かなものなのかを述べているのです。 

 

本を読まないという《理想的な》状態は、いかなるものか?

 ここまで、本を読むということはどんなことなのかを見てきました。『華氏451度』においては、本は考えさせる力があるということから、危険視されることになります。一方で、ショーペンハウアーの『読書について』では、思索型読書ではない、他者の思想をそのまま借りることになる読書型読書は批判されています。この思索型読書を評価する傾向は、もちろん『読んでいない本について堂々と語る方法』でも継承されており、「考える」ということが最も重要視されていることがわかります。

 しかし、この考えると言う状態は、実は、本を読むという行為を続けながらでは、出来ません。思考するためには、自ら本を置き、自分で考える時間を持つことになるのです。ここに、理想的な読書の「読まない」という状況が生まれることになります。

 本を閉じ、自分の思考を巡らせる時間なのです。

  それは、本を読まない人々にも、巧拙はあったとしても可能なものであるとも言えます。しかし、本を読まずに、深い思索が出来る人々は少数であるのではないでしょうか。

 気づけば、テレビが大きくなり、いつでも見たい番組を見ることが出来るようになりました。ラジオ方法もradikoのおかげで、四六時中好きな番組を聴くことが出来ます。

 わたし自身、テレビが大好きで、毎日ラジオの深夜放送を聴いてしまうラジオリスナーなので、本を読む時間を確保できるようにしたいなと、戒めをこめて書きました。

 

 

 

 

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よみがえる伝承・都市伝説 常光徹『学校の怪談−口承文芸の研究〈1〉』 おすすめの本の紹介 & めざせ!妖怪検定!⑤

  今回の記事では、一冊の本の内容を紹介していきたいと思います。

〈目次〉

 

 「トイレの花子」や「口裂け女」のような、1980年代に一世風靡した都市伝説の背後には、急速的な社会変遷との関係性があります。しかし、これらの物語や設定などは全て「新しいもの」ではありませんでした。今回は常光徹の『学校の怪談:口承文芸研究Ⅰ』を紹介し、「物語の枠組み」から、現代風の話の中に潜む昔の伝承との類似性を見出していきたいと思います。

 

「学校の怪談」を研究する 

学校の怪談―口承文芸の研究〈1〉 (角川ソフィア文庫)

学校の怪談―口承文芸の研究〈1〉 (角川ソフィア文庫)

 

 

  この本の中に取り上げた怪談話は、ほぼ著者の常光先生が1980年代に書いたものです。「はじめに」と「あとかき」によると、当時、口承文芸などの物語を調査したいなら、山奥の集落で年寄りの長老に聞くのが普通のようでした。大学卒業後、著者は中学校の先生と勤めながら、夏休みや冬休みを利用して東北地方や北陸地方などに向かい、物語の収集に注力したそうです。ところが、お年寄りの話し手がますます探しにくくなり、この状況に対して、常光は「伝承の危機」に悩まされました。1985年、勤め先の学校の中学生達から話を聞くこときっかけに、彼は、村を基盤にする昔話が衰退としても、「話」自体は衰退することはなかったことに気づきました。その後、学校に関する話色々を集め、村落社会と違う新しい伝承空間の存在を提示した。

 

 『学校の怪談:口承文芸研究Ⅰ』では、トイレ、教室、家、予兆譚などの場所や物語の類型を取り上げて、ここでは最初に取り上げられた「トイレ」を中心に内容を紹介していきたいと思います。

 

まずは、「赤い紙・青い紙」の類型の話です。

 

トイレで、赤い紙を選ぶと血まみれになって死に、青い紙を選ぶと真っ青になって死に、黄色い紙を選ぶと助かって、白い紙を選ぶと壁に引きずり込まれる。

 

(怪異・妖怪伝承データベース:http://www.nichibun.ac.jp/YoukaiCard/2610023.shtml)より

  

 そして、「赤い紙・青い紙」を取り上げると同時に、似ている話として「紅いはんてん」を取り上げます。ここで掲載している「赤いチャンチャンコ」も同じモチーフの話です。

 

 ある学校で女の子がトイレに入ると「赤いチャンチャンコ着せましょうか」という声が聞こえてきたので、怖くなり逃げ出した。翌日、警察官と婦人警官がそのトイレを見張っていた。婦人警官がトイレに行くと同じように声が聞こえてきた。婦人警官が「着せて」と答えると、婦人警官は首を切られて死に、飛び散った血で服が赤いチャンチャンコのようになった。

 

(怪異・妖怪伝承データベース:http://www.nichibun.ac.jp/YoukaiCard/2470038.shtml)より

 

 

 タイトルは一見意味不明ですが、最後はまさかの血まみれのことを指し、本当に怖かったですね……

 「赤い紙・青い紙」と「赤いチャンチャンコ」の二つの話は違うように見えますが、物語の構成からみると、両方とも、

①挑発(問いかけ)―②反応(選択/回答)―③結果(被害)」の三段階から構成される話しで、昔の「やろうか水」の構造と似ています。

(遣ろうか水の話は、妖怪検定ノートを参照)

 

 そして、トイレの際に、下半身が何も着ていない状態になり、しかもちょっと臭う、薄暗い狭い場所に閉じ込められた緊張感から、身体が触れられる恐怖や覗かれた不安などもつながっています。

 

例えばこのような話、

小学校のトイレの天井に穴があいていた。そこからお化けが出てきてお尻をさわる。お化けは後ろを振り向くと逃げていく。

 

(怪異・妖怪伝承データベース:http://www.nichibun.ac.jp/YoukaiCard/2470037.shtml)より

 と、このような話

 ある先生が以前勤めていた学校には、学校の外にトイレがある。その一番奥のトイレにはいつも鍵がかかっている。鍵穴を覗いてみると中の目がこちらを見ている。

 

(怪異・妖怪伝承データベース:http://www.nichibun.ac.jp/YoukaiCard/0970061.shtml)より

   

 触られた恐怖と覗かれた恐怖から見ると、昔にも類似する感覚がありましたが、物語の中心は触れることより、むしろ触れた後のことがポイントだと思います…

 

 

めざせ!妖怪検定!!

それでは、妖怪検定ノートの内容に入りたいと思います。

ぜひ手元の『決定版 日本妖怪大全』と合わせて参照してください。

  

決定版 日本妖怪大全 妖怪・あの世・神様 (講談社文庫)

決定版 日本妖怪大全 妖怪・あの世・神様 (講談社文庫)

 

 

 

 

キャロルの妖怪検定ノート:

 

1.遣ろうか水(頁752)

  • 状況:大雨が降り続ける際に、川の上流から「やろうか、やろうか」の声、村人が、「寄こさば寄こせ」と返事しました。すると、流れが増え、あたりが海になった。
  • 地域:尾張(現:愛知県)、美濃(現:岐阜県)の木曽

 

2.、黒手(頁281)

  • 地域:能登の戸坂村
  • 笠松という人の妻が厠に行く際に尻が撫でられ、その後、笠松がその手を切り落とした。
  • 四、五日の後、三人の行脚僧が来て、笠松は祈祷を頼んだ。行脚僧実は妖怪、妖怪が手を奪還。
  • 一ヶ月後、その手を斬る刀も取られた。

 

3.狸伝膏(頁574)(※読み:、ばけものこう

  • 地域:、備前の中山下(現:、岡山県)
  • 土方という士族では、女性が厠に行く際に毛深い手で撫でられた。退治、その手を切り落とした。手を見て、狸の手でした。
  • 夜、狸が夢枕に立ち、手の返すことを懇願。手を返すお礼として、秘薬を授けました。

 

4.高女(頁422)

  • 下半身がニューっと伸びることができる、遊女屋の二階を覗き歩く女性の妖怪。
  • 嫉妬深い醜女
  • 和歌山県では、高女房という鬼女がいる。木地屋の妻。

 

5.屏風覗き(頁620)

  • 屏風立てて寝る際に、影から髪が垂らしていて、屏風の上から覗く。
  • 大抵新婚の夜に出る。
  • 封じる方法:屏風を使わない

 

6.加牟波理入道(頁241)(※読み:かんばりにゅうどう)

  • の神。大晦日の夜、厠で「加牟波理入道ほとときす」を唱えると、一年間厠に妖怪が出ない
  • 古今百物語評判』:紫姑神。唐の李景、正月十五日で愛人を殺したため、正月では厠にこの愛人を祀る。
  • 便所の神:秋田―土人形、出雲―トウモロコシの男女一対の神、閑所神

 

7.花子さん(頁587)

  • 誰もいないトイレのドアを叩きながら、「花子さんはいますか?」と聞くと、「はーい」の返事がきて、便所から青白い手が出ておかっぱ頭の少女が現れたことも。
  • コックリさんのように、ノックの数でyesとnoを表現できる。

 

同じ都市伝説の類(ですが忘れられやすい)の妖怪↓

 

8.ヒバゴン(頁611)

  • 地域:広島県東北部の山林
  • 昭和45年頃キノコを探すために山に行く小学生が発見。
  • 身長150~160メートル
  • 全身が薄い茶色の毛。頭は逆三角形、猿でも人間でもなかった。
  • ヤマンゴともいう

 

 

最後ですが、読む際に非常に興味深いと感じた「逆さま言葉」をここで紹介します。

よくわからない内容で、早口言葉として一気に読むのようです。以下は作者が中学生の男の子から聞いた話です。

とーんと昔のつい最近

今日の朝から夜だった

八十五六の孫連れて

とことことことこ這ってきた

どんどんどんどん登ってきた

海から崖に落っこちた

見てない人が発見し

急いでのろのろ電話した

一人の警官がぞろぞろと

曲がった道をまっすぐに

急いでのろのろ這ってきた

 

『学校の怪談:口承文芸研究Ⅰ』、頁90)

 

 よく分かりませんが、何故か非常に不思議な感じでした。妙に不気味です。『学校の怪談:口承文芸研究Ⅰ』の中には様々なパターンを紹介していますので、興味のある方は是非!

 口承文芸の中にこのような話を「てんぽ物語」、「がっちゃま物語」という地方もあります。分析によると、非日常的な物事を一気に述べることによって、言葉の力によって混乱を創造し、その後の秩序の復活に繋がるという。近世の地誌では、盲目の法師が語られ(話の内容は違いますが、内容のモチーフは同じです)、現在では子ども達が日常的な緊張感を施す清涼剤として使われているとそうです。

 

 妖怪検定の中にも、言葉遊びやダジャレのような妖怪が出てきます(怖くないけど 笑)。

以下二つを紹介します。

 

 9.いそがし(頁73)

  • いそがしに取り憑かれると、あくせくになります。
  • あくせくをしていると、妙に安心感が包まれます。

 

10.火間虫入道(頁613)(※読み:ひまむしにゅうど)

  • 鳥山石燕の『今昔百鬼拾遺』に描かれました。
  • 怠け者の妖怪化
  • 人々が一生懸命夜なべして働くと、火間虫入道が現れ灯油を舐め、人の夜なべを妨害する。
  • ヘマムシと訛る、ヘマムシの文字遊戯と関係する。

 

 『学校の怪談:口承文芸研究Ⅰ』を通して、妖怪や怖い話も時代とともに変化していくことが分かりました。そして、本の中では似ているパターンの話を複数に収録していますので、物語を楽しむだけではなく、その枠組みも一層見やすくなっている気がします。

怪談や口承文芸に関心のある方はぜひ手元に!

 

 

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数学者によって作られたアニメがある。  サイモン・シン『数学者たちの楽園 「ザ・シンプソンズ」を作った天才たち』 おすすめ本の紹介です。

 みなさん、数学は好きですか?わたしは、数学の才能は、からっきしなかったのですが、数学者についての本を読むのは大好きです。フェルマーの最終定理や、ポアンカレ予想などの難問に挑む数学者の姿に、胸がトキメキます。

 今回、紹介する本は、挑戦する数学者について描いた本ですが、彼らが挑むのは数学的難問ではなく、コメディです。アメリカの大人気アニメーション「ザ・シンプソンズ」で、彼ら数学者たちは、脚本家となり、コメディに挑んだのです。

【目次】

 

 

 

サイモン・シン 『数学者たちの楽園「ザ・シンプソンズ」を作った天才たち』

数学者たちの楽園: 「ザ・シンプソンズ」を作った天才たち

数学者たちの楽園: 「ザ・シンプソンズ」を作った天才たち

 

内容紹介

笑うか? 悩むか? 見つけられるか? 超人気アニメに隠された、驚くべき数学の世界! アメリカ 1アニメ『ザ・シンプソンズ』は、じつは超難解な“数学コメディ"で、シナリオを作ったのはなぜか“ハーバードの博士"たちだった! 番組の大ファンである著者がシンプソンズ・ファミリーのドタバタ風刺アニメに隠された数学の魅力とサブカル的なディテールを語り尽くす。アメリカの知性・感性・毒性がここに!

 

 内容紹介を読んだだけでも、面白そうですね。

 

シンプソンズとは?

 シンプソンズは、アメリカのテレビ放送史上、最も成功した娯楽番組と言われ、1989年の放送から、現在まで、放送されている長寿アニメ番組です。

 アニメの中心は、シンプソン一家の5人がスプリングフィールドという架空の街で、繰り広げるコメディアニメとなっています。主人公は、坊主頭の中年男性、ホーマー・シンプソンです。彼の家族が織りなす無茶苦茶な日常を覗き見る、そんなアニメになっています。

 

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(出典:The Simpsons | Home of The Simpsons on Global TV)

 

 みなさんは、「ザ・シンプソンズ」を観たことはありますか?わたしは、小学生の時に出会って、大好きになり、映画も観に行ったり、DVDを購入したりしています。各話に深い洞察が含まれており、一見コメディなのですが、考えさせられる内容となってい話も多くあります。

 

 それでは、この本のオススメポイントを書いていきます!

天才たちが挑んだコメディ!

 この「ザ・シンプソンズ」の脚本家には、世界的な名門大学で数学を学んだ数学者が多くいるのです。

 例をあげますと、脚本家である、ケン・キラーは、ハーバード大学で学士号、そして同大学で博士号を取得しています。他にも、ジェフ・ウェストブルックは、ハーバード大学で学士号、そしてプリンストン大学で博士号を取得しているのです。 

 彼らが作り出したコメディ作品「ザ・シンプソンズ」には、多くの数学的テーマが含まれていると、著者サイモン・シンは指摘しています。数学ジョークが隠されているそうなのです。

 例えば、トポロジー(位相幾何学)の問題について、主人公のホーマーが黒板に書いた図がこちらです。

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(「ホーマーの黒板」67頁より引用) 

 この図は、幾何学においては、穴をもつドーナッツは、どう変形させても、ボールのようにな球体にならないのです。それは、球には穴がないのに対し、ドーナッツをどれだけ伸ばしたり潰したりしても、真ん中の穴をなくすことはできません。

 しかし、ホーマーは、考えます。「食べてしまえば良いのでは?」と。そして、ドーナッツを食べ、バナナのような形になれば、トポロージーにおいてボールと同相となる、ということが、この黒板に表されているのです。

 

 この他にも、たくさんの数学的ジョークの説明がこの本に載っています。「ザ・シンプソンズ」が好きな方も、数学の好きな方も、楽しめる本なのではないでしょうか。

 

作家サイモン・シンが楽しんで書いている!

 この本の作者サイモン・シンをご存知でしょうか?彼自身が、物理学者なのです。彼は、『フェルマーの最終定理』や『暗号解読』などの数学にまつわる物語を多く出版している作家です。

 彼の略歴を見てみましょう。

 1964年、イングランド生まれ。ケンブリッジ大学大学院 で素粒子物理学の博士号を取得し、ジュネーブの研究センターに勤務しています。その後、イギリスのテレビ局BBCに入局し、科学に関するドキュメンタリーに携わります。その中で、TVドキュメンタリー『フェルマーの最終定理』(1996)が国内外の賞を多数受賞し、その内容をまとめた本を出版します。その後も、『暗号解読』や『宇宙創成』など科学史を中心とした本を出版しているのです。

 わたしは、彼の本はほとんど読んでいるのですが、本書が一番手に取りやすいものになっていると感じました。他の著作が、歴史的な考察を多く含んでいるのに対して、この本では、「ザ・シンプソンズ」における数学ジョークを説明することに注力しており、説明もわかりやすいので、数学に馴染みのない方でも読みやすいのではないでしょうか。

 わたしとしては、「サイモン・シン、楽しんで書いたんだろうな。」と読んで思いました。

 

 みなさんも、数学と、コメディの世界に生きる数学者の存在を確かめてみませんか?

 

 

 サイモン・シンの著作です。

 

フェルマーの最終定理 (新潮文庫)

フェルマーの最終定理 (新潮文庫)

 
宇宙創成〈上〉 (新潮文庫)

宇宙創成〈上〉 (新潮文庫)

 
暗号解読〈上〉 (新潮文庫)

暗号解読〈上〉 (新潮文庫)

 

 

 

 

 

2022年、フランスにイスラム政権が発足!? 予言か、それとも、文学か。 ミシェル・ウェルベック『服従』 おすすめ本の紹介です。

 2017年のフランス大統領選では、中道で無所属のマクロン氏が、極右政党・国民戦線のルペン氏を破り、フランス史上最年少の大統領が生まれました。今回のフランス大統領選の決選投票は、主要政党不在の異例の投票となりました。

 2017年のフランス大統領選で浮き彫りになったのは、EU離脱や、移民対策などの政策によって分断された国民でした。

 では、次の2022年のフランス大統領選は、どういった展開を見せるのでしょうか。

 この記事では、2022年のフランス大統領選を舞台にした小説をご紹介したいと思います。この小説は、予言の書となるのか、それとも、フィクションで終わるのか、未来を考えながら、読書するのはいかがでしょうか?

【目次】

 

 

ミシェル・ウェルベック 『服従』 

服従 (河出文庫 ウ 6-3)

服従 (河出文庫 ウ 6-3)

 

 内容紹介

2022年仏大統領選。極右・国民戦線マリーヌ・ル・ペンと、穏健イスラーム政党党首が決選に挑む。しかし各地の投票所でテロが発生。国全体に報道管制が敷かれ、パリ第三大学教員のぼくは、若く美しい恋人と別れてパリを後にする。テロと移民にあえぐ国家を舞台に個人と自由の果てを描き、世界の激動を予言する傑作長篇。

 

 この小説は、上記の通り、2022年のフランス大統領選で、国民戦線のマリーヌ・ルペンと、イスラーム政党党首による決選投票、そして、その後の国の動乱を、大学教員の主人公の視点で描いたものです。

 この本の世界では、2017年の大統領選で、国民戦線が決選投票に残り、左派が勝利し

た、ということになっています。つまりは、2017年の大統領選については、大きな間違いがない、ということです。

 しかし、この本が、フランスで出版されたのは、2015年1月7日。2年も前に出版されているのです。しかも、出版された当日に、シャルリ・エブド事件が起きています。数奇な運命を感じてしまいますね。

 

 

それでは、わたしが考えたこの本のオススメポイントを書いていきます!

予言の書となり得るか?  Islamificationとヨーロッパ

 この本の、興味深い点は、フランスにイスラム政権が発足し、イスラム化が進んだ場合に、国民生活にいかなる影響がうけるのか、という状況を詳細に描いていることです。物語の序盤では、街のレストランやモスクからでしか、イスラム化が進んでいないように見える社会であったのにもかかわらず、物語が進むに連れて、街が、そして人がイスラムの影響を強く受けて行く様子を、丁寧に描いています。

 この本での、イスラム化(islamification, islamization)が行き着く先は、家父長制、女性の服従、一夫多妻制などに及びます。一見、女性の社会進出や、夫婦同権が進む先進国において、このような思想が、一般に受け入れられるのかは、疑問です(ムスリムの方の間では、当然であれ)が、社会と主人公は、様々な「知性」や「価値観」に触れ、次第に馴化して行くのです。

 この物語は、フランスにイスラム政権が発足するということを『予言』しているだけではなく、その後、生まれるであろう新たなフランスの姿を描き出します。

 

 

無宗教者の改宗 新たな自己の創生

 遠藤周作さんの『沈黙』は、キリスト教の司祭が弾圧の末に棄教する「転ぶ」までを描いた作品ですが、この『服従』は、とくに宗教や信仰に興味のない主人公が、ムスリムに改宗することを迫られます。

 篤い信仰があった場合、《強制的に》他の宗教に改宗させられることは、今までの人生や人格の否定へと繋がるものですが、特定の信仰を持たない者が、《自発的に》他の宗教へと改宗することは、新たな人生や人格を形成する大きな契機となるものであると思います。

 この主人公、そしてフランスという国全体が、改宗を迫られるのです。それは、今までの人生や国の歴史の否定となるのか、それとも新たな自分を、国を生み出すものとなるのか。

 この本では、国そのものが、イスラムを受け入れること、そして、個人がその影響下で、いかに生きるのかを描いているのです。

 

 

主人公、知性的で、合理的な、ただの《男》 

 この本の主人公である、大学教授は、非常に知性的な人物です。彼は、博士論文を高く評価され、大学での教授職を得ています。彼の専門は、文学で、フランス19世紀末の作家ユイスマンスが専門です。

 彼の思考は、非常に合理的で、厭世的な傾向を持ってはいるものの、性的嗜好を抑えることができない人間として描かれます。彼は、教え子である学生も、性的対象として捉えており、性的な関係を築いています。

 

 この本では、性描写も多く、主人公が思い巡らしていることの大半が性的なものです。つまりは、ただの男として描かれます。

 正直、わたしとしては、「大学教授は、そんなことばっか、考えている人はいない」と思いましたが、主人公の性的嗜好を強調することで、知性や合理性が、その性的嗜好に結びつき、存在している様を描いているのです。

  つまりは、感情の論理化です。論理が単独で存在しているのではなく、感情が論理に先んじ、感情を正当化させるための論理を作ってしまうという性分から、知性的とされる大学教授においてさえも逃れることができない、ということなのでしょう。

 人間、とりわけ、男というものを考える機会を与えてくれる本になっています。

 

 

 ぜひ、手にとって、読んでいただきたい小説です。この本が、予言の書となるのか、単なる文学書となるのか、2022年の大統領選を待ちたいと思います。

 

 

「闇の中世」と、「光のルネサンス」は如何に作られたのか? ジャック・ル=ゴフ『時代区分は本当に必要か?』 おすすめ本の紹介です。

  古代、中世、近代、そして現代と、歴史を区切った「時代区分」についての学術書をご紹介いたします。歴史書というよりは、「◯◯時代」と呼ばれる時代区分を作り出した歴史家の思想や、作り出された時代区分の影響について考察されている本です。ですので、少し哲学的な内容となっていますが、歴史が変わりゆくものであるということを考える格好の教材となるのではないでしょうか。

 

 

 ジャック・ル=ゴフ 『時代区分は本当に必要か?』

時代区分は本当に必要か? 〔連続性と不連続性を再考する〕

時代区分は本当に必要か? 〔連続性と不連続性を再考する〕

 

 内容紹介

人間の歴史認識において「時代区分」はいかなる意味を持つのか?
我々の歴史認識を強く束縛する「時代」という枠組みは、いかなる前提を潜ませているのか。アナール派中世史の泰斗が、「闇の時代=中世」から「光の時代=ルネッサンス」へ、という史観の発生を跡付け、「過去からの進歩」「過去からの断絶」を過剰に背負わされた「時代」概念の再検討を迫る。

 

 

 それでは、この本のおすすめポイントをご説明いたします。

「時代」は如何にして作られたのか、を知る。

 この本では、ヨーロッパにおいて歴史家によって作り上げられた時代区分を概観することになるのですが、主な論点は中世とルネサンスになります。この中世とルネサンスは、「闇の時代=中世」と「光の時代=ルネサンス」というイメージで広く知られています。こうしたイメージが如何に作られていったのかを、考察している本となっています。

 光の時代としてのルネサンスというイメージの創出は、ジョール・ミシュレ(1798-1874)によるものです。

 ル=ゴフは、そのイメージの創出をこう説明しています。

歴史家としての仕事のはじめから、ミシュレにとって史料とは想像力の跳躍版、ヴィジョンの始動装置にほかならない。(60頁)

 つまりは、事実としての史料が歴史を作り上げるのではなく、歴史家の想像力が史料と結びつき、発展することで歴史が作り上げられるのです。

 当初、ミシュレは、中世を祝祭と光と生命と豊かさの時代と捉えていましたが、ミシュレ自身の家庭の不幸により、中世を不毛な時代と捉えるようになってしまう、そして、歴史家であるミシュレは、中世を敵とみなし、新たな光を求めることになったのです。それが、ルネサンスでした。

 こうしたミシュレによる「ルネサンス」の発明により、「闇の時代=中世」と「光の時代=ルネサンス」というイメージが普及していきます。

 

 歴史が作られる過程が詳述されており、非常に興味深い読み物となっています。

 

宗教と魔術と、時代区分

 ヨーロッパの時代区分を考える際に、宗教を無視することはできません。その中でも、中世やルネサンスはキリスト教にとって、大きな変革の時代でした。

 ヨーロッパにおける中世とは、教会権力の支配する宗教的な時代でした。その後、16世紀の宗教改革によって、新たなキリスト教徒、プロテスタントが生まれます。また、この時期、中世からルネサンスにかけて、魔術が普及していきます。

 魔術の普及は、15世紀であり、異端審問や、千年王国の宗教運動は中世よりむしろルネサンスに活発になるのです。

 魔女については、以前記事でまとめましたので、興味がある方はそちらを読んでいただけると嬉しいです!!

www.oniten-yomu-book.com

 

 キリスト教や異端について興味がある方にも、おすすめです!

 

 

ヨーロッパの事例から、日本を考える

 この本は、ヨーロッパの中世とルネサンスを対象に論を進めているものですが、日本を事例に考えても、面白いのではないでしょうか。

 例えば、最近では、明治維新を「薩長によって都合よく作り上げられたもの」と考え、敗者となり賊軍とされた幕府側を擁護するような本が多く出版されるようになっています。今までの歴史観を覆すことを目的としたものであると思いますし、こうした本の出版からも、歴史が如何に可変性に富んだものであるかを考えることができます。

 そうした、作られる歴史観、そして時代区分について学ぶことのできる、素敵な本であると思います。

 

 

疲れた心を癒す、明日も頑張ろうと思える 偉人たちの自伝・随筆 7冊

 疲れた時や、自信がなくなった時、支えてくれる本があります。今回の記事では、おすすめの偉人たちの自伝・ 随筆を紹介いたします。

 文学の偉人、宗教の偉人、物理学の偉人、さまざまな偉人の思想に触れられるような本を紹介したいと思います。

 5月病、眠れない夜、通勤や通学のおともに、偉人たちの「声」はいかがですか?

【目次】

 

 

 

①大野晋

 1919‐2008年。東京深川生まれ。学習院大学名誉教授。東京大学文学部卒業。国語学者。文学博士。

日本語と私 (河出文庫)

日本語と私 (河出文庫)

 

  内容紹介

地位も身分も才能もある学友たちに比べ、自分には何もない。友が円周から中心を通って向う側へ突き進むなら、自分は円周を細々歩き続けて目標に辿り着くしかない。「日本語はどこから来たか」を尋ね続ける生き方は、その研究方法そのものだった。まだ江戸が残る子供時代の東京下町風景や、日本語の源を求めて旅した南インドの様子から、『広辞苑』基礎語千語の執筆、戦後の国字改革批判、そして孤軍奮闘した日本語タミル語同系論研究……「日本とは何か」その答えを求め、生涯を日本語の究明に賭けた稀代の国語学者の貴重な自伝的エッセイ。

 この本では、著者である大野先生の日本語への愛や、研究の楽しさを感じることができ、普段は見逃しがちな日常に潜む謎や問題点を突き詰めて考える姿勢は、日々を生きる上でとても重要であることを教えてくれます。わたしが、特に好きなのは、大野先生の出身が東京深川で、クラスメートとの「生まれ」、「育ち」の違いを感じ、学校や友人の家に足を運ぶことが、すでに「外国文化」と触れることであったという箇所でした。

 また、一つのことをコツコツと積み上げていく、研究の楽しさを感じることができ、自分の仕事も小さなことから頑張っていこうと思えます。

 

 

②Richard Phillips Feynman 

 1965年ノーベル物理学賞受賞者

 1918−1988年。アメリカ、ニューヨーク生まれ。カリフォルニア工科大学教授。理論物理学者。

"Surely You're Joking, Mr. Feynman!": Adventures of a Curious Character

 

 内容紹介

少年時代より変わらぬ,あくなき探求心といたずらっ気….20世紀を代表する物理学者が,奇想天外な話題に満ちた自らの人生をユーモアたっぷりに語る.ノーベル賞受賞をめぐる顛末,また初来日の時の“こだわり”など,愉快なエピソードのなかに,とらわれぬ発想と科学への真摯な情熱を伝える好読物.   

 わたしは、原著を英語の勉強のために読んだのですが、難解な語り口ではなく、幼少期の思い出から、研究に没頭する日々に至るまで、わかりやすい英語で書かれています。

 優秀な先生でも、こんなわんぱくな少年時代があったのか、と思い、胸がとても軽くなる気がしました。

  英語の勉強では、下のオーディオブックもおすすめです!!

Surely You're Joking, Mr. Feynman and What Do You Care What Other People Think?

Surely You're Joking, Mr. Feynman and What Do You Care What Other People Think?

 

 日本語版ももちろんあります!!

ご冗談でしょう、ファインマンさん〈上〉 (岩波現代文庫)

ご冗談でしょう、ファインマンさん〈上〉 (岩波現代文庫)

  • 作者: リチャード P.ファインマン,Richard P. Feynman,大貫昌子
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2000/01/14
  • メディア: 文庫
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③ 岡潔

 1901年−1978年。大阪生まれ。京都帝国大学卒業後、フランス留学を経て、北大、なら女子大学などで教鞭をとる。多変数解析函数論の分野における超難題「三大問題」を解決し、世界に名を轟かせた。1960年、文化勲章を受賞。

春宵十話 (角川ソフィア文庫)

春宵十話 (角川ソフィア文庫)

 

 内容紹介

 数学は論理的な学問である、と私たちは感じている。然るに、著者は、大切なのは情緒であると言う。人の中心は情緒だから、それを健全に育てなければ数学もわからないのだ、と。さらに、情操を深めるために、人の成熟は遅ければ遅いほどよい、とも。幼児からの受験勉強、学級崩壊など昨今の教育問題にも本質的に応える普遍性。大数学者の人間論、待望の復刊。

 この本のには、生きるということ、数学者が何を求め生きているのか、を伝える名文が書かれています。その名文とは、

私は数学なんかをして人類にどういう利益があるのだと問う人に対しては、スミレはただスミレのように咲けば良いのであって、そのことが春の野にどのような影響があろうとなかろうと、スミレのあずかり知らないことだと答えて来た。」と述べ、「私についていえば、ただ数学を学ぶ喜びを食べて生きているというだけである。そしてのその喜びは「発見の喜び」にほかならない。」と数学者としての生き方を記してらっしゃいます。みなさんは、誰かのために役に立ちたい、組織のために自分に何ができるか、という問いに疲れていませんか?自分のしたいことや、できることを思い出させてくれる素敵な文章だと思います。

 また、「どの人がしゃべったかが大切なのであって、何をしゃべったかはそれほど大切ではない。」という言葉があります。将棋の天才であられる羽生善治さんが、まったく同じことをラジオ番組でおっしゃていました。何かを極めた人の到達した次元なのでしょう。ポストファクトの時代となった現代、「人」を見ることが最も重要なことなのかもしれないと、考えさせられる文章です。

 

 

④遠藤周作

 1923年-1996年。12歳でカトリックの洗礼を受け、慶應義塾大学卒業後、フランスのリヨン大学大学院へ留学。1955年、『白い人』で芥川賞を受賞。

落第坊主の履歴書 (日経文芸文庫)

落第坊主の履歴書 (日経文芸文庫)

 

  内容紹介

テストは0点。女子にはフラれ、神父にも叱られ、授業はサボって映画三昧。周囲も心配するほど落ちこぼれだった少年は、やがて皆に愛される作家となった。生い立ちから「作家・遠藤周作」の誕生、作家仲間との交遊録まで。狐狸庵先生が語る、涙と笑いの回顧録。 

 あんな緻密で美しい文章を書かれる遠藤周作先生に、こんな半生があったなんて、と思いました。内容は、上記の通り、少年遠藤周作の珍道中が描かれております。各エッセイが、短くまとまっていて、通学や通勤にもってこいの本となっています。

 もちろん、『沈黙』や『海と毒薬』などの純文学作品を読んだ後の方が、より面白いと思いますよ!!

 

 『最後の花時計』もおすすめです。ファンレターを送って、返信をせがむファンに苦言をていしたり、最近のテレビは面白くない!なんて、おっしゃっており、とても身近に感じられる素敵なエッセイです。

最後の花時計 (文春文庫)

最後の花時計 (文春文庫)

 

 

 

⑤酒井雄哉

 1926年−2013年。大阪府生まれ。太平洋戦争時、予科練へ志願し、特攻基地・鹿屋で終戦。戦後、職を転々とするが、うまくいかず、比叡山へあがり、40歳で得度。約7年かけて4万キロを歩く荒行「千日回峰行」を1980年、87年に二度満行する。

この世に命を授かりもうして (幻冬舎文庫)

この世に命を授かりもうして (幻冬舎文庫)

 

 内容紹介

「『生かされている』ことへの感謝を忘れてはいけない」「悪いこともいいことも、みんな自然の中にある」「縁を『結ぶ』かどうかはその人次第」「苦しいことの中に『楽』を見出す」「命の長さよりもどう生きたかが大事」。荒行・千日回峰行を二度満行した「稀代の行者」が病と向き合い、命をかけて伝えたかった「生きること」の本当の意味。新シリーズ!こころの文庫。

 ガンに冒された宗教的達人が、自身の人生を振り返り、生きることの意味、そして生き方を語っています。内容は、インタビューをもとに書かれたものになっています。そのため、酒井大阿闍梨の人柄が感じられるものとなっています。

 少年時代に、石井防疫研究所に勤めたこと、特攻基地で旅立つ仲間を見守ったこと、妻に先立たれたこと、そして仏門に入り師匠にしごかれたことなど、盛りだくさんの内容になっております。

 とくに、歩くこと、歩くことが生きることにつながるという、酒井大阿闍梨の言葉は、日々の生活で見落としがちな自然や四季の移り変わり、そしてそれによって感じることのできる生きることの楽しさを伝えています。

 また、「行き道は いずこの里の 土まんじゅう」という言葉を紹介されています。死後どうしてほしい、と考えるよりも、毎日を一生券面名に生きることの方が不安のない毎日がすごせるとおっしゃています。素敵な生き方ですね。

 

 

⑥升田幸三

 1918年−1991年。 広島生まれ。14歳で家を出て、木見金治郎名人に入門。1952年王将位獲得。1956年、大山康晴名人に対し「名人に香車を引いて勝つ」という史上空前の記録を残す。史上初の三冠を達成。

 

勝負 (中公文庫)

勝負 (中公文庫)

 

  内容紹介

不世出の棋士が遺した人生を戦いぬく黄金律。少年時代、駒の哲学、勝負、上に立つ、後から来る者へ、思い出の人々、身辺雑記などのテーマで語る。1970年サンケイ新聞社刊の再刊。

 勝負師が、如何なる思想を持ち、生きてきたのか、そして、その思想は、わたしたちの生活に活かせるものなのか、考えさせられる内容になっています。

 わたしがこの本を読んで、感銘を受けたのは、「勝負師」と「賭博師」の違いについて述べている箇所でした。

 賭博師が一か八かやけっぱちで賭け、一回でおしまい、となるのに対し、勝負師は、勝負を決してあきらめることなく、とにかく生ある限り抵抗し、挽回をはかる人のことだそうです。

 勝負師、憧れますね。将棋に興味がない、ビジネスに活かせる感性がほしい、という方におすすめな本です。

 

 ちなみに、自伝も出版されております。 

名人に香車を引いた男―升田幸三自伝 (中公文庫)

名人に香車を引いた男―升田幸三自伝 (中公文庫)

 

 

 

⑦手塚治虫

 1928年ー1989年。大阪府豊中市に生まれ、兵庫県宝塚市で育つ。大阪大学付属医学専門部を卒業後、医学博士号取得。1946年、「マアチャンの日記帳」で漫画家デビュー。1962年には『ある街角の物語』でアニメーション作家としてもデビュー。

紙の砦

紙の砦

 

  内容紹介

太平洋戦争の末期、戦火にさらされた大阪の町で、すきっ腹をかかえながら好きな漫画の道にうちこむ一人の少年がいた……。表題作「紙の砦」他、巨匠手塚治虫が青春時代の思い出を綴った6編を収録して贈る自伝的作品集!

 言わずと知れた「漫画の神様」であられる、手塚治虫の漫画家前夜の生活を知ることができる自伝的漫画となっています。戦時中、そして戦後に、漫画家を目指した少年が、どのように過ごしたのかが、描かれており、夢を追うこと、そして、熱中することのすばらしさに、気付かされます。あと、少しばかりの女性との恋愛(らしき)ものも描かれています。恋と漫画、夢を追う人間の恋愛事情もうかがい知ることができるのです。 

 表題作の「紙の砦」も面白いのですが、トキワ荘の目線で描かれている「トキワ荘物語」がなんだか、もの寂しく、胸に響く作品となっています。

 

 

 

 

 みなさんは、どんな作品を読んで、心を奮い立たせたり、癒したりしてらっしゃいますか。今回は、わたしの好きな作品を紹介させていただきました。

 

 

 

自爆する民主主義 「ポピュリズム」を知ろう!! 薬師院仁志著『ポピュリズム〜世界を覆い尽くす「魔物」の正体〜』

 最近よく聞くけれど、いまいちよくわからない言葉ってありますよね。そうした言葉たちは、世界の移り変わりの中で消費され、いつしか常用される単語として残る、もしくはすぐに消え去っていくのかもしれません。

 「ポピュリズム」、ニュースで聞くようになったのは、ここ5,6年くらいになるでしょうか?みなさんは、「ポピュリズム」をどのように理解されていますでしょうか?

 今回の記事では、「ポピュリズム」という言葉、そして現象を対象に論じた本を紹介いたします。

 

薬師院仁志『ポピュリズム〜世界を覆い尽くす「魔物」の正体〜』

ポピュリズム ~世界を覆い尽くす「魔物」の正体~ (新潮新書)

ポピュリズム ~世界を覆い尽くす「魔物」の正体~ (新潮新書)

 

【目次】

 

 このタイトル構成やトランプ大統領の帯でわかるように、おそらく森本あんり著『反知性主義:アメリカが生んだ「熱病」の正体』を意識したものであると思います。

反知性主義: アメリカが生んだ「熱病」の正体 (新潮選書)

反知性主義: アメリカが生んだ「熱病」の正体 (新潮選書)

 

 反知性主義が「熱病」であるのにたいして、ポピュリズムは「魔物」とされ、規模もアメリカから、世界へと広がっているのですが、現代の政治動向を理解するうえで、覚えておくべき、知っているとわかりやすくなる用語を、歴史的かつ思想的な枠組みで説明するものであるという点でも、共通する部分が多くあります。

 ですので、どちらかの本を読んでいらっしゃるのであれば、両方とも読むのをオススメしたいと思います!!

 

 それでは、わたしが読んで面白かったと思ったポイントを書いていきます!

 

 「ポピュリスト」という人間のあり方

 この本では、「ポピュリズム」や「ポピュリスト」の明確な定義は難しいとしながらも、数々の事例を紹介し、「ポピュリスト」となりうる人々の傾向を紹介しています。

 たとえば、政治家による「〇〇をぶっ壊す」、「壁を立てる」などの現実味の薄い提言が、「本音」と解釈される危険性に触れ、

「できるわけない」ことを叫けぶ者は、「大バカ野郎」でありこそすれ、本音を語る政治家ではない。(18頁)

 と、政治家としての資質について触れ、彼らが人心を掌握する過程において「敵」の存在が必要となり、

「人民の敵」に対抗するのが自分たちであり、つまるところ「人民の敵の敵」が自分たちだという、何とも奇妙な自己規定が成立するのである。(73頁)

  と、説明します。そして、彼らはそうした敵や人々の不満に対する「救世主」的な存在として、自己を演出し、あくまで「敵」を攻撃することに人々の注目を集め、世論を分断し、政策ではなく自分という「人間」に投票をさせるというのです。

 なかなか、考えさせる指摘だな、と思いました。

 

 ポピュリストが望む「民主主義」について

 ポピュリストの傾向の一つに、反議会主義的である一方で、無媒介的な直接決定には、非常に肯定的であることをあげています。無媒介的な直接決定は、住民投票などの、政治家や官僚を排除して、直接人々の投票で決定することを指しています。

 そして、著者である薬師院さんは、以下のように指摘します。

そんな発想が民主的であるわけはない。熟議なき直接決定は、短絡的な多数決に過ぎず、数の多寡だけで決まる勝ち負けでしかないからである。

(99頁)

 この文書を読んで考えたのは、熟議なき決定=短絡的な多数決、という文言を、つい最近読んだなぁということでした。住民投票などはないですが、熟議なき&数の原理という意味では、共通するものであると思います。わたしが思い浮かんだ記事は、これです。

news.yahoo.co.jp

 ここで、共通するのは、「熟議」の必要性、そしてその「場」となる国会議員の存在でしょうか。他の議員や官僚の存在を軽視することが、熟議なき決定につながるということでしょうか?

 (少し脱線します。)そういえば、日本で有数の市場の移転も、住民投票案が出ていたような?気づけば、自分以外の政治家がいないように見える「劇場」を作っている方もいるような?しかも、それは、森の「王殺し」をともなって繰り返されているような?

bunshun.jp

 

 

 この本において、わたしが、面白いなとおもったのは、民主主義にはコストがかかるということを、著者が繰り返し述べていることです。

 わたしたちは、ついつい議員定数削減、議員報酬の削減こそが、健全な議会運営において重要であるように考えてしまいがちですが、人口比率、選挙資金などを鑑みれば、少数派の代表となり得る議員を確保するには、議員の定数は確保するべきでしょうし、給料を下げることが良い人材(とりわけ優秀な人材)を獲得することに繋がることにはならないのではないかと指摘されています。

 

 橋下徹元大阪府知事(市長)へのラブレター

 この本では、アメリカ、フランス、そして日本が主な考察対象となっています。その中でも、大阪府知事、市長を歴任された橋下徹さんを事例が多く使用されています。わたしが、この本を読んで驚いたのは、引用された橋下徹さんの数々のツイートです。これを、著者である薬師院さんは、一つ一つ読み、引用するために書き足したのであれば、それは、かなり橋下さんのひとなり、そして自分との関係を見つめる作業だったのではないでしょうか。

 政治において反エリート主義が蔓延し、学者(ポピュリストを批判する知識人)が、攻撃されることが多くなった昨今、一人の社会学者が、一人の政治家へ宛てた「手紙」としても読めるのではないかと思います。

 

 とても、明快で、200ページ程度の本ですので、時間が空いた時にでもさらっと読めるものです。しかし、読んだ後に残るものは、大きいと思います。 

排外主義の盛衰を考える。 浜本隆三 『クー・クラックス・クラン:白人至上主義結社KKKの正体』 おすすめ本の紹介です。

 アメリカではトランプ大統領が生まれ、ヨーロッパでは移民排斥を訴える極右政党への支持が急増している昨今、「排外主義」という言葉を耳にするようになりました。

 人々は「他者」を生み出し、「他者」を恐れ、そしてその「他者」によって自分たちの既得権益が侵されたと、被害を訴えることになります。現在の世界では、いかに被害者として振舞うことができるのかが、重要になっていることは明らかでしょう。

 マイノリティーに属する人々が「加害者」となり、マジョリティーが「被害者」となるとき、人々は排外主義に走るのでしょうか。

 

 今回は、世界的に排外主義の潮流が強まる現在、読むべき本をオススメさせていただきたいと思います。

 

その本は、浜本隆三『クー・クラックス・クラン:白人至上主義結社KKKの正体』です。

クー・クラックス・クラン: 白人至上主義結社KKKの正体 (平凡社新書)

クー・クラックス・クラン: 白人至上主義結社KKKの正体 (平凡社新書)

 

 この本は、本邦初のKKKを対象とした専門書になります。内容は、非常に読みやすく、KKKの歴史、概要を網羅しておりますので、興味がある方は、ぜひチェックしてください。

 内容

一九世紀半ば、南北戦争直後にアメリカ南部で組織された、白人至上主義結社クー・クラックス・クラン。一九二〇年代、会員数は数百万人に達したといわれ、現在でも、全米で五〇〇〇人が「クラン」と名のつく組織に所属しているといわれる。なぜ、クランの火種は燻りつづけるのか。世界的に排外主義の潮流が強まるなか、KKK盛衰の背景とメカニズムを考察する。

 

最近では、トランプ大統領が生まれ、クー・クラックス・クランの活動が活発化されてきているとの記事が出ています。現在でも、根深く残っているアメリカの思想の一つとして理解、勉強することが重要であると考えられます。

www.huffingtonpost.jp

 

 現代、世界を席巻している排外主義を知るために、ぜひこの本を一読していただきたいです。

 それでは、わたしのオススメするポイントを書いていきたいと思います。

KKKの歴史をわかりやすく解説

 この本は、専門的にKKKを扱う日本で初めての本です。ですから、ある種の「入門書」として、KKKの歴史をわかりやすく書かれています。

 KKKは、テネシー州のプラスキという田舎町で、1866年に結成されました。設立メンバーは、6名の若者で、みな南北戦争に従軍した元南部連合軍の兵士でした。最初は、いたずらレベルの活動であったのですが、徐々に黒人に対する暴力、リンチを行うようになり、人々の注目を集め、最大で55万人が加入したと言われています。彼らの活動は、1871年にクランの活動を制限する「クラン対策法」により終息したのですが、20世紀初頭に復活し900万人の会員を集めたものの組織内部の腐敗が明るみになり衰退、また1960年代にまた活発化するなど、盛衰を繰り返しているのです。

 

いままで知らなかったKKKの姿

 この本で、最も興味をそそられたのは、今まで知らなかったKKKの姿です。例えば、上述したように最初は6名の若者が、集まっただけのサークルのような集団でした。その活動というのは、仮装して町の人々を驚かすというものあり、イタズラ集団のようなものであったそうです。

 この本では、クランに加入するための加入儀礼についても、取り上げています。クランの本部は「巣窟」と呼ばれ、加入希望者が訪れると案内役の「官吏」が質問をし、人物に問題なければ、目隠しをして「巣窟」の中に導き、そこで、「一つ目の巨人」とよばれる人物によってあらゆる質問を受けることになり、それによって、加入をゆるされると、王冠を与えると告げられるのですが、実際にはボロボロで、ロバの耳がつけられた帽子を被らされるという、いたずらを含んだものであったそうです。

 この他にも、儀礼や装飾についての記述、そして慈善活動団体としてのKKKの姿が描かれており非常に興味深いものとなっています。

 

世界の動向を知る

 トランプ大統領は、「アメリカを再び偉大にする」と宣言しています。彼らは、本来のアメリカを取り戻そうと、人々に呼びかけるのです。彼は、人々の「失ったもの」を取り戻すと主張し、聴衆の「喪失感」をくすぐります。このような言動は、右翼運動と重なるものであるといいます。右翼活動とは「比較的優位にあった集団が、その成員と権益者の、権利と特権の保持、復権、拡大を目指して行う社会活動」です。

 現代では、ヨーロッパにおいても移民の流入、増加により極右政党の支持が広がっているといいます。

 

www.huffingtonpost.jp

 

 こうした現代において、排外主義を唱えたKKKの歴史、そして思想の特質を知ることは、正確な判断をするための非常に重要な「資料」となるものであると思います。

 この本では、現代のトランプ現象をも含め、書かれています。

 この本とともに、 

反知性主義: アメリカが生んだ「熱病」の正体 (新潮選書)

反知性主義: アメリカが生んだ「熱病」の正体 (新潮選書)

 

 反知性主義を学ぶことで、より深く現代の人々の変わりゆく思想を学ぶことができるのではないかとおもいます。

 

 

亡き友を、弔い、挑む花の戦い 鬼塚忠『花戦さ』 この夏、映画化される小説のご紹介

 男の友情、一つの道を極めようとする姿にキュンとなる方にオススメの小説を、ご紹介したいと思います。

 題名は非常にかっこいいのですが、内容は、いたって平易で、読み終わるのに2時間くらいで十分です。気ままに読める小説ですので、新幹線や、飛行機の中で読むのに最適なページ数、内容であると思います。

 

 今回、紹介させていただく小説は、鬼塚忠『花戦さ』です。 

花戦さ (角川文庫)

花戦さ (角川文庫)

 

  あらすじ

花の名手・池坊専好と茶の名人・千利休は互いに認め合い深い友情で結ばれている。ところが利休は豊臣秀吉の命で非業の死を遂げた。専好は花に救われ立ち直ったが、周りの罪なき者たちが、またもや秀吉のせいで命を落としていく。怒りに震える専好は秀吉への仇討ちを決意した。それも刃ではなく花を用いた方法で…。美と誇りを守り通した男たち。華道家元・池坊に伝わる史実をもとに描かれた感動の物語。

花戦さ (角川文庫)

 

 というのが、本の裏表紙に書かれている「あらすじ」なのですが、驚くべきことに、この「あらすじ」は、小説の内容のほぼ99%説明してしまっています。ネタバレが嫌いな人は、最後の10ページくらいしか楽しめない、ということになっていますので、ご注意を!!

 

 

 ここでは、わたしが面白いなと思ったポイントを紹介いたします。

面白かったポイント

 ①男の友情物語ーセリヌンティウスが助からない『走れメロス』

 茶の道を究めんとする千利休と、花の道を究めんとする池坊専好の出会いから、この物語は始まります。お互い、自分自身の「美」をもとめ、模索するうちに、自ずと交流を持つようになり、友情を育みます。仲の良さを表すエピソードのみとなっており、「美」の追求のために、対立することもなく、ひたすらに、お互いを認め合います。

 ですので、ライバル同士、男同士が対立、喧嘩を繰り返したところで、友情がうまれるのではなく、すぐに仲良くなっています。

 そして、利休が殺されてしまったところから、池坊が奮起するのですが、内容としては、セリヌンティウスが助からない『走れメロス』っぽいな、と思いましたw

 

 ②徹底されたベター短絡的な登場人物ー

 この物語に、深みは、あまりありません。それ以前に、1人1エピソード1殺、というようなパターンがあり、読み手が迷わずにすむ親切設計です。そのため、人間の機微を重要視されている方は、あまりオススメできないものとなっています。

 しかし、この物語の根幹にあるのは、一つのことしか考えられない人間が、自分の大切なものを守る、というものです。そのため、話がシンプルな方が、伝わるのかもしれません。

 

 

 

映画化され、今年の6月に放映開始だそうです。そのビジュアルがとても残念な出来です。

映画「花戦さ」オフィシャルブック

映画「花戦さ」オフィシャルブック

 

 見ての通り、千利休と池坊専好の、渋み、深みは、全くと言っていいほど、表現しようとしてないですね。侘び寂びは、どこにいったのでしょうか。 

 ということで、娯楽性を高めた、エンターテイメント作品になったようです。

 

 実写化にあわせて、小説と映画を楽しむのも、良いかもしれませんね!

 

 

 

 

 

 最後に感想ですが、

 わたしとしては、なぜ、「美」を守ろうとして死んだ、利休の弔い合戦で、池坊専好は、自分の追い求めた「美」ではなく、「理」や「機知」で勝負したのか、非常に引っかかりました。

 

 

外国文化と戦う「カタカナ」の物語    山口謠司『カタカナの正体』 オススメ本の紹介です。

 わたし達の生活、職場、学校は、横文字であふれています。その横文字の単語が、アルファベットで表されることは、ほとんどなく、「カタカナ」で表されるのが普通です。

 突如、現れる外来語、わたし達は、不安や疑問を抱きながらも、「カタカナ」で表されることで、発音し、意味を類推することになります。たとえば、2000年代の選挙で突如、叫ばれるようになった「マニフェスト」を、初めて聞いたときは、意味がわからないながらも、海外から来た有難い言葉のように感じていました。その「マニフェスト」も、すでに死語となっている感もあります。 

 しかし、政策提言、公約などといわず、「マニフェスト」と呼んだり、manifestoという外国語を、カタカナで表すことの必要性を考えると、外来語とカタカナの日本における重要性、新奇性に気づきます。

 そうしたカタカナの持つ機能について、カタカナの発生から、外国語との折衝の歴史を概観した素敵な本をご紹介したいと思います。

 

 山口謠司 『カタカナの正体』

カタカナの正体 (河出文庫)

カタカナの正体 (河出文庫)

 

 内容

カタカナ・ひらがな・漢字を使い分けるのが日本語の特徴だが、カタカナはいったい何のためにあるのか、どのような役割を果たしてきたのか―。奈良時代にまで遡って日本語の歴史をひもとき、多彩なエピソードをまじえながら綴るユニークな日本語論。日本語の日本語らしさを支えてきた“カタカナ”の正体とは?

 

 題名が『カタカナの正体』という、非常に内容がわかりにくいものとなってしまっていますが、実際の内容を鑑みますと、『外国文化の最前線で活躍するカタカナの役割』

というと、わかりやすいとおもいます。

 

それでは、わたしの考えたおすすめポイントを書いていきたいと思います。

 日本語と外国文化の定着

 外国文化を受容すると聞くと、近代以降、明治時代くらいからを想像する方も多いかと思いますが、この本では、古く奈良時代から日本文化と外国語との出会いについて考察されています。

 日本と外国語が出会い、溶け込む過程において重要となるのは、日本語自体の「進化」です。万葉仮名→ひらがな→カタカナといった風に、日本語をいかに表すかは、時代ごとに変化しています。また、ひらがなを用いいるか、カタカナを用いるかは、文化や人々の心情を表現する際に非常に重要です。

 こうした日本語の発展、カタカナの発明を経て、カタカナは、外国語の発音を日本人の発音に落とし込む機能を有するものになっていきます。

 『カタカナの正体』では、和歌、宗教、政策などの事例から、カタカナの役割、そして日本に外国文化が根付く過程について考察されています。

 〈カタカナ〉とは、すなわち、「生」の外国語の発音を可能な限り日本語として写し、外国の文化を我が国に移植するための小さな「種」のようなものではないだろうか。(203頁)

と、カタカナの機能をみています。

 

 信仰と言葉の関係

 この本で、わたしが非常に興味深かったののは、宗教と言語の問題でした。この本では、空海、最澄、円仁などの高僧が、日本語と中国語、そしてサンスクリット語と出会い、信仰の確立、学問的な求道心を深めながら、外国語を吸収していった様子が描かれています。

 例えば、円仁(慈覚大師 794-864)が中国に渡り、サンスクリット語を学んだことで、サンスクリット語の発音を万葉仮名を利用しつつ、当時の日本語の音と比較しました。それにより、より多くの人に、真言(仏・菩薩などの真実の言葉)を唱えて仏との一体感を覚え、心の平安を得る教えを広めようとしました。

 こうした宗教と言葉、「カタカナ」の出会いは、仏教に限定されたものではありません。例えば、16世紀に日本を訪れたイエズス会、フランシスコ・ザビエルも「カタカナ」を信仰の中で利用した人物であったのです。それは、神を表す言葉でした。当初は、「大日」と読んでいたのですが、のちに「デウス」と呼称を改めたのです。

 この本の3分の2は、信仰や宗教と深く関係する内容となっているので「宗教と言葉」の関係性について学ぶことができます。

 

 

 海外の言葉を学ぶこと、それは、英語を英語として学ぶだけでなく、その外国語を如何に日本文化として吸収するのか、という問題が孕んでいることを気づかせてくれた非常に面白い本でした。

 外国語と日本語の関係性に興味がある方は、ぜひ一読していただきたいです。

 

 

 

 

 

 

 

30代なら読んでいるかも? 図書館にある面白かった10冊!!

小学校時代に出会い、心奪われた本をご紹介したいと思います。小学校という6歳〜12歳の劇的に知力・体力が変わる時期ですので、本も少しばらつきがあります!マンガも、絵本も含みます。非常にメジャーな『はだしのゲン』や『ズッコケ3人組』などは、のぞきました。

 

 

 

わたしと同年代の方も、お子さんが小学生という方も多いと思いますので、お子さんへのプレゼントの選択肢の一つになったら、嬉しいです。

 

 

①パソコン通信団事件ノートシリーズ 『パスワードはひ・み・つ』 

パスワードは、ひ・み・つ new(改訂版)-風浜電子探偵団事件ノート1- (講談社青い鳥文庫)

パスワードは、ひ・み・つ new(改訂版)-風浜電子探偵団事件ノート1- (講談社青い鳥文庫)

 

 小学生だったわたしに、パソコン通信という言葉を教えてくれた作品です。ミステリーあり、ラブコメあり、そしてパソコンあり、と盛りだくさんの内容で、とても爽やかな作品でした。  

 

内容

みんなに愛されて読み続けられている大人気の「パスワード」シリーズの1冊目を、松原先生が全面的に見直してパワーアップして、おとどけします! 楽しい物語と推理パズルがいっしょに楽しめる「パスワード」。すべては、ここからはじまります!
ジョギング中のみずきが見つけたふしぎな別荘にはいったいどんな秘密がかくされていたのか!? 「風浜電子探偵団」出動です!

ということで、わたしが読んでいた本とは、少し内容が変更されているようです。 

 

 

②まんが世界なぞのなぞシリーズ 『迷宮ラビリントスの島』 

迷宮ラビリントスの島 (まんが世界なぞのなぞ)

迷宮ラビリントスの島 (まんが世界なぞのなぞ)

 

 これを読んだことで、ミステリーハンターになりたいと思うようになりました。このシリーズは、主にオカルトを扱ったものなのですが、

 

王者ジンギスカンの最期 (まんが世界なぞのなぞ)

王者ジンギスカンの最期 (まんが世界なぞのなぞ)

 

  

死者をよぶアンコールワット (まんが世界なぞのなぞ)

死者をよぶアンコールワット (まんが世界なぞのなぞ)

 

 など、歴史的な問題を扱ったものあります。物語としては、タイムスリップして、その出来事の謎に迫るというものです。

 

 

③『ぼくのロボット大旅行』

ぼくのロボット大旅行 (福音館の科学シリーズ)

ぼくのロボット大旅行 (福音館の科学シリーズ)

 

  この作品の醍醐味は、ロボットの中の構造の断面図です。ロボット内での生活は、どういうものなのか、とても興味をそそられたのを覚えています。

 内容

もしもロボットに乗ってどこでも行きたいところに行けたら・・・」
子どものそんな気持ちが絵本になりました。
ただのロボットではなく、ロボットの中にはキッチンや寝室、研究室まであります。
そんなお話を楽しみつつ世界について知ることのできる科学の絵本です。
日本図書館協会選定 全国学校図書館協議会選定 厚生省中央児童福祉審議会推薦

 すごい評価を受けている作品なのですね。 

 ロボットや機械の構造が大好きなお子さんには、本当にオススメです。

 

 

 

④『ロボットのくにSOS』

ロボットのくにSOS (こどものとも傑作集)

ロボットのくにSOS (こどものとも傑作集)

 

 この作品の持つ雰囲気、絵柄が大好きでした。小学校低学年のころ、毎日ぼーっと眺めていたことを思い出します。

 内容

ルネくんはフープ博士と一緒にロボットの国の発電機を直しに行くことになりました。ロボットの国は火山の下600mの地下にあり、博士はゼンマイロボットの部品を使って発電機を直すことに成功して。。

 とっても、読みやすいSFです。表紙の世界観が好きな方であれば、即買い!!という絵本になっています。

  

 ⑤『ヒギンスさんととけい』

ヒギンスさんととけい

ヒギンスさんととけい

 

 人生初のイライラ系エンターテイメント作品でした。

 話の内容は、とてもわかりやすいです。

 時計を購入したヒギンスさんは、各階に時計を壁に飾ります。時間を合わせようと、1階から徐々に階をあがっていくと、時間が進んでいる!?という、なぞにヒギンスさんが挑みます。

 つっこみどころ満載の、うっかりおじさんの絵本です。

 

 

⑥11ぴきのねこシリーズ 『11ぴきのねこふくろのなか』

11ぴきのねこふくろのなか

11ぴきのねこふくろのなか

 

 この絵をみているだけで、癒されます。すてきな絵です。内容も、びっくりするぐらいゆったりとしています。この本は家にあったので、いつもぼーっと眺めていました。

 

内容

ねこたちの行く先々に「花をとるな」「橋を渡るな」等など禁止の立て札が。でも、ねこたちは、花を取り、危険な橋を渡って、「入るな」と書いてある大きな袋に入り…。

 

 癒し系の絵本です。お子さんにおすすめです。

 

⑦『よもぎだんご』

よもぎだんご (かがくのとも傑作集 わくわく・にんげん)

よもぎだんご (かがくのとも傑作集 わくわく・にんげん)

 

 内容は、おばあちゃんが、よもぎだんごをつくる!!というだけのものです。

 そうです。それで良いのです。レシピというか、作り方の解説もあります!

 わたしの故郷は、よもぎだんごを作ることがあり、 この本を読みながら、作り方を思い出したりしました。

 おばあちゃん自体は、「和風」ではないのですが、不思議なノスタルジーのある作品です。

 

 

⑧ほうれんそうマンシリーズ 『ほうれんそうまんのじどうしゃれーす』

  かいけつゾロリが悪役としてデビューしたシリーズで有名ですね。わたしは、かいけつゾロリシリーズよりも、この本が印象に残っています。

 何よりも、レースが面白いです。マリオカートが発売される前でしたので、車でこんなことをするのか、と笑いながら読みました。 

 とくに、車がどのように改造されたのかの解説が、面白かったです。

 

⑨『恐竜たんけん図鑑』

恐竜たんけん図鑑 (絵本図鑑シリーズ)

恐竜たんけん図鑑 (絵本図鑑シリーズ)

 

  わたしが、恐竜を好きになったきっかけになった本です。この本では、図鑑として恐竜を説明しているだけでなく、恐竜を研究するために探検する少年たちのマンガもページ下にあり、実際に恐竜がいたらどうなっていたか、どれくらいの大きさなのか、イメージしやすいものとなっています。

 現在では、かなり恐竜の研究がすすんでいるので、最新の研究成果とは少し異なる箇所もあるかもしれませんが、お子さんが恐竜好きであれば、間違いなく買いだとおもいます。

 アマゾンで、中古で1円ですよ!!

 

 

⑩横山光輝『マーズ』 

マーズ (1) (秋田文庫)

マーズ (1) (秋田文庫)

 

  「もうどうして、この本を図書館においたの?先生?」と、突っ込みたくなるマンガです。衝撃の結末過ぎます。このマンガは、お子さんにはおススメできません。しかし、面白いです。20年近く経った今でも、このマンガを読んだ衝撃をおぼえています。

 

 

 みなさんが、小学生の時に読んだ本はありましたか?わたしも書きながら、もう一度読み直したいなと思いました!