オニテンの読書会

文化・民俗や、オススメ本の紹介、思ったことも書きます。

子どもの名前を決定するまでー名前コンプレックスとの対話

昨年の3月に娘が誕生し、人生初めての名付けを経験いたしました。それは貴重な体験なのですが、それと同時に、自分のセンスを他人に(特に友人・親族に)問われるという極限の状況を経験し、考えたことを書いていきたいと思います。

《目次》

 

まず、わたしの名前コンプレックス

実は、私は名前にコンプレックスがあります。タカギスグルという名前でブログを書いていますが、実際の名前はかなり珍しい苗字で、絶滅危惧種のような一族です。そんな苗字は、初見ではだれも正確に読むことができず、日常生活に支障がでることが多々ありました。そのため、私の父は、「かんたんな漠然とした名前をつける」という決意のもと、私と兄に、それはそれはわかりやすい名前をつけてくれたのです。

私の名前は、わたしの生まれた年の前年で、いちばん多かった名前で、小学校では学年で同じ名前が3人と、非常にありふれた名前なのです。

大学に入り、公務員として生活していたころは、まったく気にしていなかったのですが、大学院に入り、研究所などに出入りしているときに気が付いたのです。

「同じ名前の人がいない。いや、少なすぎる。」

私の名前は、「健康で元気」という意味の名前なのですが、高等教育に進めば進むほど少ない名前なのです。私の知り合いで、日本最大の研究所に勤めている友人にもこの話をしたのですが、「たしかに、少ない。」と言われました。

私の名前と同じ読み方で、「賢い」という字が使われている人は何人か見たことがあるのですが。

それから、「かんたんな名前」である、ということにコンプレックスを持つようになってしまったのです。

 

名付けという大喜利

 そんな私に待望の赤ちゃんが! 生まれてくる子には自分のような気持ちにしたくないと思いました。

 しかし、名付けとは子の人生をかけた大喜利のようなもので、自分のセンスが問われるだけでなく、子の人生を左右するという、恐ろしく緊張する決断です。

 妻には、「あなたにすべてまかせる」といわれ、私の双肩にすべてがかかっているという状態になってしまいました。

 そこで、古今の書を読み、名前のヒントを得ようと考えました。あせりにあせった私が、まず当たったのは、『万葉集』、『古今和歌集』、『新古今和歌集』、『日本書紀』、『古事記』、そして、『論語』、『老子』、『荘子』と、中国の古典にも挑戦し、高村光太郎、谷川俊太郎、斎藤茂吉などの詩集にあたり、さながら元号を決めるがごとく、古今の書を読み漁りました。そして、メモをとりつづけたのです。

 メモをとっては、妻に発表、それを2ヶ月。

 語感や、意味、そして原典での内容など、いろいろと考え、名前を10案まで決めたのでした。

 

そして…

 そして、3月、予定日よりも1週間遅れての、陣痛、破水、出産。

 生まれた我が子を見た瞬間、「顔まるい!!」と思ってしまった私は、「名前は〇〇だ」と、最終案のリストに載っていない「健康、円満」を意味する名前を即決、妻も「たしかに丸い」とそれを承諾し、無事名付けが終了したのでした。

 あの名前のヒントを見つけ出そうと、頑張った2ヶ月ってなんだったのだろうと、今でも不思議な気持ちなのですが、いろいろと、わかったことがあります。

 生まれてくる子に「賢くなってほしい」と思えるほど、私は賢さが重要ではなく、やっぱり健康で、丸々と生きてほしいな、と思えたことです。

 名付けを通じて、自分の名前を好きになれた、そんな経験でした。