オニテンの読書会

文化・民俗や、オススメ本の紹介、思ったことも書きます。

クズ男が生きる意味を問う。ジョージ秋山『捨てがたき人々』

 気がつけばなんども読んでしまう不思議な魅力に包まれたマンガがあります。今回紹介するマンガ、ジョージ秋山作『捨てがたき人々』は、登場人物は人格に問題がある人々ばかり、物語もかなり悲惨なものなのですが、気がつけば、また読んでいる。不思議な魅力のあるマンガであると思います。 

捨てがたき人々 上 (幻冬舎文庫)

捨てがたき人々 上 (幻冬舎文庫)

 

  

 今回の記事では、この『捨てがたき人々』の魅力に迫ります!

 

●あらすじ

職を失い、生まれ故郷に帰ってきた狸穴勇介。不細工で、金も仕事も夢もなく、考えるのはセックスのことばかり。心の荒野を彷徨っていたある時、勇介は微笑みの宗教「神我の湖」に傾倒する京子と出逢い、執拗なストーキングの末にレイプする。二人は互いに嫌悪し合いながらも離れることができずに姦通を繰り返すようになるが。

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 あらすじにあるように、主人公はブサイクで、どうしようもない男です。どうしようもない男が、どうしようもないことをして、どうしようもない日々を過ごしていく。彼は、そんな生活の中、京子という女性に出会います。彼は、彼女を襲い、彼女は彼の子を身ごもり、産むことを決心します。

 

●嘆きながら、生きる人々

 この物語に出てくる人々は、心のつながりを求めながらも、それを得るために肉体的・性的に関係をもつことを選びます。主人公の狸穴勇介は、たびたび女性を襲い、短絡的に周囲の女性と関係を持ちます。彼の行動は、ただの性欲にまかせた行動であるようにも見えますが、彼自身の心にかかえる大きな絶望も感じさせます。

 彼は、肉体的なつながりのみで成り立った夫婦の間に生まれ落ちた、と自分自身を皆しています。だから自分には、セックスしかないのだと考えているのです。

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 彼にとって、肉欲はすべてにおいてもっとも重要なものですが、物語に登場する人々にとっても肉体的なつながりが、人とのつながり、また、生きる意味を見出すものとして描かれます。象徴的なシーンとして、結婚してから肉体を許してくれない妻に対して、憤悶し、自殺を選ぶ男性が描かれます。

 この作品において、貧/富、男/女、信心/不信心、さまざまな人々のあり方が描かれていますが、すべての人に共通するのが、この性への欲求、そして執着なのです。

 

 

●なぜ、生まれたのか

 この物語で、主人公が問い続けるのが、「なぜ、生まれたのか。」という自分の人生についての問いです。

なにゆえわたしは胎から出て、死ななかったのか。腹から出た時息が絶えなかったのか。なにゆえ乳房があってそれを吸ったのか。

 この物語では、上記の言葉が繰り返し、あらわれます。なぜ、産み落とされたのか。そして、なぜ生きているのか。この問いは、ジョージ秋山作品において、共通される問いであり、有名な作品では、『アシュラ』においても同様の問いを見ることができます。アシュラは「生まれてこなければよかったのに」と繰り返し呟き続けるのです。

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 この物語には、この問いへの明確な答えは出されていません。しかし、この物語の題名にあるように、「捨てがたき人々」、つまり、見捨てることのできない、弱い人間である彼は、人々と出会い、また、つながりを求め続けるのです。

 

 今回の記事では、ジョージ秋山作『捨てがたき人々』を紹介しました。生きることは、辛いことかもしれませんが、なぜ生きているのかを考え続ける彼の姿から、現代の虚しさを考えて欲しいと思います。 

捨てがたき人々 上 (幻冬舎文庫)

捨てがたき人々 上 (幻冬舎文庫)

 

 

一千年前のあきれるほどのラブソング_清原深養父は、会えても満足しない。

  こんな歌があります。

恋しいって、誰が作った言葉だろうね。死ぬっていった方が、合っているよ。ぼくのこの状態を言い表すのには。

 

逢ったとたんに、少し悲しくなってしまう。だって、いずれ別れがくることを知っているから。

 

夢で逢ったとして、それでどうやって心が慰められるっていうんだい。現実で逢えても、満足することなんてできないのに。

 

 う〜ん。恋に悩んでいます。この恋の歌を歌っているのが、なんと千年以上前の歌人、清原深養父(889~931に生存)なのです。深養父は、清少納言の曽祖父にあたる人物です。彼の残した和歌は、『百人一首』でも詠まれているので、ご存知の方も多くいらっしゃるのではないでしょうか?  

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 先ほど、例としてあげた歌ですが、実際の和歌は以下のようになります。(カッコ)の数字は、参照した新版 古今和歌集 現代語訳付き (角川ソフィア文庫) によります。

 

恋しとはたが名づけむ言ならむ死ぬとぞただに言ふべかりける(698)

 

逢ふからもものはなこそかなしけれ別れむことをかねて思へば(429)

 

うばたまの夢になにかはなぐさむうつつにだにもあかぬ心を(449)

 となっています。特に、最初の和歌は、わたしが清原深養父を知るきっかけになった歌でした。この歌が、大岡信さんの『折々のうた』にとりあげられており、中学生だったわたしは、大きな衝撃を受けたのでした。これは、まさに、思春期に、GOING STEADY、銀杏BOYZを聴いたような衝撃でした。

 「昔の人も、ぼくと同じように恋に悩んでいたのだなぁ」と、ものすごい普通の感想を抱いていたわけですが、大人になってこの歌人の和歌を読んでみると、まぁすごいんです。内容が!!

 もう、会いたくて震えるを超えてます。会えても満足しない。

 とにかく、恋に愛に飢えているのです。

 今回の記事では、清原深養父の恋の歌に迫ります!!

 《目次》

 

 

 

それでは、深養父の恋の世界に飛び立ちましょう!!! 和歌は、高田祐彦先生の訳を参考にわかりやすくしています。

離れていても、心はそばにいるよ、いや、ついていくよ。。。

深養父の恋心は、当然、相手が遠くにいても関係ありません。遠距離になると自然消滅するような大学生の恋愛ではないのです。(ちなみに、わたしは遠距離5年で、結婚しました。頑張れ遠距離恋愛!!)

はるか彼方にまで通う心は、あなたに遅れずについていくので、他人からは離れ離れに見えているかもしれないけれど、体が離れているだけだからね。

 

雲居にもかよふ心のおくれねば別ると人に見ゆばかりなり(378)

 この和歌では、離れていても、そばにいるよ、ついていくよという、執念ぶかさが伺えますね。

 

会っても満足できない、もう、わけかんない!

深養父は、好きな女性に会っても満足できません。吹きすさぶ恋の嵐、それが、深養父の世界です。

心というものは、理に合わないものだ。逢っているのにも関わらず、恋しいなんて。

 

心をぞわりなきものと思ひぬるみるものからや恋しかるべき(685)

逢っても逢っても恋しい、もう、どうして!! という深養父の恋心。 

 

恋しくて、死んでしまう、死んだら、誰のせいだろうね?

きわめつけなのが、恋が原因で死ぬ「恋死」!恋しくて死んでしまう、それだけなら、わかりますが、この歌は、少し怖いです。

ぼくが、 恋死にしたら、だれの名前がうわさになるでしょうね。あなたの名前ですよ。あなたは、ぼくの死を世の無常のせいにするとしてもね。

 

恋ひ死なばたが名は立たじ世の中の常なきものと言ひはなすとも(603)

 もう、怖いです。なんか、じっとりとしたス◯ーカー的な陰湿さを感じてしまいます。でも、それだけ、好きって伝えたいってことかも!!

 

恋は、因果応報!やさしくすればよかったよ! 

深養父の人間らしさは、好きではない女性に対しての和歌で、うかがい知ることができます。

ぼくのことを思ってくれたあの子を、ぼくも同じように思っていればよかった。ぴったり、いま、その報いを受けている。ぼくの好きな人が、ぼくを好きになってくれない。

 

思いけむ人をぞともに思はましまさしやむいなかりけりやは(1042)

 人間らしい、優しくすればよかった、という後悔をうたった歌です。みなさんも、こころあたりはありませんか?

 

今回の記事では、清原深養父の和歌を、恋心をすこし勉強してみました。1000年も昔に、なんだか今のJPOPの歌詞の世界が広がっていたようで、興味深いですね。

 

《参考文献》

 

新版 古今和歌集 現代語訳付き (角川ソフィア文庫)

新版 古今和歌集 現代語訳付き (角川ソフィア文庫)

 

 

 

 

 

 

落ちぶれたエリートがスターバックスで見つけた幸せとは? おすすめの洋書のご紹介 ーHow Starbucks Saved My Lifeー

 人生には、思わぬ落とし穴が つきものです。どんなエリートでも、どんな平凡な生活をしていても、その日常は突如目の前から消えてしまう。日々の生活には、そんな不安がつきまとってきます。

 今回、ご紹介する洋書、How Starbucks Saved My Lifeの作者は、裕福な家に生まれ、コネで大学に入学し、就職も大手企業にコネで入社、たちまちその企業でも昇進し、順風満帆な人生を送ってた、しかし、突如として、解雇。仕事もなく、ふらっと立ち寄ったスターバックスで、スタッフの女性に声をかけられます。「働きたい?」と。声の先を見ると、若い黒人の女性でした。思わず、「働きたい」と答えてしまう作者。

 わらにもすがる思いで、はじめた、生まれて初めてのカフェ店員生活、夢を追う若者と、レジに立つのが怖くて掃除しているばかりの老人のわたしは、それぞれの境遇や価値観を通して、人生を見つめ直すことになります。

How Starbucks Saved My Life: A Son of Privilege Learns to Live Like Everyone Else

How Starbucks Saved My Life: A Son of Privilege Learns to Live Like Everyone Else

 

 

 

 それでは、この本の面白さを、わたしになりご紹介したいと思います。

 

①アメリカのビジネス文化を知る。

 この作者が生き抜いてきたアメリカのビジネス社会、その社会の独特のルールを知ることができます。たとえば、ライバルを蹴落とすプレゼンの仕方や、待ち合わせをわざと遅れていくことで主導権をあらわすなど、さまざまなビジネス文化を紹介しながら、自分の人生を振り返っているので、ビジネス英会話を勉強している人ならば、とても勉強になるのではないでしょうか。 

 

②病気、離婚、解雇、直面する苦悩の数々を前向きに克服していく主人公

 この物語の主人公は、病気や離婚、そして解雇といった苦難に見舞われます。いままで順調だった人生が、突如として反転し、転げ落ちるさまは、痛快でもあり、気の毒でもあります。彼は、失意のどん底にいながらも、スターバックスで出会った人々と価値観によって、その問題を真正面から受け止めていくことになります。

 とくに、この物語では、スターバックスでの店員生活とともに、作者自身の半生を振り返ることになります。それは、どの人にもある懐古的な感情ですが、彼の場合、転落した「幅」が常人のそれではなく、現実と過去とが交互に描かれることによって、過去の話はまるで幻やおとぎ話のように感じられ、現実の話はビジネス書や自己啓発本のような感覚で読むことになります。

 前向きな気持ちになりたい方に、ぜひ読んでいただきたいです。

 

③英語の勉強に最適!!

 この本は、翻訳されているのですが、わたしは原文のまま読むことをおすすめします。英文も平易ですし、むずかしい表現もあまりありません。何よりも、翻訳版は、あまり日本語の表現が上手くなく、英文と違う印象を受けます。

ラテに感謝! How Starbucks Saved My Life―転落エリートの私を救った世界最高の仕事

ラテに感謝! How Starbucks Saved My Life―転落エリートの私を救った世界最高の仕事

 

  ここは、思い切って、洋書にチャレンジしていただきたいです。この本は、オーディオブックも充実しております。これを合わせて聞けば、リーディング能力だけでなくリスニング能力の向上にも効果ありです!!

How Starbucks Saved My Life: A Son of Privilege Learns to Live Like Everyone Else

How Starbucks Saved My Life: A Son of Privilege Learns to Live Like Everyone Else

 

 

 今回は、おすすめの洋書をご紹介いたしました。興味のある方は、ぜひチェックして見てください!!

 

 

 

 

台湾の『君が代』ー『君が代』を歌う祖母ー

 こんにちは。台湾出身、日本在住のキャロルです。今回は、台湾における「君が代」のお話をしたいと思います。 

【目次】

 

祖母が「君が代」を歌えるか、聞いてきた

 最近、台湾にいる祖母から「日本の国歌歌えますか?私は小さい時勉強したことはあるんだけど、今すっかり忘れてしまったよ。もう一度聞きたいね。」と、言われました。

 台湾出身の祖母は小学生の頃、日本の植民地時代の教育を受けたことがありますので、たまにその時の話を私に話してくれます。

 ところが、祖母の「君が代を歌ってほしい」との、お願いに応えられることができませんでした。日本に留学しても、野球などの国際試合を鑑賞する習慣はあまりなかったので、ちゃんと日本の国歌を聞く機会がなく、「君が代」について私は曖昧な記憶しかなかったからです。

  歌詞を見てみても、

君が代は

千代に八千代に

さざれ石の

いわおとなりて

こけのむすまで

…なんとなく意味がわかるような、わからないなっていうのが最初の印象でした。

 

 これを機に、辻田真佐憲の著作『ふしぎな君が代』を読み始めました。

 

ふしぎな君が代 (幻冬舎新書)

ふしぎな君が代 (幻冬舎新書)

 

 

皆様は多分「国歌」を聞いたり歌ったりする経験がありますが、国歌はどのように国を代表する歌になるのかにつきまして、知っている人は比較的少ないでしょう。『ふしぎな君が代』は「なぜこの歌詞」、「誰が作曲」、「いつ国歌になった」、「いかに普及した」、「どのように戦争を生き延びたのか」、「なぜいまだに論争的になるのか」などの問題から発し、詳しく、かつ分かりやすい文章で「君が代」の巡る歴史を解説しました読み応えのある著作です。 

 

「君が代」形成を知る

 「君が代」が国歌になる経緯は、意外とその場しのぎのものだったようです。

 1869年英国王子アルフレッドの訪日に伴い、外交の礼儀として国歌の演奏が必要となりました。英国の国歌「God Save the Queen」に対して、それまで国歌の概念ですらなかった明治新政府は、悩んだ挙句、古歌「君が代」に目をつけます。

「君が代」は江戸時代、将軍家の元旦の儀式で使用された歌でしたが、「君」を天皇の意味でとれば、天皇の万歳を寿ぐための歌にもなるため、国歌の歌詞として提案しました。歌詞の案が受け入れた後、琵琶歌「蓬莱山」の一節を用いて、洋楽の形式で譜面を起こし、君が代の「原型」を作り出しました。

 急いで作った歌なので、歌詞とメロディーが合わない問題が後に指摘されます。この問題に対応し、宮中の雅楽の伶人に願い、新たな旋律を作りました。その後、ドイツの海軍楽教師によってアレンジを加え、現行の「君が代」が完成しました(本当に大雑把ですみません、興味のある方はぜひ『ふしぎな君が代』を読んでください!)。

ふしぎな君が代 (幻冬舎新書)

ふしぎな君が代 (幻冬舎新書)

 

 

 ちなみに、外交の場として使用された以前、古歌「君が代」もまた様々な文学作品や謡曲に登場したことがありまして、統治者の治世が長く続ける歌以外、健康長寿を願う歌、めでたい歌として捉えられました。 

 現行する「君が代」が作り出した後、別の曲や歌に変更する模索はありましたが、1893年「祝日大祭日歌詞竝楽譜」の公布によって、君が代が実質上の国歌になり、小学校でも歌えるようになりました。

 

 

台湾の「君が代少年」ー植民地支配と『国歌』ー

 第二次世界大戦の幕開けと共に、「君が代」を歌うことも、愛国の象徴として捉えられるようになりました。

 一例として、1942年に改定された『初等科国語三』の教科書に登場したた「君が代少年」の話です。

 少々長く、古い表現もありますが、全文をここで掲載します。

 

君が代少年(出典

  昭和十年四月二十一日の朝、台湾で大きな地震がありました。

  公学校の三年生であった德坤という少年は、けさも目がさめると、顔を洗ってから、うやうやしく神だなに向って、拝礼をしました。神だなには、皇大神宮の大麻がおまつりしてあるのです。それから、まもなく朝の御飯になるので、少年は、その時外へ出てゐた父を呼びに行きました。

  家を出て少し行った時、「ゴー。」と恐しい音がして、地面も、まはりの家も、ぐらぐらと動きました。「地震だ。」と、少年は思ひました。そのとたん、少年のからだの上へ、そばの建物の土角がくづれて来ました。土角といふのは、粘土を固めて作った煉瓦のやうなものです。

  父や、近所の人たちがかけつけた時、少年は、頭と足に大けがをして、道ばたに倒れてゐました。それでも父の姿を見ると、少年は、自分の苦しいことは一口もいはないで、「おかあさんは、大丈夫でせうね。」といひました。

  少年の傷は思ったよりも重く、その日の午後、かりに作られた治療所で手術を受けました。このつらい手当の最中にも、少年は、決して台湾語を口に出しませんでした。日本人は国語を使ふものだと、学校で教へられてから、徳坤は、どんなに不自由でも、国語を使ひ通して来たのです。徳坤は、しきりに学校のことをいひました。先生の名を呼びました。また、友だちの名を呼びました。

  ちゃうどそのころ、学校には、何百人といふけが人が運ばれて、先生たちは、目がまはるほどいそがしかったのですが、徳坤が重いけがをしたと聞かれて、代りあって見まひに来られました。「先生、ぼく、早くなほって、学校へ行きたいのです。」と、徳坤はいひました。「さうだ。早く元気になって、学校へ出るのですよ。」と、先生もはげますやうにいはれましたが、しかし、この重い傷ではどうなるであらうかと、先生は、徳坤がかはいさうでたまりませんでした。徳坤は、涙を流して喜びました。

  少年は、あくる日の昼ごろ、父と母と、受持の先生にまもられて、遠くの町にある医院へ送られて行きました。その夜、つかれて、うとうとしてゐた徳坤が、夜明近くなって、ばっちりと目をあけました。さうして、そばにゐた父に、「おとうさん、先生はいらっしやらないの。もう一度、先生におあひしたいなあ。」といひました。これっきり、自分は、遠いところへ行くのだと感じたのかも知れません。

  少年は、あくる日の昼ごろ、父と母と、受持の先生にまもられて、遠くの町にある医院へ送られて行きました。その夜、つかれて、うとうとしてゐた徳坤が、夜明近くなって、ばっちりと目をあけました。さうして、そばにゐた父に、「おとうさん、先生はいらっしやらないの。もう一度、先生におあひしたいなあ。」といひました。これっきり、自分は、遠いところへ行くのだと感じたのかも知れません。

  それからしばらくして、少年はいひました。「おとうさん、ぼく、君が代を歌ひます。」少年は、ちょっと目をつぶって、何か考へてゐるやうでしたが、やがて息を深く吸って、静かに歌ひだしました。「きみがよは,ちよに,やちよに」

  徳坤が心をこめて歌ふ声は、同じ病室にゐる人たちの心に、しみこむやうに聞えました。「さざれ,いしの」小さいながら、はっきりと歌はつづいて行きます。あちこちに、すすり泣きの声が起りました。

  「いはほとなりて,こけの,むすまで」終りに近くなると、声はだんだん細くなりました。でも、最後まで、りつばに歌ひ通しました。君が代を歌ひ終った徳坤は、その朝、父と、母と、人々の涙にみまもられながら、やすらかに長い眠りにつきました。

 

 明らかに皇民化政策の宣伝ですが、最後のシーンは丁寧な筆致で描かれています。上手な表現だなと思いました。これを用いた授業を、日本をはじめ、台湾、韓国、中国、シンガポール、マレーシアなど、日本の植民地支配の下の小学生が、勉強したのです。内容も、若干真実性を疑われそうな記述はありましたが、德坤少年は「詹德坤」という実在した男の子で、台湾の北西部の苗栗に住んでいまして、1935年の大震災で亡くなったことも事実でした。

 陳其澎の論考によると、1935年4月21日、震度7.1の地震によって、台湾の中部地域は3千人以上がなくなり、詹德坤もその一人でした。震災後の三日目、詹德坤は重傷して、意識不明な状態で入院した。校長が生徒たちの見舞いに来る際に、詹德坤がいきなり「君が代」を歌い出し、歌い終わらないで亡くなったという事件が発端でした。

 1936年4月23日、詹德坤少年の一周忌に、社会からの寄付によって德坤少年の等身大銅像が建立され、開幕式を行いました。その後、その小学校の生徒たちは、登校と下校の際では銅像に敬礼することが要求されました。また、命日の際には日本の僧侶を銅像の前に招いき、校長、行政、詹德坤の家族、学校の教師や生徒たちは、みんな儀礼を参加するといいます。

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 亡くなった7年後、詹德坤は愛国の模範的な「君が代少年」として日本の教科書に登場し、海を渡って知られるようになりました。

 この銅像の後日談ですが、苗栗の大学が主催したイベントで、その後の德坤少年像の行方について以下ことがわかりました。

・政治関係で、日本敗戦以降銅像は撤去されました。

・銅像は詹德坤の母と姉によって実家に持ち帰られ、重くて不便で、通行人に怖がられるため、その銅像を売ってしまいました。得たお金を使ってポンプを買い、「まるでお兄さんが家族のために水を運んでくれたような」と、詹德坤の弟が言ったそうです。

 

「君が代」を歌う祖母 

最後に、再び私の祖母の話ですが、

日本の国歌が聞きたい祖母のために、その後私は「君が代」でyoutubeで検索をかけました。歌を聞いた途端、祖母は歌詞に沿って「君が代」を歌い出しました。

「君が代」は彼女にとって、国の歌や日本を代表する歌というよりも、むしろ幼いころを思い出す一つの鍵なのでしょう。

 

 

 

 

参考文献

陳其澎. “框架” 台湾: 日治時期殖民現代性的研究 台灣文化研究学会論文集, 2003. 

三輪昭子、「現代台湾から考えた日本」、『地域社会デザイン研究』2016

2011年12月4日、「国歌少年」

 

ふしぎな君が代 (幻冬舎新書)

ふしぎな君が代 (幻冬舎新書)

 

 

運営者追記

辻田真佐憲さんの本は、運営者のタカギスグルも大好きです。彼の著作は、面白く、かつ恐いと感じさせる力があります。歴史を知ることで、今を知ることができる。その媒介になってくれるような、力のある研究家だと思います。ぜひ読んでいただきたい、と思っています。

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(自宅書斎にて、辻田氏著作を並べてみました。)

 

大本営発表 改竄・隠蔽・捏造の太平洋戦争 (幻冬舎新書)

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たのしいプロパガンダ (イースト新書Q)

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「だから、神を信じた方が良い」の説明が、まったく納得いかなかった話。

 みなさんは、神様や仏様の存在を信じていますでしょうか?

 わたしは、特に宗教を信じてはいませんが、神様はいてもいなくてもいいなぁ、と思ったり、いた方がいいんじゃないか、と思ったりと、無神論者とも言い切れない曖昧な立場です。

 でも、毎年初詣には行きますし、墓参りもします。

 友人には、お坊さんや宗教集団の幹部、ムスリム、キリスト教徒(プロテスタント、カトリック、ハリストス)などなど、がおりまして、わたし自身も、マレーシアに1年間住んでいた時に、ムスリムの方と一緒に生活した経験があります。

 ですから、信仰している人を差別したり、バカにする気持ちはありません。信じる人もいて、信じない人もいる、そんな世界が良いのではないかなぁ、と思っています。

 

 そんなわたしが、学生時代に、お坊さんにトクトクと「だから、カミの存在を信じたほうが良い」と説明されて、まったく納得がいかなかった話を書きたいと思います。

 《目次》

 

 

 お坊さんのお話ー神様の存在を賭けてみるー

 今から10年以上前、わたしが学生時代の話です、あるお坊さん(50歳くらい)とお話する機会がありました。会話の途中、わたしが基本的には宗教を信じていないと知ると、そのお坊さんは、こんな話をしてくれました。 

神様がいるか、いないかを賭けたとき、神様が存在しているほうに賭けたほうが良いって知ってるかね。

神様が存在しないなら、神様を信じていたとしても信じていなかったとしても、天国も地獄も存在しないから死んで得るものも失うものも何も無い。
だけど、神様を信じて、神様が存在したのなら、死後に天国に行くことになり、受け取るものは無限大になる!!

だから、神様の存在する可能性がいくら低くても、いた場合に得るご利益が大きいから、いるって賭けたほうが良いんだよ。

 これを聞いたわたしは、はっきりとこう思いました。

 「神様を賭けの対象にするなんて!!」と。

 信じているとしたら、賭けの対象にするということは、卑近な自分の理解が及ぶものとして、神を認識していることになるのではないでしょうか。そこには神の持ち得るであろう無限、永遠性を前提にしているとは思えませんでした。

 絶対的で、尊敬するべき、神さまを賭けの対象にするということは、さすがにやりすぎなんじゃないの?

 合理的に説明したいというのは、わかります。しかし、神とは、そんなものが及ばないほど、強大なのでは?いや、そう思うべき存在であるのでは?

 こう、学生時代のわたしは思ったわけです。全く納得がいかない。

 信じたら、利益があるとかないとかじゃなくて、そんな損得勘定がないのほうが、信じられる神様も嬉しいのでは?と思ったわけです。

 どっちファーストなの?ということかもしれません。

 

神の賭けーパスカルの賭けー

 お坊さんが、お話ししてくれた神様の存在を賭けるという話ですが、これには、引用元があるのです。(このことは、それから5年後に気がつきました!)

 引用元は、パスカル(1623-62)の『パンセ(Pensées)』という本です。あの「人間は考える葦である」で有名なパスカルです。この本は、パスカルの死後に、生前に執筆を企てていた草稿をまとめたものになります。

 パスカルは神の存在について、いるかいないかを賭けた場合の、利益を考察しています。

パンセ (イデー選書)

パンセ (イデー選書)

 

神はあるという表のほうを取って、損得をはかってみよう。二つの場合を見積もってみよう。もし勝ったら、きみはすべてをえるのだ。負けても、何もうしないはしない。だから、ためらわず神はあるほうに賭けたまえ。(パスカル(由木康訳)『パンセ』 102−103頁) 

  もうすでに人生は進んでいる、この人生の中で、神の存在を信じるか、信じないかの問いが突き付けられる、ならば、信じるほうに賭けたほうが良い、ということです。

 

パスカルへの反論ーヴォルテール『哲学書間』ー

 パスカルのこの「神の存在への賭け」に、疑問を投げかけた著名な人物がいました。その人こそ、『寛容論』などで知られるヴォルテール(Voltaire 1694-1778)でした。

 ヴォルテールは、パスカルの賭けについて、『哲学書簡(Lettres Philosophiques )』において、こう反論します。

哲学書簡 (光文社古典新訳文庫)

哲学書簡 (光文社古典新訳文庫)

 

「神が存在するほうに賭けないのは、神が存在しないほうに賭けること」だというが、これは明らかにまちがっている。なぜなら、神の存在についてまだ疑念をもち、もっとはっきりしたことを知りたいと思っている人間は、きっと、そのどちらにも賭けないからである。

 おまけに、この断章はいささか品がなく、しかも幼稚だ。賭けとか損得といった観念は、テーマの重たさにまったくそぐわない。 (ヴォルテール(斎藤悦則訳)『哲学書簡』 268-269頁)

 

 この箇所を読んだ時に、わたしと同じように、疑問をもった人がいるとわかり、とても安心しました。やはり、ヴォルテールは、信頼できる、と思いました。

 神はいるかいないか、わからない。いないかもしれない。でも、いてほしい。そんな葛藤がある人を見ると、わたしは、安心するのかもしれません。

 

ボランティアをする僧侶の話

 わたしの大学の後輩に、いま病院や被災地でボランティアをしているお坊さん(20代後半)がいるのですが、彼に一度聞いてみたことがあります。彼は、ある宗派の総本山で3年間、世間からまったく隔絶された状況で修行していた若者でした。

 「信じたほうが良いの?」と、わたしが不躾に聞くと、

 彼は、苦笑いをしながら、

 「それは、よくわからないんですよね。」と答えてくれました。

 パスカルの言うように、賭けたほうが良いと言われて、賭けれる人って、本当に少ないのではないでしょうか。合理的に説明しても、それに乗り切れる人って、どんなことでも少ないのではないのかなぁ、と思いました。

 

 そして、なによりも、死んだら、彼に弔ってもらおう、と思いました。

 

 みなさんは、「神の存在を賭ける」という説明に納得いきますでしょうか?

 

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 (自宅の書斎にて、最近『哲学書簡』を買いました。)

 

  躓いても、向かうしかないのでしょうか。躓きながらでも、前に進もうとする人のほうが、わたしは好きなのかもしれません。猪突猛進な人よりも。

 

 

 

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台湾のゲイコミュニティを描く『孽子』〜1970年代の青春と同性愛〜

2017年5月24日、台湾では大法官会議において、同性愛者の結婚制限は違法だという判決を下りました。反対する人々も多くいましたが、同性婚を社会的に認めるに大きな一歩としてとらえられています。

 

今回は1970年代台湾のゲイのコミュニティを描いた小説、『孽子』(げっし)(1983)を紹介していきたいと思います。

 『孽子』(げっし)は台湾では、有名な作品です。
作者白先勇の文学的な評価が非常に高く、1983年に出版され、1986年の映画化、2003年のドラマ化が反響を呼び、台湾においては、若者から年寄りまで知っている作品だと思います。

 

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2003年のテレビドラマの宣伝写真。(蓮の花を持っているのは、「阿鳳」という伝説のキャラクターです。)

 

 変な順番ですが、あらすじに入る前にまず小説の冒頭部分を読んでみましょう!

3ヶ月と10日前、異様に晴れたある朝、父は私を家から追い出した。陽射しはうちの路地を真っ白に照らし、私は素足で一生懸命に外に逃げ出した。路地口に着き、私は振り返って、後ろから追いかけた父を見た。彼の巨大な体はゆらゆら揺れ、片手で昔中国大陸で団長だった際に使った自衛銃を振り回し続けた。斑らの髪は立っているようにもみえ、血走った目が怒りの炎を発した。彼が、悲しみと、怒りに震えたしわがれた声で叫んだ:畜生!畜生!、と。

『孽子』1983(1992)、P.1

 

この冒頭部分で、読者を作品の世界観に引き込みます。
今、手元は中国語のバージョンしかないので、自分勝手に訳しました。
ちゃんとした訳文を見たい方はぜひ日本語の訳を参照してください

 

Nieh-Tzu (げっし)  新しい台湾の文学

Nieh-Tzu (げっし)  新しい台湾の文学

 

 

あらすじ

主人公は「李青」という男子高校生です。
彼は学校で同性間の「不適切な行為」により、退学処分となりました。
先ほど紹介した冒頭の部分は、その退学を知らせを受けた父親が彼を家から追い出したシーンです。父に追い出された後、李青は数多く男性の同性愛者が集まる「新公園」(現在の「228記念公園」)を放浪します。彼のような若者達は、各々の夢や希望を抱きながら「新公園」に集まった中高年男性に体を売り生きていました。
「新公園」に集まった同性愛者達は、青春な匂いを放す若者もいながら、体が弛んだ男性もいたり、歳をとっている元俳優の老人もいました。
『孽子』は、同性愛を中心に取り扱った小説ですが、「恋愛」や「性」についての描写にはあまり重みをおいておりません(これは「恋愛」や「性」の方は重要じゃないという意味ではなく、むしろ普通すぎて、強調する必要がなかったかもしれません…)。その代わりに、冒頭であるように、家族、特に「父」との関係を丁寧に描いていきます。

 

「孽子」とは?

辞書を調べているところ、タイトルの「孽子」は二つの意味があります。

一つ目は、妾が産んだ、あまり愛されていない子の意味で、もう一つ目は、親不孝の子どもを指しています。

親に愛されていない子と、親不孝な子、「愛」を発する主体と権力関係は、一見真逆な立場ですが、不思議に物語に合致しています。

また、父との関係以外、母、兄弟との関係、「新公園」のコミュニティ内とコミュニティ外の人との関係など、主人公のアイデンティティの転換や感情を着目し、非常に細かく描写しています。

 

 

物語の舞台、「新公園」という場所
「新公園」は現在「二二八記念公園」に改名し、交通の中枢である台北駅から徒歩10分ー15分ぐらいの距離です。地下鉄(MRT)台大病院駅の4番出口から出たらすぐそばにあります。

「新公園」は、1908年日本植民地時代の時に建てられた台湾最初のヨーロッパ風公園です。1935年で行われだ台湾博覧会の会場の一部でもあります。国立台湾博物館もその中にあります。
元々新公園と呼んでいましたが、1996年の際に、「二二八記念公園」に改名しました。
新公園境内には異なる時期で建てられた建物がありまして、非常に興味深いところでした。その歴史は今後改めて書きたいと思います。『孽子』の中では、「新公園」のことを「王国」と呼び、以下のように描写しました。

我々の王国では、黒夜しかなく、白昼はなかった。…………我々の国境の端っこに、幾重にも重なった熱帯の樹々が植えられ、ミドリサンゴ、パンノキ、そして年をとって葉っぱが落ちそうなヤシが何層も纏わりついていた。道路沿いで毎日頭を振り回した大王椰子が、まるで緊密な柵のように、我々の王国を隠し、外の世界と隔絶させていた。…………

『孽子』1983(1992)、P.2

本当に熱帯的で、湿気と重みを感じさせる文章です。
1950年代あたりから、新公園や台北駅近辺などはすでに男性同性愛者などの出会いの場として利用されました。日本でいうところの「ハッテン場」というものでしょうか?

ただし、1970年代以前、「同性愛」という概念があまり知られなく、新聞においては「性的変態」、「人妖」(オカマ的なニュアンス)などで括りました。1970年代、「ゲイバー」のような交際場所がまだ盛んになってない時、新公園は男性同性愛者の間に、一つ有名な出会いの場でした。

他人との繋がりを求める際に、公園内で徘徊して、目つきや手つきなどを通して、相手を見出しました。

小説の中では、かなり独特な雰囲気を醸した新公園ですが、現在、ごく普通の公園の感じです。子ども達も園内で遊んだりして、栗鼠も鳩などの小動物も生息しています。本当に気軽に行ける場所なので、聖地巡礼(?)に興味のある方台北を訪ねる機会がありましたらぜひ(笑)。

 

1970年代の台湾に生きた若者たち
ここで非常に非常に大雑把に、台湾の歴史を振り返しましょう。
17世紀から、中国南部からの漢民族の移民が徐々に増加しました。
1895年、下関条約で台湾が日本の植民地になり、1945年までの50年間は日本の管下に入りました。戦後、中国国民党政府の管下に入り、中国国民党政府は台湾へ敗走することによって、中国各地から軍人や難民も数多く台湾に移住しました。
戦前から台湾に住んでいる人々(本省人)戦後台湾に移住する人々(外省人)との間の軋轢は、長い間台湾の政治的問題になっています。

作者の白先勇の父、白崇禧は戦後から来た元将軍です。
彼は非常に有名で、国防部長(日本の防衛大臣に相当するポジション)を就任したこともあります。ちなみに、彼はムスリムだということも有名です!
生まれた環境にも関連し、白先勇のもう一つの有名な短編小説集『台北人』(1971)は、戦後、やむを得ず台湾に移住した外省人たちの心境を描いた物語の集大成となっています。
中国で家族、恋人を持ち、少年時代を過ごした彼らにとって、台湾での生活は窮屈で、常にどこかで喪失感を感じていました。

 

台北人 (新しい台湾の文学―現代台灣文學系列)

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『孽子』の主人公の李青の父は、外省人の退役兵士で、いつも『三国志』を読んだり、軍人時代に配れられた銃の手入れをしていました。
中国こそ故郷の『台北人』世代(主人公の父など)と異なり、二代目の李青は台湾で成長し、中国のことについてあまり思い出がありませんでした。
主人公の李青のみならず、外省人の二代目の龍子も台湾(新公園)を帰る場所と認識しました。アメリカで10年間生活した彼は、最終的には、ここに戻ってきたのです。

また、主人公の友達、小玉、の父親は日本の華僑です。彼の父は、母の妊娠期間中に帰日しまして、それから音信不通になりました。小玉の願いは日本に行って父を探し出すことです。

『孽子』の登場人物たちは、『台北人』世代と違って、過去の思い出や栄光に浸ることはなく、いろいろ試しながら、1970年代の台湾で精一杯に生きています。

 

 

少し前提知識が必要なので、いきなり小説を読めるかどうかに自信のない方は、2003年のドラマ版を視聴した方が良いかもしれません。小説内容や設定は幾つか違う部分がありますが、あらすじや物語の設定は、わかりやすくなっています。

 

ニエズ?Crystal Boys [DVD]

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ドラマの中の一つ面白いところは、楊金海(上図、右から二番目)や老周などの年寄りのゲイの方は、原作と異なり、結婚していた(離婚や死別ですけど)設定です。結婚していましたので、娘も持っていまして、元奥さんや娘との関係も注目するポイントです。ドラマの中に、「正常」の世界から隔離した王国というよりも、むしろ主流の価値観からの凝視、そして理解しようとする目線が含まれているでしょう。

 

繰り返しになりますが、『孽子』は単なる禁忌された恋愛を謳ったものではなく、むしろ「新公園」にいる同性愛者のコミュニティの様子を描いた作品だと思います。作者の白先勇も、「『孽子』は同性愛者を描くもので、同性愛そのものではなかった。本の中にはあまり同性愛の描写がなく、登場人物は圧迫を受けた人間です。」と述べました。 

 

同性結婚の容認が進んでいる一方、改めて『孽子』を読み返すのも良いかもしれません。

 

 同性愛については、明治期の鹿児島県(薩摩藩)の男色文化について記事を書いております。どうぞ、ご覧くださいませ!!2018年の大河ドラマ「せごどん」についても、触れています!

www.oniten-yomu-book.com

 

 

 

 

 

主な参考文献

國立中央大學 歷史研究所 修士論文: 孽子的印記—臺灣近代男性「同性戀」的浮現

教育部重編國語辭典修訂本

 

 

 

読者の方を大募集しております。興味を持っていただけた方は、是非、下のボタンをポッチッと押してくださると嬉しいです!!

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本が溢れてくる瞬間に。 インプットとアウトプットの境界線に立って。

 みなさんは、本を読んでいる途中で、突然読み進めることができなくなってしまうことはないだろうか。わたしは、月に10冊から20冊ほど本を読むのだが、5〜10冊ほど連続して読むと、吐き気や怒りにも似た感情が沸き起こり、本を読み進めることができなくなってしまうことが、よくある。

 わたしは、この瞬間を「本が溢れてくる」瞬間と捉えている。この瞬間は、本の途中にやってくるのか、読み終えた時にやってくるのか、それはよくわからない。ただ、この瞬間から、本を読む、活字を追うことができなくなってしまう。

 無理に読み進めようとも、すんなりと文字や表現が入ってこなくなってしまうのだ。それは、この瞬間に突如、怒りにも似た感情に襲われることによる。「吐き出したい」そんな気持ちで一杯になってしまう。

 だから、小説を読んでいたなら、「この表現は必要なのか」、「主人公の行動に意味はあるのか」、「そもそもこの小説ひどくないか」などと、ページに直接「小言」を書きなぐる。学術書であれば、よりひどくなる、とにかくツッコミまくる。のべつまくなしに、ツッコむ。それは、読むことから、「吐く」ことに強制的に移行させられている、そんな感覚だ。

 この時、わたしは本を読むことを止める。生活の中から、読書の時間を消してしまう。そして、「吐き出したい」言葉を、書きなぐることにしている。この感覚に初めて、襲われたのは高校生の時だった。ブログやSNSをしていなかったあの頃、わたしは、ノートに言葉を書き散らかしていた。それは、論理的にも、文章的にも、内容も意味も、まったく理解ができない、めちゃくちゃなものだった。『千と千尋の神隠し』で、カオナシが、呑み込んで来たものを吐き出すシーンがあるが、あれは、読んできたもの、見てきたもの、勉強してきたものが、うまく表現できない、不恰好さのメタファーなのかも、と思った。

 閑話休題。大人になると、吐き出される言葉も、落ち着いてきた。書きたいことを、書けるようになったのかもしれない。

 この「本が溢れてくる瞬間」は、アウトプットに最適な時間に変わっていった。学生時代は、レポートや論文を進めることに役立った。今でも、ノートに書きなぐる。人に見られたくないノートができあがる。しかし、書かずにはいられない。

 インプットとアウトプットの境界、読書量がある一定を越えた瞬間に、書かずにはいられなくなる。それは、嘔吐や排泄に似ている。呑み込んだものが良質であれば、吐き出すものもそれに呼応し、質もよくなるのかもしれない。

 

 今回は、読書をするたびに、わたしに訪れる「本が溢れてくる」瞬間について書いた。みなさんは、これに似た経験をしたことがあるだろうか。

 

 

 

何も起きない探偵の物語。ポール・オースター『幽霊たち』

【108円本屋大賞】

某大手古書店チェーンに存在する100円均一棚。それは、売れ残り、値段が下げられ続けた本たちが、最後に行き着く、最果ての地である。しかし、そんな棚にも、傑作、名作が眠っている。そんな本を救い出し、読み、人に勧めたら、、、

と思った、わたしが始めるシリーズです。

 

今回、ご紹介する本は、ポール・オースター『幽霊たち』です!!

幽霊たち (新潮文庫)

幽霊たち (新潮文庫)

 

 あらすじ

私立探偵のブルーは奇妙な依頼を受けた。あきらかに変装したとわかる格好のホワイトから、ブラックを見張るように、という依頼だった。ブラックの住む部屋の真向かいの部屋から、ブルーは見張りを続ける。だが、ブラックの日常に何の変化もない。ブルーは、ただ毎日何かを書き、読んでいるだけなのだ。ブルーは空想の世界に彷徨う。ブラックの正体やホワイトの目的を推理していくが、実態はつかめない。次第に、ブルーは焦燥と不安に支配されていく。

  

 この物語は、探偵のブルーが主人公なのですが、ほぼ最後まで何も起きません。何も事件が起きていないのに、読み進める手を止めることができない、そんな小説になっています。事件は、起きないけれど、小さな感情の起伏、追い詰められていく主人公を丁寧に描く文学作品となっています。

 

それでは、わたしのオススメポイントです!!

①何も起こらないことからくる、実存的不安、そして「書くということ」

 この小説では、ブラックと、彼を見張るブルーの間には、まったくといっていいほど何も起きません。しかし、その何も起きない日常の中で、「自分とは何か?」、「自分はどうしたら良いのか?」という問いに、ブルーは苛まれ続けるのです。彼は、何もしない男を見続けることにより、自分の存在意義への疑問を抱くことになります。

 また、この小説では、書くということも、重要な要素となっています。書くことは、もちろん読む人がいることが前提ではありますが、孤独な作業です。孤独な作業であるからこそ、自分を見つめることになります。

 

 

②他者とは、何かを考える。

 ブルーは次第に、ブラックに対して、時に親近感をおぼえ、一体となった感覚に陥り、時には暗澹たる孤独感に襲われます。彼は、ブラックによって支配された、(もしくは見放された)感覚と戦うことになります。

 ここで、着目したいのが、他者とは何だろうということです。他者は、自分を表す鏡でもあります。また、自分が、こうありたいと思った時に、他者によって自分を形作ることもあるのではないでしょうか?

 この物語は、鏡となった二人の他者の物語です。

 

 

③幻想的な世界観に身を浸して

 この本では、登場人物のほとんどがブルーやブラックといったように、名前が色で表されています。そして、ニューヨークを舞台に、詳細な街並みの描写と、色彩をもつ名前のコントラストにより、幻想的な世界観が生み出されています。あたかも、街並みや情景が、色を失ったように感ぜられるのです。

 とくに、ブルーが見張る男の名はブラックです。彼を見続けることにより、ブルーは憔悴していきます。それは、あたかも、漆黒の暗闇に、色彩が奪われていくような感覚なのです。

 

 

④翻訳がカッコいい!!

 著者のポール・オースターは、1980年代のアメリカ文学を代表する作家ですので、文章が美しいのはもちろんですが、この本の翻訳もまた素晴らしいのです。

 冒頭の文章を見てみましょう。

まずはじめにブルーがいる。次にホワイトがいて、それからブラックがいて、そもそものはじまりの前にはブラウンがいる。ブラウンがブルーに仕事を教え、こつを伝授し、ブラウンが年老いたとき、ブルーがあとを継いだのだ。物語はそのようにしてはじまる。舞台はニューヨーク、時代は現代、この二点は最後まで変われない。ブルーは毎日事務所へ行き、デスクの前に坐って、何かが起きるのを待つ。長いあいだ何も起こらない。やがてホワイトという名の男がドアを開けて入ってくる。物語はそのようにしてはじまる。(5ページ)

 どうでしょうか?カッコよくないですか?わたしは、この冒頭を読んで、これは名作だと思い買いました。そして名作でした。

 

 

 このようにカッコいい文章が続きます。

    秋の夜長にぜひこの本を手に取ってみてください。

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(読んだ証として、写真を載せておきますw)

 

 

【108円本屋大賞】シリーズです!! 100円で読める名作たち、お近くの本屋さんでチェックしてはいかがでしょうかw

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盲目の少女が、《見た》残酷な真実とは? ジッド『田園交響楽』

【108円本屋大賞】

某大手古書店チェーンに存在する100円均一棚。それは、売れ残り、値段が下げられ続けた本たちが、最後に行き着く、最果ての地である。しかし、そんな棚にも、傑作、名作が眠っている。そんな本を救い出し、読み、人に勧めたら、、、

と思った、わたしが始めるシリーズです。

 

 今回ご紹介する本は、ノーベル文学賞受賞者である、フランス人作家、ジッドの『田園交響楽』です! 

田園交響楽 (新潮文庫)

田園交響楽 (新潮文庫)

 

 あらすじ

 

身寄りなく、まったく無知で動物的だった盲目の少女ジェルトリュードは、牧師に拾われ、その教育の下でしだいに美しく知性的になっていった。しかし待ち望んでいた開眼手術の後、彼女は川に身を投げて死んでしまう。開かれた彼女の眼には何をみたのだろうか。牧師と盲目の少女、牧師の妻と息子との四人の愛情の紛糾、緊張を通して、「盲人もし盲人を導かば」の悲劇的命題を提示する。 

田園交響楽 (新潮文庫)

 

 この小説は、ジッド(1869~1951)は、フランスの作家で、1947年にノーベル賞を受賞しています。彼は、厳格なプロテスタントの家庭に生まれたのですが、そうしたキリスト教的背景が、この小説を支えるものととなっています。

 それでは、わたしのオススメポイントです!!

 

①慈悲か、悦楽か? 盲目の少女への献身

 この小説は、主人公の牧師の視点で描かれます。牧師である彼が、残した手帳の日記が、物語となっているという、一人称視点の小説です。牧師である彼は、聾唖であった老婆に育てられた、盲目の少女ジェルトリュードと出会うことから、この物語は始まります。彼女は、話すことはおろか、反応することもありません。しかし、牧師の教育により、しだいに言葉を覚え、聡明な女性へと成長します。

 牧師の主人公は、彼女の保護を、神から与えられた運命と考えます。慈悲の心から、と彼は言うのですが、だんだんと美しい少女であるジェルトリュードの魅力に引き寄せられてしまいます。

 それは、「醜いもの」、「汚いもの」を見ていない、知りもしない、彼女を、神聖視するかのようです。

 彼は、慈悲と言いながらも、純真で、保護を必要とする少女への、《教育》をやめることができないのです。それは、すでに慈悲の枠を超えたものでした。

 

②不思議な四角関係

 この彼の活動を、こころよく思わない人々も、います。彼の妻です。彼の、過度な献身を咎めるのですが、牧師の彼は、意に介さず、妻を歪んだ、醜いものと感じてしまうのです。また、彼の息子は、美しいジェルトリュードに思いを寄せます。息子の恋慕を感じ取った主人公は、息子を遠ざけようとするのです。

 彼は、息子や妻といった家族と、ジェルトリュードとの間に立ち、思い悩むのですが、それでもやはり、彼女への愛情を止めることはできません。

 この家族を巻き込んだ、父親の献身は、不思議な恋愛関係となって、物語を彩ります。

 

③開眼手術、そして、自死へ

 美し育ったジェルトリュードに、開眼手術のチャンスがやってきます。彼女は、手術によって、世界を初めて見ることになるのです。しかし、手術により、物語は、破滅的な最後を迎えます。

 彼女が、見たものは、なんだったのでしょうか?

 ぜひ、この作品を読んで、確認してみてください!!

 

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 (一応、読んだ証として、本の写真をあげておきます。)

 

 108円本屋大賞では、以下の本も紹介いたしました。

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台湾の「民間療法」と「精神病院」を考える場所:龍発堂

この前、台湾鉄道で台湾南部の「高雄」から「台南」まで移動しました。

両地の境で、一つ不思議な建築をみかけました。

看板には、「龍発堂」と書いてあります。

 

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〈写真1〉龍発堂写真(写真出典:


台湾では、龍発堂はほぼ「精神病院」とイコールとなっているくらい代名詞的存在です。
「あなた龍発堂から逃げ出したのか」、「あなたを龍発堂に送ろうか」など、日常生活の中でも、ジョークにしたりする際に出てくる言葉です。

 

台湾人失格で、恥ずかしいことですが、この時はまさに、
「『龍発堂』が本当に存在するか!!!!!!」と驚きました。


あまりにも慣れた言葉で、まさか実際に存在する場所(しかも精神病院がそんなに堂々と自分自身の存在するを宣言するような造りをとる)と思いませんでした。


日本人の方々にとって、恐らくあまり馴染みのないところでしょう。
ここで少し調べたことを紹介していきたいと思います。

 

龍発堂縁起

龍発堂は高雄市路竹区に位置する精神病患者の受入れ施設です。

1971年、仏教の僧侶、釋開豊によって成立しました。写真の中の、建築物の金色の像は釋開豊で、周りの小さい小人は龍発堂内受入れた患者さんです。

宗教的色彩、大量な収容者数(※1986年の資料では約200人で、2007年の資料では約600名と記しています)、そして薬を要らず「民間療法」の提唱はその特徴です。

 

最初、釋開豊が自身の修行のために畑の真ん中で草ぶきの小屋を建てました。
その後、ある女性から「息子を和尚様のところに弟子入りしたい」と懇願しまして、その息子が、実は精神病患者と発覚しました。
放火癖のある息子は家族と違う小屋に閉じ込められ、排泄なども難しく、自立した生活はなかなか厳しい状況でした。
その息子を弟子として迎えた後、看護しやすくするため、釋開豊は自分の腰と彼の腰との間に草なわで結びつけました。二人は一緒に日常生活を過し、彼に生活や簡単な労働を教えてあげました。暫く共同生活した後、なんと患者さんが従順になりまして、なわを外しても仕事の手伝いをして、まるで生まれ変わったようだったといいます。家族もそれに驚きました。この奇跡的な事件を経て、数多く家族の方が患者さんを釋開豊の元に連れてきました。

 

獨自の「感情錬」療法

この記念的な出来事に基づき、龍発堂は「感情錬」と呼ばれる独特な「民間療法」を生み出しました。つまり、薬に頼らず、軽症の患者さんと重症の患者さんと二人をペアにし、「感情錬」と呼ばれる鏈で二人を結び、お互いに励ましたりする療法でした。(※現在はこの療法はすでに廃棄しました。)

そして、受け入れる生徒(堂内で「患者」と呼ばず、「生徒」と称するようでした)の数が多くなると、生徒達に楽器を教えたり(お祭りの際にあちらこちらに演奏しに行きます)、施設内の養鶏場、紡績場で働かせたりするなどの職能訓練などもしていました。

そして、基本的にお布施(タダでも大丈夫)の形式で「生徒」を受入れらるため、家族の病気で困った人々にとって、経済面ではかなり助かると考えられます。

 

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写真家、張乾琦が撮影した、感情錬に結ばれた堂内「生徒」の写真。
張乾琦が《錬》をテーマとし、2001年台北美術館で龍発堂シリーズを撮影展を開催しまして、話題を呼びました。

但し、黃筑が龍発堂現在の管理者の方にインタビューをし、張乾琦の写真内「生徒」の顔をはっきり映ることに対してやや非難をしていました。

 

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1980年代後半から龍発堂の「民間療法」は、徐々にメディアの注目を集めました。西洋医療の訓練を受けた精神科医は龍発堂を小ばかしている態度をとり、一般の人々でも「あなた龍発堂から逃げ出したのか!」という皮肉な言葉を言い出しはじめました。(現在に至るまでも時々使っています)

龍発堂は、社会からの賛否両論を集めました。1986年の際に、釋開豊が120名余りの生徒さんを3泊4日の旅行に連れ出しました。「正常社会」が崩れそうになる恐怖と共に、この旅行は社会中からの不安や批判を受けました。ところが、生徒たちの軍隊のような整然たる規律も人々を驚かせました。この「おとなしさ」と「治った」ことはイコールかどうかはともかく、精神病患者のもう一つのあり方を提示していました。

 

1990年代になると、台湾では「精神衛生法」が制定され、精神病患者を受け入れる施設は、「医療」を施す義務を課しました。また、政府機構も龍発堂を解散し、正規医療の傘下に置こうとしました。それに対して、龍発堂は家族や患者さんの力を合わせて、抗議などを行い、最終的に存続することになりました。

2004年、釋開豊が亡くなり、その遺体を「肉身菩薩」(日本の「即身仏」のような存在とも言えるでしょう)として、〈写真1〉みた金色の像内3年間安置した後、堂内で祀られるようになりました。

(余談ですが、日本最後の即身仏、仏海上人は1903年入定したようです。)

 

龍発堂は宗教施設である一方、医療、農場などの機能も持っていまして、現代人の目線からみると、なかなか不思議で、分類しづらい施設です。 

現在、龍発堂の社会的、制度的位置はまだまだ曖昧ですが、積極的に合法化を目指しています。

 

 

 

参考資料

 

ムスリムとの共同生活を描いたマンガ『サトコとナダ』 おすすめマンガの紹介です。

 みなさんのムスリム(イスラム教徒)へのイメージは、どんなものでしょうか?「わからない」、「寡黙そう」、「こわい」、結構ネガティブなイメージを持っている方もいらっしゃるのではないでしょうか。

 では、ムスリムと一緒に仕事をしたり、住んだことがある方は、どれだけいるでしょうか?まだまだ、日本では多いとは言えないのではないでしょうか。相手のことがわからないからこそ、こわい、そんな状態になっていませんか。

 実は、わたしは、1年間ムスリムの家族の家で、居候していたことがあります。そんな中で、わたしのムスリムに対するイメージも、大きく変わりました。彼らは、とても朗らかで、礼儀正しく、優しい人々だったのです。

 そんな、わたしが、心からオススメするマンガをご紹介します。

それは、『サトコとナダ』です!!

サトコとナダ 1 (星海社COMICS)

サトコとナダ 1 (星海社COMICS)

 

 内容紹介

ルームメイトはサウジアラビアの女の子だった!!初めてのアメリカ留学、イスラム文化、ひとつ屋根の下で繰り広げられる魅惑の異文化交流

  アメリカへ留学した日本人女性サトコが、ルームシェアしたのはサウジアラビア出身のナダでした。彼女たちは、お互いの文化の違いに戸惑いながらも、年頃の「女の子」として共感、ともに交流を深めていきます。
 
おすすめポイント
 ①イスラム文化の入門書として
 このマンガは、とても軽妙なタッチで描かれていますが、とてもわかりやすくイスラム文化を紹介しています。たとえば、ヒジャブ(ムスリム女性が被るスカーフ)についても、どんな時に被るのかとか、かぶり物にはどんな種類があるのかなどが説明されています。ラマダーンについても触れられているので、ムスリムの人々がどんな生活をしているのか、理解しやすい内容となっています。
 
 ②女の子としてのムスリムを知る
 もちろん、この物語では、サトコとナダの二人の女性が、メインですが、彼女たちの会話がとにかくカワイイ!そして、何より、ムスリムであるナダが、普通の「女の子」であるということを強く感じさせる内容となっています。
 ただ、ムスリムと一緒に住んで、ムスリムの友人が多いわたしとしては、ムスリムのおばさんはもっと面白いのになぁ、と思いました。もし、続編があるのなら、ムスリムのおばさんを登場させて欲しいと思いました。
 
 ③真の意味の異文化交流とは?
 この物語では、互いの文化の違いにも慣れ、次第に気持ちも近くなっていく中で、サトコがナダの服を着たいと言い、ナダの気持ちを害する場面が描かれています。この場面には、他の文化圏の人間が、していいこととしてはならないことのラインを描こうという、作者の意図が読み取れます。
 このほか、多神教を話すが、まったく理解されないなどの話もあり、理解できないが、共存できる、という不思議な状況を描いている作品です。
 
 
 イスラムについてのニュースが増え、ムスリムの観光客も増加している現在、ありのままの彼ら/彼女らを知ることのできるマンガは、いかがでしょうか!!?
 
 
 このマンガを読んで、わたしはムスリムの家族と住んだ日々を思い出しました!!
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 (ムスリム友人の結婚式に参加した時の写真です。右が、わたしタカギスグル)

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(今年7月、インドネシアの大学で、日本の宗教文化についてお話しさせていただきました。

でも、結局、「君の名は。」とか、「ナルト」などのアニメやマンガについての質問が多かったです。)
 
 
 
 
 ムスリムについて、より知りたい方は、この本がオススメです!! 
となりのイスラム 世界の3人に1人がイスラム教徒になる時代

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 もっと「深く」知りたいなら!

『コーラン』を読む (岩波現代文庫)

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Dunkirk Spiritって何? Brexit時代の映画「ダンケルク」

 映画「ダンケルク」の公開が2017年9月9日に迫っています。

   わたしは、シンガポールで一足早く、7月20日の公開初日に鑑賞してまいりました。

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 (シンガポールでは公開初日ということもあり、満席となっていました。)

 今回の記事では、映画「ダンケルク」の舞台となった救出作戦の後のイギリスにおける「Dunkirk Spirit」という言葉の意味について考えてみたいと思います。

 

【目次】

 

 

映画のあらすじ

1940年、フランス北端ダンケルクに追い詰められた英仏連合軍40万人の兵士。背後は海。陸・空からは敵――そんな逃げ場なしの状況でも、生き抜くことを諦めないトミー(フィオン・ホワイトヘッド)とその仲間(ハリー・スタイルズ)ら、若き兵士たち。

一方、母国イギリスでは海を隔てた対岸の仲間を助けようと、民間船までもが動員された救出作戦が動き出そうとしていた。民間の船長(マーク・ライランス)は息子らと共に危険を顧みずダンケルクへと向かう。英空軍のパイロット(トム・ハーディー)も、数において形勢不利ながら、出撃。こうして、命をかけた史上最大の救出作戦が始まった。果たしてトミーと仲間たちは生き抜けるのか。勇気ある人々の作戦の行方は!?(http://wwws.warnerbros.co.jp/dunkirk/#aboutthemovieより引用)

www.youtube.com

 

 

 映画「ダンケルク」では、 海岸で救助の船を待つ兵士、飛行機で戦うパイロット、そしてイギリスから所有している船で助けに向かう家族、陸・海・空の三つの視点で描かれています。しかも、2時間の映画ですが、兵士の時間軸は1週間、パイロットは1時間、家族は1日と異なる時間軸で進みます。彼ら、それぞれの行動が一人一人の命に繋がっている、と強く印象付けられるものとなっています。

 しかも、セリフはほとんどなく、演者の表情、そして彼らの陥っている窮地が全てを物語っているという演出方法でした。歴史的な事件で「ネタバレ」を気にするのも変ですが、この記事ではあえて、この映画の舞台となった作戦後のイギリスにおいて「Dunkirk Spirit」のもつ意味について書いていきたいとおもいます。

 

映画を見る前に読みたい本!

 映画「ダンケルク」に興味がある方は、以下の洋書をおすすめします!!

 史実からダンケルク救出作戦に迫る内容ですが、何よりも、この本の冒頭は、クリストファー・ノーラン監督のインタビューとなっています!!映画好きの方、歴史好きの方は要チェックです!!

Dunkirk: The History Behind the Major Motion Picture

Dunkirk: The History Behind the Major Motion Picture

 

 

 

Dunkirk Spiritについて

 映画「ダンケルク」が描いた救出作戦の、その後のイギリスにおいて、Dunkirk

Spiritという言葉が、いかなる意味を持つ言葉となったのでしょうか。

 Dunkirik spiritとは、辞書によって意味合いが若干違うようですが、The Cambridge Dictinaryによりますと、

When a group of people who are in a bad situation all help each other.

  とあります。つまりは、「困った時にお互い助け合う」という意味になります。

 ちなみに、リーダーズ英和辞典第三版では、「ダンケルク魂、危機における不屈の精神」と雄々しい表現になっています。

 Dunkirk Spiritが実際に使われるようになったことが確認できるのは、作戦の1年後あたりのようです。英紙Manchester Guardianの1941年7月11日の記事で、Dunkirk Spiritが使用されており、戦時下に週7日で働く工員たちにたいしてDunkirk Spiritと表しています。この場合では、「銃後の」という意味を包含しているものですが、戦後、ご近所での助け合いや、事故などに巻き込まれた時にも、助け合いの精神を意味する語として使われていきました。

 しかし、そんなDunkirk Spiritにも、大きな岐路やってきます。

 それは、イギリスのEU離脱に関する国民投票でした。そうです。BrexitがLeave派(離脱派)によって、叫ばれる中、Dunkirk Spiritも、この論争の最中にひきづり込まれることになるのです。

 

BrexitとDunkirk Spirit

 2016年6月、イギリスではEU離脱に関する世論を問う国民投票を行いました。この時の離脱派と残留派の論争は、日本のテレビでも大き取り上げられましたので、覚えている方も多かいと思います。

 この選挙活動において、Dunkirk Spiritが特別な意味を持つ言葉として用いられることになります。それは、離脱派によってでした。

 資産家で、離脱派に多額の資金援助をしていたPeter Hargreavesが、「このEU離脱が、ナチスから逃れるため、フランスから撤退したダンケルクの作戦」と類似していることを強調し、いまこそ、Dunkirk Spiritの時である、と述べたのでした。

 ヨーロッパ(EU)から、イギリスが撤退するべきであるというスローガンにDunkirk Spiritが用いられたのです。2016年の国民投票以後、Dunkirk Spiritは、以前のような「助け合い、不屈の精神」を意味するだけでなく、イギリスの孤立主義、ナショナリズムをも意味する言葉となってしまったのです。

 そのため、映画「ダンケルク」が上映される際に、この映画は「Brexit以後の、Dunkirk」として注目を集めることになったのです。

 

 

 それでは、映画において、Dunkirk Spiritがどのように描かれていたでしょうか。フランスやヨーロッパとの関係は?劇場に、足を運び、確認してみてくださいね。

 

 

 

 

 

 

【参考文献】

 

Dunkirk: The History Behind the Major Motion Picture

Dunkirk: The History Behind the Major Motion Picture

 

www.theguardian.com

time.com

www.theguardian.com

 

 

 

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戦後最大の奇書『家畜人ヤプー』の《作者》は、マスコミによってデッチアゲられた!!?

 みなさんは、『家畜人ヤプー』という作品をご存知でしょうか?

 わたしとしては、娘に読ませたくない作品ナンバーワンレベルの作品だと思っています。初めて読んだ時は、「なんじゃこりゃ!」と思ったのですが、マゾヒスト作品として作られたものと知ると、「なるほど、こういう見方もあるのか」と納得できたことを思い出します。

 わたし自身、2020年にこの本を読み直すと、「日本政府は完全にヤプーだな。」と思いました。なぜ、三島由紀夫に絶賛されたのか、読んでいただければわかります。

 

 

 今回の記事では、奇作『家畜人ヤプー』を生み出した《作家》についてまとめて見たいと思います。

  戦後最大の奇書『家畜人ヤプー』の作者は、高等裁判所の裁判官だったのか、編集者だったのか。今回の記事では、突如、マスコミによって、作者に仕立て上げられてしまった男性の目線でまとめています。

  『家畜人ヤプー』の作者は誰であるか、諸説ありますが、今回の記事では、作者とされた人々の手記や原稿から、ヤプーの作者は、天野哲夫であるとし、記事をまとめております。

  雑誌編集者、天野哲夫の視点でまとめたのが以下の記事です。よろしければ、この記事とともにお読みください。

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【目次】

 

 

『家畜人ヤプー』とは?

家畜人ヤプー〈第1巻〉 (幻冬舎アウトロー文庫)

家畜人ヤプー〈第1巻〉 (幻冬舎アウトロー文庫)

 

 あらすじ

ある夏の午後、ドイツに留学中の瀬部麟一郎と恋人クララの前に突如、奇妙な円盤艇が現れた。中にはポーリーンと名乗る美しき白人女性が一人。二千年後の世界から来たという彼女が語る未来では、日本人が「ヤプー」と呼ばれ、白人の家畜にされているというのだが…。

 
 この作品は、未来が舞台なのですが、その世界では、日本人は「ヤプー」と言われ、強烈な白人(神)信仰をもち、人体改造をされたり、食用の家畜になったりと、とんでもない扱いを受けています。そして、日本神話さえも、未来人(白人)たちによって作られたものであるという驚愕の真実が描かれることになるのです。
 この作品は、石ノ森章太郎さんも漫画化しております。
家畜人ヤプー(1) 宇宙帝国への招待編 (石ノ森章太郎デジタル大全)

家畜人ヤプー(1) 宇宙帝国への招待編 (石ノ森章太郎デジタル大全)

 

 漫画版は、こんな雰囲気です。

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この場面は、椅子用のヤプーになっているのが主人公で、ドイツで知り合ったフィアンセが違う男(女装しています。)と婚約しているシーンです。このような場面は、非常に「ぬるい」シーンなので、これで、違和感を感じる人は、小説も、漫画も読まない方が良いかもしれません。

 

 

《『家畜人ヤプー』事件》 正体は、編集者か、裁判官か?

 1956年から雑誌「奇譚クラブ」で連載を開始された奇作『家畜人ヤプー』ですが、作者である沼正三は、覆面作家で、誰が書いたのかは不明となっていました。

 1983年に覆面作家「沼正三」の正体を名乗り出る人物がありました。彼の名は、天野哲夫、『家畜人ヤプー』が出版された当初から、沼の正体は天野でないかと憶測が飛び交っていましたが、天野は1983年まで否定も肯定もせず、沈黙していたのです。

 なぜ、彼が名乗り出ざる得なかったのか? それは、とある人物との繋がり、そして、その人物が巻き込まれてしまった「『家畜人ヤプー』事件」によるものでした。

 その事件の発端は、1982年11月、雑誌「諸君」に、沼正三の正体を告発する記事でした。

 タイトルは、

「三島由紀夫が絶賛した戦後の一大奇書『家畜人ヤプー』の覆面作家は東京高裁倉田卓次判事」
 

 記事の標的となり、沼正三の正体とされたのが、、当時、高等裁判所の裁判官であった倉田卓次でした。

 高等裁判所裁判官が、マゾヒスト小説を書いたのではないかと、騒がれ、社会現象となったのです。これが「『家畜人ヤプー』事件」と呼ばれることになります。それまで、「家畜人ヤプー」は、三島由紀夫に賞賛されたものの、一部のマニアにウケた作品だったのですが、この事件により、社会に的に広く知られることになるのです。
 それは、裁判官を務めるようなエリートが、マゾヒスト小説、しかも、日本人が「家畜」とされるという突飛な設定の小説を書いているなんて!!という、野次馬的な好奇心から、引き起こされた騒動です。(鈴木 2010)
 つまりは、高等裁判所の裁判官が、突如、覆面作家の正体だと、決めつけられ、社会がそれを信じてしまったのです。
 倉田卓次さん自身は、自分が作者であることを否定していますが、現在でも、Googleで「倉田卓次」と検索すれば、以下のような結果となります。

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 倉田卓次さんは、法学博士で、法学系の論文・書籍だけでなく、エッセイなどの書籍も執筆されているのですが、やはりこの「家畜人ヤプー」事件の爪痕が、大きく残っていることが窺い知れます。
 
 
 

「『家畜人ヤプー』事件」の真相

 倉田卓次さん御自身がが、この「家畜人ヤプー」事件について、判例タイムズ(2005年1180号)で、「老法曹の思い出話(6)ー「家畜人ヤプー」」という題名で、この『家畜人ヤプー』事件の真相と、自身の考えについて書いてらっしゃいます。

 

倉田卓次と、覆面作家Aの出会い

 話は、昭和30年ごろに遡ります。倉田さんは、東京地裁判事補から、長野家裁判事補として、飯田支部に移ると、(東京に比べ事件が少ないので)仕事量が激減し、読書や勉強に時間を使うことができるようになったそうです。

 そんな頃、出会ったのが、「奇譚クラブ」という、サディズム、マゾヒズム、フェティシズムといった異常性愛を売り物にした雑誌でした。その雑誌では、読者同士の文通を仲介しており、倉田さんは、2人の読者仲間AとBに出会います。(倉田さんは、Aと名前を伏せていますが、上述した天野哲夫でしょう。)

 文通を続けているうちに、倉田さんは、Aから相談を受けます。

戦後米国に占領されてからの日本人の白人崇拝を諷刺するマゾ小説の構想を懐き、私は相談を受けた。(倉田 2005:4)

  その構想を聞いた倉田さんは、

Aの相談してきた大規模な民族・人種ぐるみのマゾ小説の構想に利用できる SFからのアイデアを提供し、今までわが国文学界に例のない「未来幻想マゾ小説」を作れ、と煽った。(同上)

  と、アイデアを与えたり、助言したりするようなったそうです。しかし、倉田さんは、過ちを犯してしまうのです。倉田さんは、「自分がこういう小説を書こうと思っている」と、Bに、自分が作者であるように、文通で伝えてしまいます。「詰まらぬ虚栄心」から、してしまったことであると、述懐されていますが、この過ちは、その後に『家畜人ヤプー』事件を引き起こすことになります。
 
Bの暴露と『家畜人ヤプー』事件
 1982年(昭和57年)の秋、突然、雑誌『諸君』の編集長が来て、「あなたが沼正三本人であると、あるひとが言っていますが本当ですか。」という質問をされます。Bが暴露してしまったのです。しかも、文通した手紙を証拠として雑誌社に提出しているようでした。倉田さんは、否定したのですが、後日、『諸君』から、記事が出てしまうのです。
 それが、上述した「三島由紀夫が絶賛した戦後の一大奇書『家畜人ヤプー』の覆面作家は東京高裁倉田卓次判事」という記事です。
 マスコミは、倉田卓次さんを覆面作家の正体として、大きく取り上げ、雑誌記者、新聞記者が、家を取り囲むような大きな騒動になってしまいました。
 そんな中、天野哲夫が、正体は自分であると名乗り出るのですが、マスコミは取り扱うことなく、倉田さんについての報道を続けるのでした。それは、高等裁判所判事が実は、マゾヒスト小説家であった、という方が、雑誌や新聞が売れるから、という理由だったのでしょうか。
 この事件によって反応したのは、マスコミだけでなく、右翼団体も、乗り出す事態になります。それは、この本の内容が、日本(人)を貶めるものであった、ためです。倉田さん自身も、法廷への襲撃予告を受けたそうです。実際に、出版社に、乗り込んで来た右翼の方もいたそうですが、倉田さんは、笑い話として、捉えているようです。
「家畜人ヤプーの著者沼がいるか?」とその1人が叫んだのに対して、矢牧君が「あんたがた。「家畜人ヤプー」は三島由紀夫が褒めた本、絶賛した作品だということを知っているんですか?」と問うと、「エッ!三島先生が褒めた?」と態度を一変、口吻が軟化し、結局知っているのは本の名前だけで、実際に読んだ者がいないことが暴露されると「明日又来るぞ!」とよこして引き上げていった。世慣れた康(※康芳夫)が、警察に連絡して翌日来た連中が署に連行され、結局謝り料10万円を向こうが支払った、という愉快な出来事もあった由。(倉田 2005:7)
 他にも、最後まで、信じてくれた友人や、「倉田君ほど勉強している人はいない、もし、小説まで書いているならスーパーマン」だと最高裁長官が、評してくれたりと、様々な人間のあり方がこの事件で、見られたようで、スキャンダルに巻き込まれた最中、客観的に、人間を観察している倉田卓次さんの度量に驚いてしまいます。
 
 
倉田卓次が『家畜人ヤプー』に思うこと
 この「老法曹の思い出ばなし」の最後に、倉田さんが、「家畜人ヤプー」に対しての思いを書いてらっしゃいます。
戦後の日本なればこそ生まれた一奇書であることは間違いないが、そういう歴史の一頁で終わるのかどうか。私は、民族ぐるみのM(※マゾヒズム)という点での類書のなさからいって、今後も、丁度フランス文学史の裏のページにサドの作品が載っていて捜す者には読めるように、再起の文学史の裏頁に残るのではないかと考えている。「面白いぞ、やれやれ」とAを煽った私としては、その位のレーゾン・デートル(※存在理由)は認めてやりたいのである。
 と、文学史の裏ページに、残って欲しいと、述べているのです。最近でも、「家畜人ヤプー」は、漫画化されたり、オマージュ作品が出版されています。裏ページに止まらない可能性も、あるのでは?と思っていますね。
 
 今回の記事では、『家畜人ヤプー』にまつわる事件について書いてみました。奇書ですが、なぜか、人を惹きつける、不思議な本です。
 わたしの本棚で、絶対に見つかりたくない、本の一つですが、、、、
 
 
 
 天野哲夫の目線での「家畜人ヤプー」事件を記事にまとめましたので、興味がある方は、ぜひご覧ください。
 

《主要参考文献》

倉田卓次 2005年 「老法曹の思い出ばなし(6)ー「家畜人ヤプー」」『判例タイムズ』1180号。

ci.nii.ac.jp

 

 

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ハゲの哲学 -さよなら、髪の毛、そして、こんにちは、自分。

ハゲとは、自身に絶望を見ることである。

しかし、その躓きから、自分を見つけ出す行為でもある。

                            Suguru TAKAGI , Japan

 

 みなさんは、ハゲていますか?わたしは、20代後半のあたりから、髪の毛が颯爽としてきました。そうです。ハゲてきたのです。今回の記事では、髪の毛を失うことの悲しみ、そしてそれに対して、わたし自身が考えたこと、言われたことについて書いて見たいと思います。

【目次】

 

 

 さて、今回の記事では、以下の本を参考文献とします。

東京ポッド許可局 ?文系芸人が行間を、裏を、未来を読む?

東京ポッド許可局 ?文系芸人が行間を、裏を、未来を読む?

  • 作者: マキタスポーツ,プチ鹿島,サンキュータツオ,みち,みずしな孝之
  • 出版社/メーカー: 新書館
  • 発売日: 2010/09/24
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
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 東京ポッド許可局が2010年に出版した本にはCDが付いており、その中でハゲとは何かについて討論?されています。ぜひ、興味のある方は、ご一読ください。

 

さよなら、髪の毛 「抜け毛とは、薄い死」

 まず、ハゲとは何か?という問題を扱う前に、いかにハゲたかを、書いていきたいと思います。わたしは、20代前半まで、髪の毛を失うことなど、考えることもなく、のんきに生きてきました。自分がハゲることなど頭の片隅にもありませんでした。

 そんなわたしに、抜け毛の猛威が襲ってきたのは、20代後半になった頃でした。公務員をやめ、自分の夢のために一歩一歩突き進んでいる中で、起こった事件なのです。

 これは、おそらく過度のストレスが原因であると、わたし自身は考えています。あまりに急激に襲ってきたので、なすすべがなかったのです。

 正直、この時は、受け入れることができませんでした。それは、「なぜ、この世界で、自分が選ばれたのか!」、「なんで、自分がハゲなくてはならないのか?」という、とても些細な「ヨブ記」状態に陥ったのです。それは、怒りにも似た感情であり、受け入れることができないという、拒否の感情でもありました。

 キューブラー・ロスの名著『死ぬ瞬間』には、ターミナルケアにおいて、患者が怒ったり、拒否している様子が描かれています(最終的には、ご本人もそうなるのですが、、、)

死ぬ瞬間―死とその過程について (中公文庫)

死ぬ瞬間―死とその過程について (中公文庫)

  • 作者: エリザベスキューブラー・ロス,Elisabeth K¨ubler‐Ross,鈴木晶
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2001/01/01
  • メディア: 文庫
  • 購入: 21人 クリック: 169回
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 また、上述の東京ポッド許可局の本でも、マキタスポーツさんが、「なぜ、ハゲは笑われるのか」という問題について、「ハゲが死を感じさせるから」とおっしゃています。

 わたしとしては、ハゲるとは、「薄く死ぬ」こと、奪われるという感覚を日常において感じ続けることだと考えています。 

 死ぬとは大げさですが、理想とする自分はもとより、元々の自分像さえ、すでに「死」んでいますし、自分自身がおいていくというプロセスをいち早く感知することになります。

 

明るいハゲ or not

 ハゲはじめた頃、まだまだ、目立つほどではなかった頃、わたしも早く、この状況を対処しなくてはならないと、亜鉛のサプリメントを飲んだり、早寝早起きをしてみたり、したのですが、一向に改善しませんでした。

 そこで、CMで宣伝さているAGA(男性型脱毛症)のクリニックに足を運んだのでした。

 病院で、薬を処方され、3ヶ月ほど服用したのですが、気分が落ち込むのです。なんだか、元気がでない。性的欲求も減退していきました。試しに、薬をやめてみると、たちまち元気になります。

 人によるかもしれませんが、AGA(男性型脱毛症)の薬には、副作用があり、私の場合は、うつ症状と、性欲の減退が、明らかに現れたのでした。

 わたしは、その時、大きな仕事を抱えており、モチベーションを保つことは非常に重要で、むしろ前向きに仕事に向かわなければならない状態だったのです。

 そんな中、わたしは、考えました。

 明るいハゲか、暗いフサフサか

 「暗いフサフサに決まっているだろ!」という方も多いかと思いますが、わたしには喫緊の大切な仕事があり、もともと、非常に明るいタイプの人間です。

 そのため、もともとの自分の見た目をとるか?、もともとの自分の性格をとるか?という問題がわたしに迫っていたのです。

 わたしが、出した答えは、「明るいハゲ」です。薬をやめ、髪の毛との最期の日々を大切に過ごすことにしたのです。

 

気のおけない女性の意見

 わたしは、幸運にも、ハゲる前に結婚しておりました。そのため、妻にハゲについて相談することができました。彼女がいうには、「まったく気にしないよ」とのこと。しかし、この発言は、わたしのことを大分(世界で一番だと信じたい)好きな女性の意見です。一般化は不可能でしょう。

 そこで、気のおけない女性の友達たちに、意見を求めることにしたのです。彼女たちは、わたしよりも年下ですが、わたしに対して臆することなく、意見を言ってくるので、こうした込み入った話を相談するには、最適の相手であると思いました。

 異なる場所、異なる時間に聞いたのにも関わらず、彼女たちの意見は、言った言葉は同じものだったのです。それは、

 「タカギさん、そんなこと気にするんですか?」

 でした。

 彼女たちの意見では、まず、「そんなことを気にするタイプだと思えない」、そして「ハゲていることが、タカギさんに対する評価に関係ないだろう」ということでした。

 彼女たちの言葉で、わたしは我に帰りました。そもそも、わたしは人生において「ルックスで勝負したこと」など一回もないのです。どちらかというと、女性に対してもコミュニケーション能力で、仕事においても泥臭い方法で、勝負してきました。

 彼女たちの意見から、わたしは自分自身を思い出すことになったのです。それは、外見の一つを失い、新たにカテゴライズされてしまう過程において、過度に外見を気にすることで、自分を見失っている自分に気づいた瞬間でもありました。

 

 

ハゲてみてわかったこと 

 よく言われるのですが、「剃れば」との助言は、わたしにとって不要です。スキンヘッドよりは、そのまま自然にハゲを受け入れる方が、より自分を認めているように感じるからです。

 何よりも、自分には、自分の髪の毛は見えないのです。

 そして、あなたに関わりが深い人であれば、あるほど、あなたがハゲているなんてどうでもいいことなのです。

 ですから、もし、ハゲるんじゃないか、と心配している若い方がいたら、こう言いたいと思います。

 「維持する努力を惜しむな。ただ、結果を受け入れる準備もしておけ。きみの大切な人は、どちらのきみも受け入れてくれるはずさ。」と。

 

 

 記念すべき100記事目の記事ですが、あえてこの内容を書いてみたいと思ったのです。

 

 

就活の珍問「桃太郎の中で、誰をハズすべきか」を、真面目に考えてみる。

 6月も中旬になり、就職活動をすでに終えた大学生も多くなってきましたね。先日、就活を終えたばかりの大学生に、突然、相談をされました。

 大学生「タカギさんだったら、面接でこの問題、なんて答えますか?」

 わたし「どんな問題だい?」(ワクワク)

 大学生「『桃太郎で、鬼ヶ島に向かうとき、ひとりハズすとしたら、誰?』です。」

 わたし「喫茶店だったら、6時間くらい話せる最高の問題だね!」(キタッー!!)

    

 【目次】

 

 

ももたろう (日本昔ばなしアニメ絵本 (5))

ももたろう (日本昔ばなしアニメ絵本 (5))

 

 

 

 この記事では、答えのないものをいかに考えるか、ということを、この「桃太郎クビは誰」問題を通して、考えてみたいと思います。

 人によって、答えはそれぞれですし、正しい答えなど存在しない問題ですが、とても面白い思考問題だったので、記事にします!

 

直感で、「猿」に

 就職での面接でされた問題だったそうなので、質問されてから、考える時間は、さほどないのが普通でしょう。ですから、わたしは、直感で「猿」と答えることにしました。

 「猿」をハズすことから決定し、それから理由をつけていく、ということになりますが、就職面接における実践的な問答方法であると思います。

 直感で「猿」としたのは、なんとなく、「人間ぽいキャラは、桃太郎がいるからいらないのでは」、というのが理由なんですが、それをいかに理屈で埋めていくのか、が面白いでしょうし、「対人競技」としての面接を楽しむためにも、直感で答え、それに論理を《あとづけ》していきます。

 それでは、わたしが考える、「猿をハズす」プロセスをご紹介します。

 

まず、宗教・民俗的な観点で、誰が必要か?

 桃太郎はおとぎ話です。その話の中では、鬼は存在することが前提となりますので、鬼が存在する世界ということを想像しなくてはなりません。

 メルヘンを基礎としている世界である以上、メルヘンを分解する必要があると考えます。

 鬼とは、もともと、中国の鬼(gui)という、大雑把に言えば、幽霊を意味していたものが、日本に渡り、形を与えられたものです。

 日本の鬼のイメージは、ツノがあって、トラ柄のパンツをはいている、ドリフの雷様みたいな姿ですよね。おそらく、今回の就職面接官の方のイメージも、それと同様のものであると思います。

 このイメージは、鬼門の方位である「丑寅」(「艮」「うしとら」)から来ているもの考えられています。「艮」という方位が、忌むべき対象として考えられていたことが、わかりやすい例を出しますと、明治期に生まれた新宗教の大本は、出口なおに「艮の金神」が神がかりしたことが教団発生のきっかけですが、これは「本当は、正しい神様なのに、他の神に追いやられた」というスティグマを表しているのです。

 閑話休題、この「艮」という方位の反対側が、「申」「酉」「戌」であるから、桃太郎は、鬼ヶ島にお猿さん(申)とキジ(酉)とイヌ(戌)を連れて行くとする説もあるのです。

 ここで、仮説として、鬼ヶ島という場所に向かうために、桃太郎は《方角的に》奇跡的なパーティーを組むことになっているとします。

 この《方角的》に鬼に強いということは、メルヘンの中に隠された宗教や信仰であるとすれば、キャラクターたちにも、宗教的な強弱があるのではないだろうかと考えてみるのも必要なのではないでしょうか。

  わたしは、ここで、犬(狗、戌)が宗教・民俗的観点において、優位に立っているのではないか、と考えます。狛犬や、狼など、魔除けと結びつけて考えられていますし、古くから、幽世と現世を行き来する力があるとされます。

 猿や鳥を祀った神社や、儀礼は存在しますが、日本において犬に対する信仰が広く見られることから、ここでは、犬に一票とします。

 

戦略的に、鬼ヶ島決死戦を考える。

情報はあるのか?

 鬼ヶ島へ渡り、鬼と戦うことを考えたとき、疑問に思うことが多々あります。それは、「桃太郎は、どれほどの情報を持っているのか。」また、「他の人々、特に軍事力を持つ人も、鬼ヶ島に対する情報を持っているのか。」というものです。

 鬼の戦力、そして、鬼ヶ島までの距離などの情報が、桃太郎一行や村の人々は共有していたのか、という問題は、非常に重要なものです。また、姫や財宝は、どこに保管されているのか、もしくは、すでに「なきもの」となっているのかなど、この「桃太郎物語」では、奪還作戦に必要な情報についての記述がありません。

 話は変わりますが、アメリカ海軍特殊部隊のNavy SEALsがビンラディンの殺害作戦を準備した際には、ビンラディンが潜伏する建物と全く同じものを建設し、徹底した訓練を行った上で、作戦を決行しています。桃太郎の鬼ヶ島での戦いも同様に、敵地に赴き、最低でも、姫、次に財宝を奪還することが目的であるはずです。情報収集を徹底的に進める必要があります。

 そして、鬼が、地位が高い女性という人質にうってつけの「姫」を的確に攫い、財宝を盗んでいることから、彼らには人間に近い経済観念やジェンダー観念があり、それは高い知性を持つ可能性があること示唆している、と考える必要があるでしょう。

 

なぜ、桃太郎なのか?第二次鬼ヶ島征伐はあるのか?

 また、 桃太郎が鬼ヶ島に向かい、お姫様と財宝をとりもどす、という物語ですが、桃太郎は、単に勇気があるだけの男であるのか、それとも、姫を助ける必然性を持ち合わせているのか、など、桃太郎の存在意義への疑問があります。

 ここで、桃太郎が戦死する場合のことも考慮しないといけません。その時には、第二次鬼ヶ島征伐が行われる可能性もあるはずです。

 それは、桃太郎というヒロイズムを第一義に考えるか、それとも、姫や財宝の奪還を第一義に考えるのかによって、異なると思いますが、わたしは、後者の考えを採用しております。

 そのため、この第一次鬼ヶ島征伐作戦が、桃太郎によって行われ、失敗に終わった時のために、この戦いの様子や鬼ヶ島内部の情報を伝える役目を果たす存在が必要になると思います。

 この役目をキジに担ってもらいたいと考えています。キジは、この物語で唯一、飛ぶことができるキャラクターなのです。自力での帰還も可能なのではないでしょうか。

 彼を戦闘要員ではなく、情報収集、偵察要員とし、この作戦が失敗に終わったとしても、桃太郎の故郷に鬼ヶ島の状況を知らせる役割を担ってもらいたいと考えています。

 

武器の共有性はあるのか?

 猿を選ぶ利点として高い知能、そして人間に近い道具の操作が考えられます。しかし、鬼の持つ金棒は、猿が用いることができるサイズではないでしょうし、桃太郎の持つ剣くらいしか、使えないのではないでしょうか 

 この作戦では、犬やキジは道具を使うことができないので、猿の能力に期待したい部分もありますが、鬼ヶ島では鬼が標準サイズであることを考えると、猿にが道具の操作を担うことがあるのか、少し疑問です。

 

 

猿を残す利点

 その時、彼/彼女の高い知能は、この作戦にのぞむ桃太郎一行の戦力や様子を人々に伝えることに活用してもらいたいのです。

 鬼ヶ島征伐作戦が失敗に終わったとしても、キジと猿の情報を合わせ、第二次鬼ヶ島征伐作戦を準備するのが良いのではないでしょうか。

 

 ちなみに、猿やキジのイメージは、映画『男たちの大和』の松山ケンイチさんや、映画『君を忘れない』の池内万作さん、です。

男たちの大和/YAMATO

男たちの大和/YAMATO

 

 

君を忘れない [DVD]

君を忘れない [DVD]

 

 

最近では、戦地で戦友の死を記録する兵士を描いた『ペリリュー』という作戦もあります。

ペリリュー ─楽園のゲルニカ─ 1 (ヤングアニマルコミックス)

ペリリュー ─楽園のゲルニカ─ 1 (ヤングアニマルコミックス)

 

 

今回の記事では、桃太郎の物語で誰をハズすべきか、について考えてみました。

みなさんは、誰をハズすべきと思いますか?

 

 

桃太郎を考えるための参考文献 

桃太郎の誕生 (角川ソフィア文庫)

桃太郎の誕生 (角川ソフィア文庫)

 
鬼の研究 (ちくま文庫)

鬼の研究 (ちくま文庫)

 

 

 

 

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