戦後最大の奇書『家畜人ヤプー』の《作者》は、マスコミによってデッチアゲられた!!?
みなさんは、『家畜人ヤプー』という作品をご存知でしょうか?
わたしとしては、娘に読ませたくない作品ナンバーワンレベルの作品だと思っています。初めて読んだ時は、「なんじゃこりゃ!」と思ったのですが、マゾヒスト作品として作られたものと知ると、「なるほど、こういう見方もあるのか」と納得できたことを思い出します。
わたし自身、2020年にこの本を読み直すと、「日本政府は完全にヤプーだな。」と思いました。なぜ、三島由紀夫に絶賛されたのか、読んでいただければわかります。
今回の記事では、奇作『家畜人ヤプー』を生み出した《作家》についてまとめて見たいと思います。
戦後最大の奇書『家畜人ヤプー』の作者は、高等裁判所の裁判官だったのか、編集者だったのか。今回の記事では、突如、マスコミによって、作者に仕立て上げられてしまった男性の目線でまとめています。
『家畜人ヤプー』の作者は誰であるか、諸説ありますが、今回の記事では、作者とされた人々の手記や原稿から、ヤプーの作者は、天野哲夫であるとし、記事をまとめております。
雑誌編集者、天野哲夫の視点でまとめたのが以下の記事です。よろしければ、この記事とともにお読みください。
【目次】
『家畜人ヤプー』とは?
あらすじ
ある夏の午後、ドイツに留学中の瀬部麟一郎と恋人クララの前に突如、奇妙な円盤艇が現れた。中にはポーリーンと名乗る美しき白人女性が一人。二千年後の世界から来たという彼女が語る未来では、日本人が「ヤプー」と呼ばれ、白人の家畜にされているというのだが…。
家畜人ヤプー(1) 宇宙帝国への招待編 (石ノ森章太郎デジタル大全)
- 作者: 沼正三,石ノ森章太郎
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2014/09/26
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漫画版は、こんな雰囲気です。
この場面は、椅子用のヤプーになっているのが主人公で、ドイツで知り合ったフィアンセが違う男(女装しています。)と婚約しているシーンです。このような場面は、非常に「ぬるい」シーンなので、これで、違和感を感じる人は、小説も、漫画も読まない方が良いかもしれません。
《『家畜人ヤプー』事件》 正体は、編集者か、裁判官か?
1956年から雑誌「奇譚クラブ」で連載を開始された奇作『家畜人ヤプー』ですが、作者である沼正三は、覆面作家で、誰が書いたのかは不明となっていました。
1983年に覆面作家「沼正三」の正体を名乗り出る人物がありました。彼の名は、天野哲夫、『家畜人ヤプー』が出版された当初から、沼の正体は天野でないかと憶測が飛び交っていましたが、天野は1983年まで否定も肯定もせず、沈黙していたのです。
なぜ、彼が名乗り出ざる得なかったのか? それは、とある人物との繋がり、そして、その人物が巻き込まれてしまった「『家畜人ヤプー』事件」によるものでした。
その事件の発端は、1982年11月、雑誌「諸君」に、沼正三の正体を告発する記事でした。
タイトルは、
記事の標的となり、沼正三の正体とされたのが、、当時、高等裁判所の裁判官であった倉田卓次でした。
「『家畜人ヤプー』事件」の真相
倉田卓次さん御自身がが、この「家畜人ヤプー」事件について、判例タイムズ(2005年1180号)で、「老法曹の思い出話(6)ー「家畜人ヤプー」」という題名で、この『家畜人ヤプー』事件の真相と、自身の考えについて書いてらっしゃいます。
倉田卓次と、覆面作家Aの出会い
話は、昭和30年ごろに遡ります。倉田さんは、東京地裁判事補から、長野家裁判事補として、飯田支部に移ると、(東京に比べ事件が少ないので)仕事量が激減し、読書や勉強に時間を使うことができるようになったそうです。
そんな頃、出会ったのが、「奇譚クラブ」という、サディズム、マゾヒズム、フェティシズムといった異常性愛を売り物にした雑誌でした。その雑誌では、読者同士の文通を仲介しており、倉田さんは、2人の読者仲間AとBに出会います。(倉田さんは、Aと名前を伏せていますが、上述した天野哲夫でしょう。)
文通を続けているうちに、倉田さんは、Aから相談を受けます。
戦後米国に占領されてからの日本人の白人崇拝を諷刺するマゾ小説の構想を懐き、私は相談を受けた。(倉田 2005:4)
その構想を聞いた倉田さんは、
Aの相談してきた大規模な民族・人種ぐるみのマゾ小説の構想に利用できる SFからのアイデアを提供し、今までわが国文学界に例のない「未来幻想マゾ小説」を作れ、と煽った。(同上)
Bの暴露と『家畜人ヤプー』事件
「家畜人ヤプーの著者沼がいるか?」とその1人が叫んだのに対して、矢牧君が「あんたがた。「家畜人ヤプー」は三島由紀夫が褒めた本、絶賛した作品だということを知っているんですか?」と問うと、「エッ!三島先生が褒めた?」と態度を一変、口吻が軟化し、結局知っているのは本の名前だけで、実際に読んだ者がいないことが暴露されると「明日又来るぞ!」とよこして引き上げていった。世慣れた康(※康芳夫)が、警察に連絡して翌日来た連中が署に連行され、結局謝り料10万円を向こうが支払った、という愉快な出来事もあった由。(倉田 2005:7)
倉田卓次が『家畜人ヤプー』に思うこと
戦後の日本なればこそ生まれた一奇書であることは間違いないが、そういう歴史の一頁で終わるのかどうか。私は、民族ぐるみのM(※マゾヒズム)という点での類書のなさからいって、今後も、丁度フランス文学史の裏のページにサドの作品が載っていて捜す者には読めるように、再起の文学史の裏頁に残るのではないかと考えている。「面白いぞ、やれやれ」とAを煽った私としては、その位のレーゾン・デートル(※存在理由)は認めてやりたいのである。
《主要参考文献》
倉田卓次 2005年 「老法曹の思い出ばなし(6)ー「家畜人ヤプー」」『判例タイムズ』1180号。
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