オニテンの読書会

文化・民俗や、オススメ本の紹介、思ったことも書きます。

本を読まないとは、どういう状態か?  レイ・ブラッドペリ『華氏451度』、ショーペンハウアー『読書について』などから考える。

 若者の活字離れが叫ばれて、久しく、大学生が本を読まなくなったと聞いても、別段驚くことではないと思ってしまいます。

 今回の記事では、「本を読まない」という状態を考えてみたいと思います。

 【目次】

 

 

 

それでは、まず本が禁止された世界を描いた『華氏451度』の世界を覗いみましょう!

本を読むことを禁止された世界では、テレビ画面が大きくなる。

 まず、「本を読まない」どころか、「本を読むことを禁じられた」世界について考えてみたいと思います。

 かの有名なレイ・ブラッドペリ『華氏451度』は、本が禁制品とされた近未来を描いた作品です。1953年に発表された作品ですが、現代を見通していたかのような筆致です。

華氏451度〔新訳版〕 (ハヤカワ文庫SF)

華氏451度〔新訳版〕 (ハヤカワ文庫SF)

 

 

 ちなみにですが、この華氏451度とは、紙が燃え始める温度です。主人公は、本を燃やす昇火器をもち、隠された書物を燃やす昇火士(fireman)の男です。この世界では、本の所有は禁じられ、見つかれば即焼却されてしまうのです。

 主人公には妻がいるのですが、彼女の様子は非常に奇異で、しかも、なんだか現代に通じるようなものがあるのです。彼女は、テレビの壁に囲まれた部屋にこもり、流れてくる映像に合わせセリフを言ったり、挨拶をかわしています。しかし、その映像は、ただ一方的に流れているだけです。彼女の耳は「巻貝」といわれるイヤホンのようなものを取り付けており、四六時中ラジオ放送が聞き続けているのです。

 人々は、壁のようなテレビを前に、耳に取り付けれたイヤホンから流れる放送に身をまかせているのでした。

 

本はいかにして、禁止されるのか。 それは、「読んだつもり」から始まる。

 作者の卓越した慧眼をあらわしたものの一つに、本がいかに禁止されたかについての過程が、フィクションながら的確に、そして現実のものとして考えられるレベルで説明されているのです。

 本が禁止されるまでの概略ですが、

  • ラジオやテレビが人々の心を掴む。
  • 本や映画などの作品の中身を単純化。
  • 作品を圧縮するようになる。本は要約され、最後には「紹介」のみに。
  • 同時に、スポーツを普及させることで、人々に考える時間を奪う。
  • 平和の名のもとに、《差別》を表現するような作品を消し去る。

 このような世界では、学校は、スポーツ選手、資本家、製造業を世に送り出すことに熱心になり、賢者の育成を怠り、「インテリ」は人を罵る言葉となるのです。 

 現在においても、ドナルド・トランプなどの所謂「ポピュリスト」と呼ばれる指導者たちは、学者や研究者を目の敵にして「本ばっかり読んでいるインテリたち」と罵る傾向にあります。彼らの思想の背景には「反エリート主義」がありますが、それは彼らが非エリートであることとは無関係で、大衆にそういえばウケるという確信からなされる言動になります。

 本の価値の低下、反エリート主義、そして、問題を生み出すことを怖れ、本を消しさろうとする潔癖主義が、蔓延する時、本は焼かれることになるのです。

 

 レイ・ブラッドペリの描いた世界では、いかに人々に「考えさせない」ようにするかが、本を焼却する理由や、壁一面のテレビや延々と放送されるラジオに身をゆだねる生活様式の一つとなっているのです。 

 それは、本そのものがもつ、読む人に「考えさせる」という力を危惧したからなのでしょう。

 

思索する読書へ。 

 現在では、本を読むことよりも、youtubeを視聴することの方が好まれるのは疑いようがありません。理由は、面白さや、わかりやすさ、なのではないでしょうか。特に、情報をとる、という目的では、本よりインターネットの方が優れている場合も多くあります。

 読書にしても、最近では話題になった本だけを読むという人も多くいるのではないでしょうか。例えば、又吉直樹さんの『火花』は、300万部を超える大ヒットとなりました。この作品のすごいところは、普段本を読まない人に、本を買わせたことだと思います。

 しかし、わたしが、疑問に思うのは、話題になっている本を読む時の目的が、本を楽しもうとするものではなく、話題についていくため内容を知ろうとして読んだ人も多くいるのではないだろうか、というものです。

 それは、すでに本を情報をとるための、とみなしているに過ぎないのではないか、と思ってしまうのです。

 では、本を読むという行為において、もっとも大切なことは何でしょうか。

 ショーペンハウアーは、『読書について』で、読書の作法には二つの型があると指摘してます。それは思索型、読書型です。 

読書について (光文社古典新訳文庫)

読書について (光文社古典新訳文庫)

 

 

 読書型とは、そのまま、ただ人の考えたもの(本)を自分に埋め込もうとする人であり、思索型とは、本を読むことで自分自身の頭で考える人となります。

 そして、ショーペンハウアーは、

自分で考える人は、まず自説を立てて、あとから権威筋・文献で学ぶわけだが、それは自説を強化し補強するためにすぎない。

 と述べています。この思索型読書ができる人間が、思想家や天才と言われる人になるのです。

 同様のことを歴史家についても言うことができます。、著名な歴史家であるジャック・ル=ゴフが、中世歴史家ミシュレの研究業績について述べたものです。

歴史家としての仕事のはじめから、ミシュレにとって資料とは想像力の跳躍版、ヴィジョンの始動装置にほかならない。

 と、歴史資料という「事実」をあらわしたものであったとしても、それを読む歴史家により、新たな発想を生み出すことになるのです。

 これは、現代における新聞や、週刊誌の記事においても、それを鵜呑みにするのではなく、自分自身で考えること、そして、現実社会に対して、ヴィジョンを持つ必要があることと通じるものであると思うのです。

時代区分は本当に必要か? 〔連続性と不連続性を再考する〕

時代区分は本当に必要か? 〔連続性と不連続性を再考する〕

 

 

 この問題は、本を情報としてではなく、現実社会を生きるために、自分の頭で考える能力の育成する場やツールとして用いるという非常にレベルの高いものであると思います。

 それは、いかに読むのか、そして、いかにその本を評価するのか、という営みであるといえるでしょう。

 

未読と不読のコントラスト、そして既読の曖昧さ

 本を読むことにも、その巧拙がありますが、本を読んでいない状態ということにも、二つの状態があるのではないでしょうか。

 それは、ある本をまだ読んでいないという状態と、ある本を読まないという状態です。それは、「未読」と「不読」と表すことができるでしょう。

 本を読むという前向きな気持ちがある人であれば、本屋さんにあるほとんどの本は「未読」ということになりますが、すでに活字離れが問題になり大学生さえも本を読まない現代において「不読」を決めている人も多いのではないでしょうか。

 最近、あるお笑い芸人さんや有名な資本家の方がインターネットの放送で、「本なんて読んでる奴は、、、」とおっしゃっていました。彼らは、「不読」を選択したということなのだと思います。

 しかし、読んだものであっても、忘れてしまっていたり、読んでいなくても、内容を知っていたりする本があることも事実です。

 そうした読んだこと、読まないことの曖昧性を記した本が、あります。

読んでいない本について堂々と語る方法 (ちくま学芸文庫)

読んでいない本について堂々と語る方法 (ちくま学芸文庫)

 

 題名は、非常に変ですが、中身はいたって真面目です。この本では、読むことの曖昧性を詳細に述べています。

 著者であるピエールバイヤールは、ある本を読むことは、他の本を読まないこと、そして読んだとしても、内容を忘却していく、また、読んでいないにしても、内容を知っている状態があることを指摘し、読むという営みがいかに曖昧で、不確かなものなのかを述べているのです。 

 

本を読まないという《理想的な》状態は、いかなるものか?

 ここまで、本を読むということはどんなことなのかを見てきました。『華氏451度』においては、本は考えさせる力があるということから、危険視されることになります。一方で、ショーペンハウアーの『読書について』では、思索型読書ではない、他者の思想をそのまま借りることになる読書型読書は批判されています。この思索型読書を評価する傾向は、もちろん『読んでいない本について堂々と語る方法』でも継承されており、「考える」ということが最も重要視されていることがわかります。

 しかし、この考えると言う状態は、実は、本を読むという行為を続けながらでは、出来ません。思考するためには、自ら本を置き、自分で考える時間を持つことになるのです。ここに、理想的な読書の「読まない」という状況が生まれることになります。

 本を閉じ、自分の思考を巡らせる時間なのです。

  それは、本を読まない人々にも、巧拙はあったとしても可能なものであるとも言えます。しかし、本を読まずに、深い思索が出来る人々は少数であるのではないでしょうか。

 気づけば、テレビが大きくなり、いつでも見たい番組を見ることが出来るようになりました。ラジオ方法もradikoのおかげで、四六時中好きな番組を聴くことが出来ます。

 わたし自身、テレビが大好きで、毎日ラジオの深夜放送を聴いてしまうラジオリスナーなので、本を読む時間を確保できるようにしたいなと、戒めをこめて書きました。

 

 

 

 

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女性の運命を翻弄する真っ赤な提灯 中国映画『紅夢』をご紹介

 最近バチェラー・ジャパンを視聴しました。今は前半しか見ていませんが、何となく「ローズセレモニー」というシステムが非常に気になり、思わず昔見たことのある中国映画、『紅夢』のことを思い出しました。

 『紅夢』(原題:大紅灯笼高高挂=真っ赤な提灯を高くあげて、英語:Raise the Red Lantern)は、1991年、張芸謀(チャン・イーモウ)監督の作品です。日本での知名度はどれぐらいかはちょっと分かりませんが、中国、台湾、香港などの華人社会では大変有名な監督さんです。代表作『紅いコーリャン』(1987)、『HERO』(2002)など以外も、また数多くの名作を生み出し、最近もハリウッド映画『グレートウォール』(2016)の監督を勤めていました。

 

 張芸謀(チャン・イーモウ)監督は、とにかく映像の美しさと色使いに長けていまして、ビジュアル的に観客を魅了します。彼の後期の映画は賛否両論の部分がありますが、『紅夢』あたりの早期の映画に対して、恐らく低く評価する人はいないと思います(笑)

【目次】

 

 

 やや突然ですが、ここで、また少しバチェラー・ジャパンの「ローズセレモニー」の話に戻ります。バチェラー・ジャパンとは、25人の女性が一人のお金持ちの男性にアピールし、最終的にその男性が一人の女性を選ぶリアリティ番組です。毎回の最後には「ローズセレモニー」がありまして、女性陣の前で男性はそれぞれの名前を呼び、1輪のバラを渡します。渡されなかった女性は振り落とされることになり、退場になります。つまり、バラは男性からの「愛」の象徴物で、男性からの「愛」を獲得すれば女性は次のステージに進むことになります。同時に、バラは女性たちがお互いに自分の「腕前」を同じ立場に立つ他の女性達に「見せつける」象徴でもあります。

 このような「男性からの愛」=「女性の権力」を可視化し、女性たちの争いを描く手法の頂点に立つ映画は、『紅夢』だと思います。

 ゾットするほど美しく、そして恐怖を感じさせる作品です。

 

あらすじ


 物語の背景は1920年代の中国です。父を亡くした後、元々女学生の19歳の主人公、頌蓮(ソンレン)は大学を中退し、ふる里を離れ、素封家の妾として、大きな邸に嫁いでいきました。
 嫁ぎ先は非常に立派で由緒のある家で、色々なしきたり(中国語:規矩)を守らなければいけません。そして、彼女が訪れる前に、旦那にはすでに3人の奥様がいます。4人の女性はそれぞれ異なる「院」(別棟)に住み、一番目の奥様の住居は「大院」と呼ばれ、二番目は「二院」、三番目は「三院」、そして主人公は「四院」になります。
 毎晩、旦那は4院のうちどの「院」に泊めるのを決め、選ばれた「院」は内外とも赤い提灯が灯されます。旦那の寵愛を得たら、家での地位も上がり、召使いたちからの尊敬も得られます。最初すべてバカバカしいと思った頌蓮(ソンレン)も徐々に女性たちの争いに巻き込まれていきます…

 

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赤い提灯へのまなざし


 『紅夢』の中では、奥様たちの権力は旦那によって与えられたものです。本人の意志を問わず、選ばれた女性はその権力を他の女性に「見せつける」義務が巧妙にしきたりの中に潜んでいます。赤い提灯だけではなく、足裏たたき(専門の老婆は小さい木槌でカタカタの音を出しながら奥様の足裏を叩きます…マッサージ的なもの)も聴覚的に精神的なプレッシャーを与え、そして、旦那が今夜の泊まり先を発表するのも、わざと女性たちを対面させるしきたりもあります。無視したくても、旦那のこと愛さなくても、他の女性のまなざしから毎日女性としての価値を再確認する義務が課されるようで、競争心を燃えさせる恐ろしいしきたりです。

 

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足裏たたきされている主人公(右)、足ただき専門の老婆(左)、中央に立っているのは召使い(図像出典豆瓣

 

女性が争う家の中での地位

 

 邸内では、妻と妾達の「成功」には2つの判断の基準があります。

 一つ目は、旦那の「寵愛」を得ること(性的対象としての女性)で、そして、もう一つ目は、跡継ぎの男の子を生むこと(家の中の地位、母としての女性)です。二つの基準ともクリアしなければいけませんが、特に男の子を生むことがより重要で、家の中で安定した地位がほしいならば、跡継ぎを生むことが不可欠です。「大院」の一番目の奥様は年取って、すでに性的な対象から外されていましたが、本妻且つ息子を産んだので、なんとなく地位を保っていました。そして、一番恐ろしいことは、みんなの争いの対象の旦那は、映画の中で顔を一回も映されることはありません。つまり、旦那が誰であろうと、どんな人でも、男性の権力を維持する「しきたり」さえあれば、この物語は成り立っています。そして、邸の壁が高く、閉じ込められているような閉塞感がこの映画には描かれているのです。

 

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灯籠を灯す「院」、赤はめでたい色のはずですが、禍々しい雰囲気がします。(図像出典:豆瓣

 

 まことしやかな喩え話

 

 『紅夢』の原作は、作家蘇童の小説『妻妾成群』から改編されたものですが、調節を色々加えられたようでした。元々中国南方の設定を北方に移し、灯籠と足裏マッサージなどの要素も映画の中に新たに加えたものです。
(ちなみに、原作の日本語訳は1992年の雑誌『季刊中国現代小説』(第1巻20号)で、千野拓政が翻訳しました)

 赤い提灯、煉瓦の邸宅、チャイナドレスをまとう美人、演劇、父権社会、祖先崇拝、しきたり……『紅夢』はまさに「中国らしさ」を完璧に演出する映画です。ところが、そういう「民俗」実際に存在しませんでした。『紅夢』のロケ地は中国の山西商人の大豪邸「喬家大院」で撮影されたもので、山西商人の喬家は19世紀から20世紀初頭まで中国の金融業の牛耳を執る商人の一族でした。しかし、映画の中に出てきた旦那の寵愛によって灯籠を灯すことや足裏マッサージを受けることなどが一切なく、その代わりに、浪費を防ぐために妾を取ることを禁ずるしきたりがあるようです。
…さすがストイックな商人!! 毎日の修羅場から回避することは、賢明な判断だと思います(笑)

 そして、物語の舞台である、1920年代の中国も非常に興味深い点です。中国の歴史では、最後の王朝――清――は大体1911年あたりで滅亡しまして、1920年代はまさに新しい時代になって、「女学生」という女性の新たな身分が徐々に表舞台に出るところでした。新時代の象徴の主人公がこの古めかしい邸に嫁いた最初の夜、旦那は彼女の顔を見つめて「…洋学生はさすが違うね」と言った後、すぐに「さあ、服を脱いて寝よ。」と言いました。どのような身分でも関係なく、この邸にいる限り徐々にしきたりに飲まれる運命を予言することだと思います。

 

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主人公頌蓮(ソンレン)が初めて邸に来た時の服装(図像出典豆瓣

 

『紅夢』の中のしたきりは男性の権力の保証と結びつき、ジェンダー的な視点でこの映画を見ている方は非常に多いと思います。それは確かに重要な視点ですが、私としては、個人(映画の中の女性たち)がどのようにしきたり(システム)に挑戦していくかがテーマなのだと思います。一旦、閉鎖的な環境に閉じ込めると、徐々にそこの価値観を身に着け、しきたり(システム)を従い始めます。それは学校の人間関係でも、会社の仕事でも同じような気がします。私は競争に参加することは悪いことではないと思いますが、もしそこで生き甲斐を感じなくなってきたらちょっと距離を置く必要があると思います。でも色んな複雑な感情が絡み合う中に、自分自身がそれを気づくこともかなり難しいことでしょうね。『紅夢』の中の女性たちはまさかに邸に閉じ込められ、逃げ場のない感じです。そして、唯一屋敷から自由に出入りできる人は、顔を見せない旦那のみです……

 

どんどんネタバレしていく予告、気になる方は予告編を見ない方が良いかも。

残念ながら、『紅夢』は日本語のDVDは出ていないようです……
気になる方は英語のタイトルで検索をかけてみた方が良いかもしれません。

 

張芸謀(チャン・イーモウ)監督のもう一つ作品『菊豆』は近年ブルーレイが出ました。『菊豆』の方が暴力と性的な要素が『紅夢』より露骨で、男性も「家」や「しきたり」に束縛されていることを描いた話だと思います。

…ちなみに、『菊豆』の舞台は染め屋で、特に、葬式のシーンはビジュアル的に大変素晴らしいと思います。

 『菊豆』に関する優れたレビューは「愛と呪いの民話…そして神話」を参照してください。

菊豆 [Blu-ray]

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最後、バチェラー・ジャパンは一応恋愛番組且つ男性の主人公もイケメンで、『紅夢』ほど恐ろしい作品ではないので、どうぞ安心してみてください(笑)。

 

 

参考文献:

  • 周安邦(2005)「《大紅燈籠高高掛》的主題思想與文化意涵」、『逢甲人文社會學報』(11)(リンク
  • 阿賴耶順宏(1992)「張芸謀『紅燈』をめぐって:激情から沈潜ヘ」、『東洋文化学科年報』(7)(リンク

 

以上の二つの参考文献は私の変な感想と違って、非常に詳しい分析でした!
興味のある方は是非参考にしてください!(但し、分析が良い分ネタバレも結構していますので、気になる方はご注意を 笑)

 

 

台湾の映画についても、記事を書いておりますので、ぜひそちらもご覧くださいませ!

www.oniten-yomu-book.com

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文学部で学ぶということ。

 わたしのような人間が「文学部」というものを語る資格があるのかわかりませんが、消えゆく文系学部に属していた人間として、そして文学部という魔窟に10年もいた人間として、少し書きたいと思います。これから文学部に進学しようか迷っている高校生や、進路相談を受ける立場の方に読んでいただけたら嬉しいです。

【目次】

 

 

文学部で学ぶとは?

 端的に申しますと、文学部で学ぶとは、以下のような本を読まないということだと思っています。(貶めているわけではなく、褒めています。理由は下記に。)

ニーチェが京都にやってきて17歳の私に哲学のこと教えてくれた。

ニーチェが京都にやってきて17歳の私に哲学のこと教えてくれた。

 
史上最強の哲学入門 (河出文庫)

史上最強の哲学入門 (河出文庫)

 

  これらの本は決して質の悪い本ではありませんし、とてもわかりやすい本です。中身は、有名な哲学者のキャラ化や、各思想の簡単な説明になります。とても売れている本だそうです。この本によって、哲学というものの間口が広がり、学びたいと考える人が増えているかもしれません。

 しかし、わかりやす過ぎるのです。

 例えば、キャラ化は、カテゴライズやレッテル貼りに似ています。それは、ある対象を、自分がわかりやすいものに、落とし込む作業です。しかしながら、その作業は、情報を取捨選択し、あくまで自分たちに対象を引き寄せたものであり、自分がその対象に近づこうとする作業ではないということを理解しなくてはなりません。

 文学部で学ぶということは、「わかったつもり」で語ることから、「わからない」を楽しむレベルに向かうことであると思っています。

 哲学を学ぶのであれば、最低でもその哲学者の原著を読まなくてはなりません。その多くは、難解で、しかも外国語で書かれているものです。

 文学でも同様です。イギリス文学であれば、英語を、ロシア文学に所属し「ドストエフスキーを読む!!」と決意したのなら、ロシア語で読まなければ、教授から何を言われるかわかりません。

 日本文学であっても、深い読解力が必要になりますし、作品の背景を理解しなくてはなりません。

 文化人類学や民俗学では、主に自分の文化圏とは離れた地域について調査することになります。

 それは、自分から「わからない」へと向かう勇気を伴うものなのです。

 文学部での研究や勉強は、「他者」である著者や作品に、自分から近づいて行くことであると思います。それは、挫折や、苦しみを伴うものであると思いますが、わからないものが、すこーし、わかったときの喜びは、計り知れないのです。

 その少しばかりの「わかる」ことの嬉しさと、「わからない」への興味を持続させなければ、文学部で学ぶことは難しいのではないか、と思っています。

 

研究は自由だ。

 文学部の研究は基本的に自由です。理系の学生のカリキュラムに比べたら、驚くほどに自由です。理系の学生に聞くと、卒業論文や修士論文は、先生に言われた範囲を研究したとか、先輩の研究を受け継いで論文にした、という話を聞きますが、文学部の研究では、そんなことはありません。自分の興味・関心で、研究対象を選ぶことができます。

 例えばですが、わたしが、大学3年生だった頃、1年間、同性愛(主に、明治時代の男色)について、ひたすらに調べた経験があります。

 ひとえに、同性愛研究といっても、文学的、民俗学的、宗教学的、社会学的、神話学的などなど、文学部では、様々なアプローチで研究することが可能です。

 わたしが所属していた文学部では同性愛を、中世の僧侶と稚児の関係から研究していた歴史学者の先生や、マンガなどの表現から研究していた社会学の先生もいらっしゃいました。

 自分が興味があることを、研究対象としすることができる、しかも、かなり無理がきく!、それが文学部の研究なのかもしれません。

 

就職や、仕事に関係ない!

 文学部の魅力の一つに、「社会に役に立たない!」というものがあります。それは、時に、批判される理由になりますが、わたしは魅力として考えています。ここで、有名な数学者の岡潔さんの一節をみてみましょう。

私は数学なんかをして人類にどういう利益があるのだと問う人に対しては、スミレはただスミレのように咲けば良いのであって、そのことが春の野にどのような影響があろうとなかろうと、スミレのあずかり知らないことだと答えて来た。

私についていえば、ただ数学を学ぶ喜びを食べて生きているというだけである。そしてのその喜びは「発見の喜び」にほかならない。(『春宵十話 (角川ソフィア文庫)』)

 これは、文学部での研究にも、そのまま言えることだと思っています。しかし、社会人になっても、これと同じことがいえるでしょうか。社会人になった以上、会社や組織、そして社会の役に立つことが求められるのは必然であると思います。

 だからこそ、学生時代、最後のムラトリアムぐらいは、思い切って自分のためだけに、勉強してはいかがでしょうか?自分の興味関心に、猪突猛進で楽しめる最後の期間を是非、文学部で学んでいただきたいのです。

 しかも、就職にあまり「文学部出身」は関係がないようなのです。昨年の話ですが、わたしの所属していた研究室の学生10名中、6名が超大手金融機関に就職したのです。彼らは、まったくといっていいほど金融系の研究や勉強をしていません。それなのに、受かったのは、彼らの人間性を評価されたからなのではないでしょうか。

 彼らは、「得した」といっていました。大学時代、興味関心に素直になって研究し、なぜか、大手企業に就職したのですから。

 わたしの経験では、文学部出身という経歴が、就職に不利に働くことはないように感じています。

 大学院生でも、有名企業や公的機関に就職している院生も多く、彼らは入社後、企業の制度を利用し、海外の大学へ留学するなど、ワールドワイドに活躍しています。

 

 今回の記事では、文学部で学ぶことについて書いてみました。

 

 

 

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わたしに、文学部進学を決心させた本たち。 高校時代に出会った7冊をご紹介!

 現在、文学部不要論が唱えられています。文系学部は、縮小され、理系学部が拡充されていくことになるのは、もう止められない、時代の流れなのだと思います。

 同じような不要論を考えますと、部活不要論、そして結婚不要論まで、存在しています。「文学部がなくても、部活しなくても、結婚しなくても、幸せになれる時代」ということなのでしょうか。

 わたしは、中学高校大学まで部活動をして、大学院も文学部を選び、無職で結婚したおじさんなので、今の時代と全く逆行している感があります。だいぶ「不要」なものに人生を捧げてきました。そして、悔いはありません。

 今回の記事では、ハッピーな文学部ライフを送るきっかけとなった本との出会いについて書いてみたいと思います。

【目次】

 

 

 

 それでは、わたしの高校時代の文系理系選択から遡って、本との出会いについて書いていきます!!2000年代前半の話です。

わたしの高校時代

高校1年生 文系を選ぶ。 

 わたしの高校では、2年生になると、文系と理系を選択しなくてはなりませんでした。担任の先生からは、「お前は、完全に理系だ」と言われていたのですが、迷わず文系を選びました。それは、通学時に読んでいた本の影響がありました。

 その頃、読んだ本は、

 ①中坊公平 『罪なくして罰せず』

罪なくして罰せず

罪なくして罰せず

 

内容紹介

古希を迎え、3年間務めた整理回収機構(旧住管機構)社長を退任し、再び弁護士となった著者の回顧録。落ちこぼれだった幼少時代から、森永砒素ミルク事件、豊島産廃問題など、弁護士として「現場主義」を信念に常に不正と戦い続けてきた自己の人生を語り尽くした力作。

 この頃は、官僚や司法官になりたいと考えていましたw 祖父が法曹界にいたということも影響されていたのだとおもいます。この本を読んで文系に進もう!と思いました。

 

そして、

②夢枕獏『陰陽師』シリーズを読みました。  

陰陽師(おんみょうじ) (文春文庫)

陰陽師(おんみょうじ) (文春文庫)

 

内容紹介

死霊、生霊、鬼などが人々の身近で跋扈した平安時代、妖しのものを相手に陰陽師安倍清明が親友の源博雅と挑むこの世ならぬ難事件

 

 このシリーズが大好きになったわたしは、この物語のモチーフになった古典を少しずつ調べるようになりました。これで、完全な文系男子になりました。

 

 

高校2年生 人間の「闇」に興味をもつ

 高校2年生になって、社会と人間の心の闇に興味を持つようになりました。それは、この2冊との出会いによるものでした。

③ロバート・K・レスラー 『FBI心理分析官』シリーズ

FBI心理分析官―異常殺人者たちの素顔に迫る衝撃の手記 (ハヤカワ文庫NF)

FBI心理分析官―異常殺人者たちの素顔に迫る衝撃の手記 (ハヤカワ文庫NF)

  • 作者: ロバート・K.レスラー,トムシャットマン,Robert K. Ressler,Tom Shachtman,相原真理子
  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 2000/12
  • メディア: 文庫
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  内容紹介

被害者の血を飲む殺人鬼、バラバラにした死体で性行為にふける倒錯者、30人以上を殺害したシリアル・キラー…異常殺人者たちを凄惨な犯罪に駆り立てたものはなにか?FBI行動科学課の特別捜査官として数々の奇怪な事件を解決に導き、「プロファイリング」という捜査技術を世界中に知らしめて『羊たちの沈黙』や「X‐ファイル」のモデルにもなった著者が、凶悪犯たちの驚くべき心理に迫る戦慄のノンフィクション

 『羊たちの沈黙』のモデルとなった著者という言葉で、この本の内容がわかると思いますが、筆舌につくしがたい、恐ろしい事件が描かれています。このシリーズの第二巻は、日本の事件も扱っています。

FBI心理分析官〈2〉―世界の異常殺人に迫る戦慄のプロファイル (ハヤカワ文庫NF)

FBI心理分析官〈2〉―世界の異常殺人に迫る戦慄のプロファイル (ハヤカワ文庫NF)

  • 作者: ロバート・K.レスラー,トムシャットマン,Robert K. Ressler,Tom Shachtman,田中一江
  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 2001/03
  • メディア: 文庫
  • 購入: 4人 クリック: 38回
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 この本を読んで、人間の怖さを知り、人間の心の闇について研究したいと思うようになりました。

 

 そして、決定的となったのは、 

④遠藤周作 『沈黙』との出会いでした。

沈黙 (新潮文庫)

沈黙 (新潮文庫)

 

  内容紹介

島原の乱が鎮圧されて間もないころ、キリシタン禁制の厳しい日本に潜入したポルトガル人司祭ロドリゴは、日本人信徒たちに加えられる残忍な拷問と悲惨な殉教のうめき声に接して苦悩し、ついに背教の淵に立たされる……。神の存在、背教の心理、西洋と日本の思想的断絶など、キリスト信仰の根源的な問題を衝き、〈神の沈黙〉という永遠の主題に切実な問いを投げかける長編。

 今年、映画化され、話題となった本ですね。わたしは、この本を読んで、ますます人間の心、そして、その人間の心を支え、時には支配する文化や信仰に興味を持つようになりました。

 

高校3年生 「狂い」に魅せられる

 この頃には、人間の心、とりわけ「狂う」ことに興味を持ちました。そして、狂いの不思議な魅力を感じるようになったのです。この頃には、法律を学ぼうなんて気は、全く失っていましたw

 そして、わたしは、勝手に「狂いの文学」と、名付けた三つの作品と出会いました。

⑤大岡昇平  『野火』

野火 (角川文庫クラシックス)

野火 (角川文庫クラシックス)

 

 内容紹介

敗北が決定的となったフィリッピン戦線で結核に冒され、わずか数本の芋を渡されて本隊を追放された田村一等兵。野火の燃えひろがる原野を彷徨う田村は、極度の飢えに襲われ、自分の血を吸った蛭まで食べたあげく、友軍の屍体に目を向ける……。平凡な一人の中年男の異常な戦争体験をもとにして、彼がなぜ人肉嗜食に踏み切れなかったかをたどる戦争文学の代表的名作である。

 南島の戦地で、飢えに苦しみ「猿」の肉を食らうことになる兵士たち、そして、、、

 戦地の情景がありありと想像できるような凄絶な筆致に、高校生であったわたしは圧倒されたことを覚えています。

 

⑥村上龍 『限りなく透明に近いブルー』

限りなく透明に近いブルー (講談社文庫)

限りなく透明に近いブルー (講談社文庫)

 

 内容紹介

麻薬とセックスに明け暮れるスキャンダラスな青春を題材に、陶酔と幻覚の裏の孤独を描く詩的情感と清潔な感受性。24歳のきらめく才質が創る衝撃の“青春文学”。芥川賞受賞作

 『野火』が戦地を舞台にした作品出会ったのに対して、こちらの作品は米軍基地がある東京の福生、主人公はクスリとセックスに溺れた生活を送っています。この作品の印象は強烈で、「世の中にはとんでもない小説家がいる!!」と興奮したのを覚えています。

 

⑦安部公房 『砂の女』 

砂の女 (新潮文庫)

砂の女 (新潮文庫)

 

内容紹介

砂丘へ昆虫採集に出かけた男が、砂穴の底に埋もれていく一軒家に閉じ込められる。考えつく限りの方法で脱出を試みる男。家を守るために、男を穴の中にひきとめておこうとする女。そして、穴の上から男の逃亡を妨害し、二人の生活を眺める村の人々。ドキュメンタルな手法、サスペンスあふれる展開のうちに、人間存在の極限の姿を追求した長編。20数ヶ国語に翻訳されている。読売文学賞受賞作。

 この作品の「狂い」は静的なもので、前述の二作品とは少し異質なものですが、乾燥した砂に、滴る露の描写は、主人公と女性の二人の生活の緊張感、そしてエロティシズムを感じさせるものです。

 

 これらの作品を読むことによって、人間の心、とくに心の闇の部分、「狂い」というものに興味を持つようになり、文化や社会に縛られ、そしてそれから逃れようとする人間を研究したいと考えるようになりました。

 そうした研究ができる場が、文学部であったのです。

 

 

 

 

 みなさんは、自分の人生を振り返った時に、ターニングポイントとなる本はありますか?

 今回の記事では、わたしの人生の岐路の決断を支えてくれた本を紹介させていただきました。

 

 

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わたしの読書習慣 時間がないあなたに「読書トーナメント」のススメ

 わたしは、月に15〜20冊ほど本(学術書や小説)を購入します。積読もありますので、月の読書量は10冊程度になっています。

 わたしは、速読ができないので、本を読む時間を特別に作らなければなりません。

 20代中頃の2年間は、毎日1冊読むという荒行をしていたのですが、最近は時間も取ることが難しくなってきてしまい。読みたい本を読む、というよりは、読まざるを得ない本を読んでいる状態になってしまっています。

 そんな中、わたしが気づかぬうちに新たな読書法を編み出していたことを、発見しました。それは、複数同時平行でトーナメントのような読書方法です。

 【目次】

 

それでは、わたしの読書習慣について書いていきたいと思います!

一冊読了型読書から、複数同時取捨選択型読書へ

 若りし頃の2年間、毎日1冊本を読むと決めたわたしは、仕事が終わり家に帰ったら、自室にこもり、本を読み終わるまで、椅子から動かないという毎日を送っていました。その頃は、主に小説を読んでいたので、1冊読み終わったら、次の1冊というふうに本を選んでいたのです。

 しかし、忙しくなり、読書に思うような時間が取れなくなってしまった現在、読みたい本を読めなくなってきました。そんな状況の中でも、欲しい本は沢山あります。

 

わたしの本を買う時のルール

 忙しくて時間がない、そんな状況でも本を購入することはやめられません。それは、わたしの本を購入するルールが関係しています。

 当たり前ですが、古書店で貴重書に出会った時、迷わず買います。貴重書であれば1万円くらいなら、迷いはありません。お財布は痛いですが。。。

 アマゾンなどの通販サイトなら、1000円以下の本は、脊髄反射的に購入してしまいます。最近は、運送会社の方の疲労を考え、週末ごとにまとめて購入するようにしています。

 どうして、このルールを作ったのか、それは大学院で先生に「文献は、なまもの、みずものだから、見つけときに買わないとどっか行っちゃうんだよね」と言われたこと、そして、本当にどこかに行ってしまう(忘却、消滅、不明)ということを経験したからです。

 そんなことから、現在でも、月20冊くらい本を購入する癖がついてしまいました。

 

読みたいが、読む時間がない時に、

 本を購入しても、読む時間がなかなか取れない、ということが多く、読みたいが読めない、という状況で、わたしがしていること、それは、優先順位をつけるということです。

 仕事で使うため読まざるを得ない本は、別として、趣味で読んでおきたい本に、優先順位をつけていくことになります。

 その時には、4 〜5冊を同時に読み始めます。読んでみないとわからないことがあるからです。それは、文章の難解さ、知識の必要性、面白さなどで、読み進めるスピードも変わっていきます。大まかに言えば、1日100〜200ページを読むことになります。

 まず、4冊を20ページずつ読んでみる、通勤時間、昼休み、トイレ、風呂など、読書できる場所を見つけては、それぞれの本に目を通していきます。

 徐々に本を少なくしていきます。3日でぐらいで、3冊くらいに絞り、各本の読む量を増やしていきます。この時には、40ページずつくらいは、読みすすめられます。

 そして、1冊に絞っていきます。この読み方だと、読みやすい本は他の本にくらべ早く読み終わりますし、つまらない本を読むことで、時間を浪費することはありません。

 1冊読み終わったら、次に優先順位で2位だった本を読みます。そして3位くらいまで読み終わったら、このグループは終了です。新たに購入した本を、また5冊ほど選び読み始めます。

 2冊〜3冊は、途中で投げ出すことになってしまいますが、目次や、各章数ページを確認し、内容はメモをとるようにしています。

 また、一目で「1日で読み通せる」とわかれば、その日に読み終わるようにします。

 

この読書習慣の利点

 この読書方法の利点は、読み終わるのを待つ必要がない、ということです。たびたび、この本を読み終わるまで、次の本を読まないと決めてしまい、ついつい読書が苦痛になってしまうことがありますが、この方法ではそうなる危険性はありません。

 30代になってから、人生で残された時間の少なさを感じるようになりました。この世界には、読むことのできる本より、読めない本のほうが多いのです。そのため、何を読むか、よりも、何を読まないかを決めることの方が、重要になります。

 

時には、1冊をじっくり読む

 この読書法をするようになってからも、1冊をじっくり読むということもしています。哲学書などは、すぐに読み切ることは難しいですし、1ヶ月くらいかかるので、こういう難解書、考えながら読みたい本は、別枠として、読書時間を設けています。

 哲学書など、頭をウーンと掻きむしりながら読む本も、それはそれで魅力的です。現在は、ドゥルーズを読んでいるのですが、なかなか骨太なので(わたしの知性が足りないのかもしれませんが)、ドゥルーズに関する概説書や、人物評伝などを読みながら、読み進めています。

 

 

みなさんは、どんな読書方法で、本を読んでらっしゃいますか?

いやぁ、読書って本当にいいものですね。

 

 

 

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よみがえる伝承・都市伝説 常光徹『学校の怪談−口承文芸の研究〈1〉』 おすすめの本の紹介 & めざせ!妖怪検定!⑤

  今回の記事では、一冊の本の内容を紹介していきたいと思います。

〈目次〉

 

 「トイレの花子」や「口裂け女」のような、1980年代に一世風靡した都市伝説の背後には、急速的な社会変遷との関係性があります。しかし、これらの物語や設定などは全て「新しいもの」ではありませんでした。今回は常光徹の『学校の怪談:口承文芸研究Ⅰ』を紹介し、「物語の枠組み」から、現代風の話の中に潜む昔の伝承との類似性を見出していきたいと思います。

 

「学校の怪談」を研究する 

学校の怪談―口承文芸の研究〈1〉 (角川ソフィア文庫)

学校の怪談―口承文芸の研究〈1〉 (角川ソフィア文庫)

 

 

  この本の中に取り上げた怪談話は、ほぼ著者の常光先生が1980年代に書いたものです。「はじめに」と「あとかき」によると、当時、口承文芸などの物語を調査したいなら、山奥の集落で年寄りの長老に聞くのが普通のようでした。大学卒業後、著者は中学校の先生と勤めながら、夏休みや冬休みを利用して東北地方や北陸地方などに向かい、物語の収集に注力したそうです。ところが、お年寄りの話し手がますます探しにくくなり、この状況に対して、常光は「伝承の危機」に悩まされました。1985年、勤め先の学校の中学生達から話を聞くこときっかけに、彼は、村を基盤にする昔話が衰退としても、「話」自体は衰退することはなかったことに気づきました。その後、学校に関する話色々を集め、村落社会と違う新しい伝承空間の存在を提示した。

 

 『学校の怪談:口承文芸研究Ⅰ』では、トイレ、教室、家、予兆譚などの場所や物語の類型を取り上げて、ここでは最初に取り上げられた「トイレ」を中心に内容を紹介していきたいと思います。

 

まずは、「赤い紙・青い紙」の類型の話です。

 

トイレで、赤い紙を選ぶと血まみれになって死に、青い紙を選ぶと真っ青になって死に、黄色い紙を選ぶと助かって、白い紙を選ぶと壁に引きずり込まれる。

 

(怪異・妖怪伝承データベース:http://www.nichibun.ac.jp/YoukaiCard/2610023.shtml)より

  

 そして、「赤い紙・青い紙」を取り上げると同時に、似ている話として「紅いはんてん」を取り上げます。ここで掲載している「赤いチャンチャンコ」も同じモチーフの話です。

 

 ある学校で女の子がトイレに入ると「赤いチャンチャンコ着せましょうか」という声が聞こえてきたので、怖くなり逃げ出した。翌日、警察官と婦人警官がそのトイレを見張っていた。婦人警官がトイレに行くと同じように声が聞こえてきた。婦人警官が「着せて」と答えると、婦人警官は首を切られて死に、飛び散った血で服が赤いチャンチャンコのようになった。

 

(怪異・妖怪伝承データベース:http://www.nichibun.ac.jp/YoukaiCard/2470038.shtml)より

 

 

 タイトルは一見意味不明ですが、最後はまさかの血まみれのことを指し、本当に怖かったですね……

 「赤い紙・青い紙」と「赤いチャンチャンコ」の二つの話は違うように見えますが、物語の構成からみると、両方とも、

①挑発(問いかけ)―②反応(選択/回答)―③結果(被害)」の三段階から構成される話しで、昔の「やろうか水」の構造と似ています。

(遣ろうか水の話は、妖怪検定ノートを参照)

 

 そして、トイレの際に、下半身が何も着ていない状態になり、しかもちょっと臭う、薄暗い狭い場所に閉じ込められた緊張感から、身体が触れられる恐怖や覗かれた不安などもつながっています。

 

例えばこのような話、

小学校のトイレの天井に穴があいていた。そこからお化けが出てきてお尻をさわる。お化けは後ろを振り向くと逃げていく。

 

(怪異・妖怪伝承データベース:http://www.nichibun.ac.jp/YoukaiCard/2470037.shtml)より

 と、このような話

 ある先生が以前勤めていた学校には、学校の外にトイレがある。その一番奥のトイレにはいつも鍵がかかっている。鍵穴を覗いてみると中の目がこちらを見ている。

 

(怪異・妖怪伝承データベース:http://www.nichibun.ac.jp/YoukaiCard/0970061.shtml)より

   

 触られた恐怖と覗かれた恐怖から見ると、昔にも類似する感覚がありましたが、物語の中心は触れることより、むしろ触れた後のことがポイントだと思います…

 

 

めざせ!妖怪検定!!

それでは、妖怪検定ノートの内容に入りたいと思います。

ぜひ手元の『決定版 日本妖怪大全』と合わせて参照してください。

  

決定版 日本妖怪大全 妖怪・あの世・神様 (講談社文庫)

決定版 日本妖怪大全 妖怪・あの世・神様 (講談社文庫)

 

 

 

 

キャロルの妖怪検定ノート:

 

1.遣ろうか水(頁752)

  • 状況:大雨が降り続ける際に、川の上流から「やろうか、やろうか」の声、村人が、「寄こさば寄こせ」と返事しました。すると、流れが増え、あたりが海になった。
  • 地域:尾張(現:愛知県)、美濃(現:岐阜県)の木曽

 

2.、黒手(頁281)

  • 地域:能登の戸坂村
  • 笠松という人の妻が厠に行く際に尻が撫でられ、その後、笠松がその手を切り落とした。
  • 四、五日の後、三人の行脚僧が来て、笠松は祈祷を頼んだ。行脚僧実は妖怪、妖怪が手を奪還。
  • 一ヶ月後、その手を斬る刀も取られた。

 

3.狸伝膏(頁574)(※読み:、ばけものこう

  • 地域:、備前の中山下(現:、岡山県)
  • 土方という士族では、女性が厠に行く際に毛深い手で撫でられた。退治、その手を切り落とした。手を見て、狸の手でした。
  • 夜、狸が夢枕に立ち、手の返すことを懇願。手を返すお礼として、秘薬を授けました。

 

4.高女(頁422)

  • 下半身がニューっと伸びることができる、遊女屋の二階を覗き歩く女性の妖怪。
  • 嫉妬深い醜女
  • 和歌山県では、高女房という鬼女がいる。木地屋の妻。

 

5.屏風覗き(頁620)

  • 屏風立てて寝る際に、影から髪が垂らしていて、屏風の上から覗く。
  • 大抵新婚の夜に出る。
  • 封じる方法:屏風を使わない

 

6.加牟波理入道(頁241)(※読み:かんばりにゅうどう)

  • の神。大晦日の夜、厠で「加牟波理入道ほとときす」を唱えると、一年間厠に妖怪が出ない
  • 古今百物語評判』:紫姑神。唐の李景、正月十五日で愛人を殺したため、正月では厠にこの愛人を祀る。
  • 便所の神:秋田―土人形、出雲―トウモロコシの男女一対の神、閑所神

 

7.花子さん(頁587)

  • 誰もいないトイレのドアを叩きながら、「花子さんはいますか?」と聞くと、「はーい」の返事がきて、便所から青白い手が出ておかっぱ頭の少女が現れたことも。
  • コックリさんのように、ノックの数でyesとnoを表現できる。

 

同じ都市伝説の類(ですが忘れられやすい)の妖怪↓

 

8.ヒバゴン(頁611)

  • 地域:広島県東北部の山林
  • 昭和45年頃キノコを探すために山に行く小学生が発見。
  • 身長150~160メートル
  • 全身が薄い茶色の毛。頭は逆三角形、猿でも人間でもなかった。
  • ヤマンゴともいう

 

 

最後ですが、読む際に非常に興味深いと感じた「逆さま言葉」をここで紹介します。

よくわからない内容で、早口言葉として一気に読むのようです。以下は作者が中学生の男の子から聞いた話です。

とーんと昔のつい最近

今日の朝から夜だった

八十五六の孫連れて

とことことことこ這ってきた

どんどんどんどん登ってきた

海から崖に落っこちた

見てない人が発見し

急いでのろのろ電話した

一人の警官がぞろぞろと

曲がった道をまっすぐに

急いでのろのろ這ってきた

 

『学校の怪談:口承文芸研究Ⅰ』、頁90)

 

 よく分かりませんが、何故か非常に不思議な感じでした。妙に不気味です。『学校の怪談:口承文芸研究Ⅰ』の中には様々なパターンを紹介していますので、興味のある方は是非!

 口承文芸の中にこのような話を「てんぽ物語」、「がっちゃま物語」という地方もあります。分析によると、非日常的な物事を一気に述べることによって、言葉の力によって混乱を創造し、その後の秩序の復活に繋がるという。近世の地誌では、盲目の法師が語られ(話の内容は違いますが、内容のモチーフは同じです)、現在では子ども達が日常的な緊張感を施す清涼剤として使われているとそうです。

 

 妖怪検定の中にも、言葉遊びやダジャレのような妖怪が出てきます(怖くないけど 笑)。

以下二つを紹介します。

 

 9.いそがし(頁73)

  • いそがしに取り憑かれると、あくせくになります。
  • あくせくをしていると、妙に安心感が包まれます。

 

10.火間虫入道(頁613)(※読み:ひまむしにゅうど)

  • 鳥山石燕の『今昔百鬼拾遺』に描かれました。
  • 怠け者の妖怪化
  • 人々が一生懸命夜なべして働くと、火間虫入道が現れ灯油を舐め、人の夜なべを妨害する。
  • ヘマムシと訛る、ヘマムシの文字遊戯と関係する。

 

 『学校の怪談:口承文芸研究Ⅰ』を通して、妖怪や怖い話も時代とともに変化していくことが分かりました。そして、本の中では似ているパターンの話を複数に収録していますので、物語を楽しむだけではなく、その枠組みも一層見やすくなっている気がします。

怪談や口承文芸に関心のある方はぜひ手元に!

 

 

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数学者によって作られたアニメがある。  サイモン・シン『数学者たちの楽園 「ザ・シンプソンズ」を作った天才たち』 おすすめ本の紹介です。

 みなさん、数学は好きですか?わたしは、数学の才能は、からっきしなかったのですが、数学者についての本を読むのは大好きです。フェルマーの最終定理や、ポアンカレ予想などの難問に挑む数学者の姿に、胸がトキメキます。

 今回、紹介する本は、挑戦する数学者について描いた本ですが、彼らが挑むのは数学的難問ではなく、コメディです。アメリカの大人気アニメーション「ザ・シンプソンズ」で、彼ら数学者たちは、脚本家となり、コメディに挑んだのです。

【目次】

 

 

 

サイモン・シン 『数学者たちの楽園「ザ・シンプソンズ」を作った天才たち』

数学者たちの楽園: 「ザ・シンプソンズ」を作った天才たち

数学者たちの楽園: 「ザ・シンプソンズ」を作った天才たち

 

内容紹介

笑うか? 悩むか? 見つけられるか? 超人気アニメに隠された、驚くべき数学の世界! アメリカ 1アニメ『ザ・シンプソンズ』は、じつは超難解な“数学コメディ"で、シナリオを作ったのはなぜか“ハーバードの博士"たちだった! 番組の大ファンである著者がシンプソンズ・ファミリーのドタバタ風刺アニメに隠された数学の魅力とサブカル的なディテールを語り尽くす。アメリカの知性・感性・毒性がここに!

 

 内容紹介を読んだだけでも、面白そうですね。

 

シンプソンズとは?

 シンプソンズは、アメリカのテレビ放送史上、最も成功した娯楽番組と言われ、1989年の放送から、現在まで、放送されている長寿アニメ番組です。

 アニメの中心は、シンプソン一家の5人がスプリングフィールドという架空の街で、繰り広げるコメディアニメとなっています。主人公は、坊主頭の中年男性、ホーマー・シンプソンです。彼の家族が織りなす無茶苦茶な日常を覗き見る、そんなアニメになっています。

 

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(出典:The Simpsons | Home of The Simpsons on Global TV)

 

 みなさんは、「ザ・シンプソンズ」を観たことはありますか?わたしは、小学生の時に出会って、大好きになり、映画も観に行ったり、DVDを購入したりしています。各話に深い洞察が含まれており、一見コメディなのですが、考えさせられる内容となってい話も多くあります。

 

 それでは、この本のオススメポイントを書いていきます!

天才たちが挑んだコメディ!

 この「ザ・シンプソンズ」の脚本家には、世界的な名門大学で数学を学んだ数学者が多くいるのです。

 例をあげますと、脚本家である、ケン・キラーは、ハーバード大学で学士号、そして同大学で博士号を取得しています。他にも、ジェフ・ウェストブルックは、ハーバード大学で学士号、そしてプリンストン大学で博士号を取得しているのです。 

 彼らが作り出したコメディ作品「ザ・シンプソンズ」には、多くの数学的テーマが含まれていると、著者サイモン・シンは指摘しています。数学ジョークが隠されているそうなのです。

 例えば、トポロジー(位相幾何学)の問題について、主人公のホーマーが黒板に書いた図がこちらです。

f:id:onitenyomubook:20170530030023j:plain

(「ホーマーの黒板」67頁より引用) 

 この図は、幾何学においては、穴をもつドーナッツは、どう変形させても、ボールのようにな球体にならないのです。それは、球には穴がないのに対し、ドーナッツをどれだけ伸ばしたり潰したりしても、真ん中の穴をなくすことはできません。

 しかし、ホーマーは、考えます。「食べてしまえば良いのでは?」と。そして、ドーナッツを食べ、バナナのような形になれば、トポロージーにおいてボールと同相となる、ということが、この黒板に表されているのです。

 

 この他にも、たくさんの数学的ジョークの説明がこの本に載っています。「ザ・シンプソンズ」が好きな方も、数学の好きな方も、楽しめる本なのではないでしょうか。

 

作家サイモン・シンが楽しんで書いている!

 この本の作者サイモン・シンをご存知でしょうか?彼自身が、物理学者なのです。彼は、『フェルマーの最終定理』や『暗号解読』などの数学にまつわる物語を多く出版している作家です。

 彼の略歴を見てみましょう。

 1964年、イングランド生まれ。ケンブリッジ大学大学院 で素粒子物理学の博士号を取得し、ジュネーブの研究センターに勤務しています。その後、イギリスのテレビ局BBCに入局し、科学に関するドキュメンタリーに携わります。その中で、TVドキュメンタリー『フェルマーの最終定理』(1996)が国内外の賞を多数受賞し、その内容をまとめた本を出版します。その後も、『暗号解読』や『宇宙創成』など科学史を中心とした本を出版しているのです。

 わたしは、彼の本はほとんど読んでいるのですが、本書が一番手に取りやすいものになっていると感じました。他の著作が、歴史的な考察を多く含んでいるのに対して、この本では、「ザ・シンプソンズ」における数学ジョークを説明することに注力しており、説明もわかりやすいので、数学に馴染みのない方でも読みやすいのではないでしょうか。

 わたしとしては、「サイモン・シン、楽しんで書いたんだろうな。」と読んで思いました。

 

 みなさんも、数学と、コメディの世界に生きる数学者の存在を確かめてみませんか?

 

 

 サイモン・シンの著作です。

 

フェルマーの最終定理 (新潮文庫)

フェルマーの最終定理 (新潮文庫)

 
宇宙創成〈上〉 (新潮文庫)

宇宙創成〈上〉 (新潮文庫)

 
暗号解読〈上〉 (新潮文庫)

暗号解読〈上〉 (新潮文庫)

 

 

 

 

 

2022年、フランスにイスラム政権が発足!? 予言か、それとも、文学か。 ミシェル・ウェルベック『服従』 おすすめ本の紹介です。

 2017年のフランス大統領選では、中道で無所属のマクロン氏が、極右政党・国民戦線のルペン氏を破り、フランス史上最年少の大統領が生まれました。今回のフランス大統領選の決選投票は、主要政党不在の異例の投票となりました。

 2017年のフランス大統領選で浮き彫りになったのは、EU離脱や、移民対策などの政策によって分断された国民でした。

 では、次の2022年のフランス大統領選は、どういった展開を見せるのでしょうか。

 この記事では、2022年のフランス大統領選を舞台にした小説をご紹介したいと思います。この小説は、予言の書となるのか、それとも、フィクションで終わるのか、未来を考えながら、読書するのはいかがでしょうか?

【目次】

 

 

ミシェル・ウェルベック 『服従』 

服従 (河出文庫 ウ 6-3)

服従 (河出文庫 ウ 6-3)

 

 内容紹介

2022年仏大統領選。極右・国民戦線マリーヌ・ル・ペンと、穏健イスラーム政党党首が決選に挑む。しかし各地の投票所でテロが発生。国全体に報道管制が敷かれ、パリ第三大学教員のぼくは、若く美しい恋人と別れてパリを後にする。テロと移民にあえぐ国家を舞台に個人と自由の果てを描き、世界の激動を予言する傑作長篇。

 

 この小説は、上記の通り、2022年のフランス大統領選で、国民戦線のマリーヌ・ルペンと、イスラーム政党党首による決選投票、そして、その後の国の動乱を、大学教員の主人公の視点で描いたものです。

 この本の世界では、2017年の大統領選で、国民戦線が決選投票に残り、左派が勝利し

た、ということになっています。つまりは、2017年の大統領選については、大きな間違いがない、ということです。

 しかし、この本が、フランスで出版されたのは、2015年1月7日。2年も前に出版されているのです。しかも、出版された当日に、シャルリ・エブド事件が起きています。数奇な運命を感じてしまいますね。

 

 

それでは、わたしが考えたこの本のオススメポイントを書いていきます!

予言の書となり得るか?  Islamificationとヨーロッパ

 この本の、興味深い点は、フランスにイスラム政権が発足し、イスラム化が進んだ場合に、国民生活にいかなる影響がうけるのか、という状況を詳細に描いていることです。物語の序盤では、街のレストランやモスクからでしか、イスラム化が進んでいないように見える社会であったのにもかかわらず、物語が進むに連れて、街が、そして人がイスラムの影響を強く受けて行く様子を、丁寧に描いています。

 この本での、イスラム化(islamification, islamization)が行き着く先は、家父長制、女性の服従、一夫多妻制などに及びます。一見、女性の社会進出や、夫婦同権が進む先進国において、このような思想が、一般に受け入れられるのかは、疑問です(ムスリムの方の間では、当然であれ)が、社会と主人公は、様々な「知性」や「価値観」に触れ、次第に馴化して行くのです。

 この物語は、フランスにイスラム政権が発足するということを『予言』しているだけではなく、その後、生まれるであろう新たなフランスの姿を描き出します。

 

 

無宗教者の改宗 新たな自己の創生

 遠藤周作さんの『沈黙』は、キリスト教の司祭が弾圧の末に棄教する「転ぶ」までを描いた作品ですが、この『服従』は、とくに宗教や信仰に興味のない主人公が、ムスリムに改宗することを迫られます。

 篤い信仰があった場合、《強制的に》他の宗教に改宗させられることは、今までの人生や人格の否定へと繋がるものですが、特定の信仰を持たない者が、《自発的に》他の宗教へと改宗することは、新たな人生や人格を形成する大きな契機となるものであると思います。

 この主人公、そしてフランスという国全体が、改宗を迫られるのです。それは、今までの人生や国の歴史の否定となるのか、それとも新たな自分を、国を生み出すものとなるのか。

 この本では、国そのものが、イスラムを受け入れること、そして、個人がその影響下で、いかに生きるのかを描いているのです。

 

 

主人公、知性的で、合理的な、ただの《男》 

 この本の主人公である、大学教授は、非常に知性的な人物です。彼は、博士論文を高く評価され、大学での教授職を得ています。彼の専門は、文学で、フランス19世紀末の作家ユイスマンスが専門です。

 彼の思考は、非常に合理的で、厭世的な傾向を持ってはいるものの、性的嗜好を抑えることができない人間として描かれます。彼は、教え子である学生も、性的対象として捉えており、性的な関係を築いています。

 

 この本では、性描写も多く、主人公が思い巡らしていることの大半が性的なものです。つまりは、ただの男として描かれます。

 正直、わたしとしては、「大学教授は、そんなことばっか、考えている人はいない」と思いましたが、主人公の性的嗜好を強調することで、知性や合理性が、その性的嗜好に結びつき、存在している様を描いているのです。

  つまりは、感情の論理化です。論理が単独で存在しているのではなく、感情が論理に先んじ、感情を正当化させるための論理を作ってしまうという性分から、知性的とされる大学教授においてさえも逃れることができない、ということなのでしょう。

 人間、とりわけ、男というものを考える機会を与えてくれる本になっています。

 

 

 ぜひ、手にとって、読んでいただきたい小説です。この本が、予言の書となるのか、単なる文学書となるのか、2022年の大統領選を待ちたいと思います。

 

 

「闇の中世」と、「光のルネサンス」は如何に作られたのか? ジャック・ル=ゴフ『時代区分は本当に必要か?』 おすすめ本の紹介です。

  古代、中世、近代、そして現代と、歴史を区切った「時代区分」についての学術書をご紹介いたします。歴史書というよりは、「◯◯時代」と呼ばれる時代区分を作り出した歴史家の思想や、作り出された時代区分の影響について考察されている本です。ですので、少し哲学的な内容となっていますが、歴史が変わりゆくものであるということを考える格好の教材となるのではないでしょうか。

 

 

 ジャック・ル=ゴフ 『時代区分は本当に必要か?』

時代区分は本当に必要か? 〔連続性と不連続性を再考する〕

時代区分は本当に必要か? 〔連続性と不連続性を再考する〕

 

 内容紹介

人間の歴史認識において「時代区分」はいかなる意味を持つのか?
我々の歴史認識を強く束縛する「時代」という枠組みは、いかなる前提を潜ませているのか。アナール派中世史の泰斗が、「闇の時代=中世」から「光の時代=ルネッサンス」へ、という史観の発生を跡付け、「過去からの進歩」「過去からの断絶」を過剰に背負わされた「時代」概念の再検討を迫る。

 

 

 それでは、この本のおすすめポイントをご説明いたします。

「時代」は如何にして作られたのか、を知る。

 この本では、ヨーロッパにおいて歴史家によって作り上げられた時代区分を概観することになるのですが、主な論点は中世とルネサンスになります。この中世とルネサンスは、「闇の時代=中世」と「光の時代=ルネサンス」というイメージで広く知られています。こうしたイメージが如何に作られていったのかを、考察している本となっています。

 光の時代としてのルネサンスというイメージの創出は、ジョール・ミシュレ(1798-1874)によるものです。

 ル=ゴフは、そのイメージの創出をこう説明しています。

歴史家としての仕事のはじめから、ミシュレにとって史料とは想像力の跳躍版、ヴィジョンの始動装置にほかならない。(60頁)

 つまりは、事実としての史料が歴史を作り上げるのではなく、歴史家の想像力が史料と結びつき、発展することで歴史が作り上げられるのです。

 当初、ミシュレは、中世を祝祭と光と生命と豊かさの時代と捉えていましたが、ミシュレ自身の家庭の不幸により、中世を不毛な時代と捉えるようになってしまう、そして、歴史家であるミシュレは、中世を敵とみなし、新たな光を求めることになったのです。それが、ルネサンスでした。

 こうしたミシュレによる「ルネサンス」の発明により、「闇の時代=中世」と「光の時代=ルネサンス」というイメージが普及していきます。

 

 歴史が作られる過程が詳述されており、非常に興味深い読み物となっています。

 

宗教と魔術と、時代区分

 ヨーロッパの時代区分を考える際に、宗教を無視することはできません。その中でも、中世やルネサンスはキリスト教にとって、大きな変革の時代でした。

 ヨーロッパにおける中世とは、教会権力の支配する宗教的な時代でした。その後、16世紀の宗教改革によって、新たなキリスト教徒、プロテスタントが生まれます。また、この時期、中世からルネサンスにかけて、魔術が普及していきます。

 魔術の普及は、15世紀であり、異端審問や、千年王国の宗教運動は中世よりむしろルネサンスに活発になるのです。

 魔女については、以前記事でまとめましたので、興味がある方はそちらを読んでいただけると嬉しいです!!

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 キリスト教や異端について興味がある方にも、おすすめです!

 

 

ヨーロッパの事例から、日本を考える

 この本は、ヨーロッパの中世とルネサンスを対象に論を進めているものですが、日本を事例に考えても、面白いのではないでしょうか。

 例えば、最近では、明治維新を「薩長によって都合よく作り上げられたもの」と考え、敗者となり賊軍とされた幕府側を擁護するような本が多く出版されるようになっています。今までの歴史観を覆すことを目的としたものであると思いますし、こうした本の出版からも、歴史が如何に可変性に富んだものであるかを考えることができます。

 そうした、作られる歴史観、そして時代区分について学ぶことのできる、素敵な本であると思います。

 

 

「思い出」を大切にできない人々。

 わたしは、「思い出」を大切にできない。自分が薄情な人間なのか、と悩むこともあった。しかし、わたしのような人間も少ないくないのではなかろうか。

【目次】

 

思い出を大切にできない、それは、おかしなことでしょうか。少し書いていきたいと思います。

 

思い出の品は、何処に消えた

 みなさんは、「思い出」を大切にしていますか。卒業アルバムや、寄せ書き、みんなで撮った集合写真を、どこにしまっているか覚えていますか。

 わたしは、全くと言っていいほど、卒業アルバムや、寄せ書きを見返すことがなく、写真も、適当にしまってしまうので、どこにあるかもわかりません。

 学校や職場では、それなりに人望があった方だったようで、後輩や友人から寄せ書きや、手紙をもらうことがあったのですが、いつしか消えて無くなってしまうのです。卒業アルバムに至っては、完全に興味がないので、中学校の卒業アルバムは、中学3年で引っ越した友人が欲しがっていたので、プレゼントしてしまいました。

 よくよく考えると、「もったいないことしたなぁ」とか、「贈ってくれた人に申し訳ない」とか思うこともあったのですが、最近は、もう、「これが、わたしの性格なのでは」と思うようになりました。

 

連絡はとらない

 そして、わたしは、過去のコミュニティの人へ自分から連絡をとらない、という性格です。もともと、携帯電話を捨てたい、と思っているほどの電話不精なので、人に連絡をとること自体が少ないのです。

 例えば、高校に入ったら、中学の友人とは、連絡をとらない。大学に入ったら、高校の友人とは、連絡をとらない。といったように、わたしは、過去のコミュニティを遮断することを好みます。

 連絡をとらないといっても、喧嘩をしているわけでも、仲が悪い訳ではないのです。

最近、15年ぶりに高校の友人に会いましたが、とても和やかに鯨飲しました。だけど、また、連絡をとろうと思いません。

 過去の友人たちは、きっと楽しく過ごしているだろう、と考えるだけで、十分だと思ってしまうのです。

 

ノマドの家系ー定住しない家族ー

 わたしのような人間は、少ないのか、多いのか、そんなことを考えた時、わたしの家族全員が、まったく「思い出」に執着がないことに気がつきました。

 わたしの家系は、一ヶ所に定住することないノマドの家系です。5代くらい遡っても、一ヶ所に定住することはなく、各地を転々として生活しています。わたしも、30代前半で、すでに6県、1カ国に移住経験があります。

 過去を切り離すこと、それが、新天地で順応する術だったのでしょうか。わたしの家族は、びっくりするぐらい過去のコミュニティで仲良くなった人々と連絡をとらないのです。(決して、やましいことをした訳ではありませんよ!!)

 

日々、終活ー最低限で生きるー

 いつどこへでも行けるように、できるだけ、身軽でいたい。そんな考えが、わたしたち家族には、あったのかもしれません。わたしも、30歳を越え、求められれば、どこにでも行けるように、必要最低限な持ち物だけで良いのではないか、と思うようになりました。

 わたしは、ミニマリストではなく、できれば、いろいろな物が欲しい、買いたい、と思っているタイプの人間です。ですが、郷愁や、過去に対する執着は、びっくりするほどなく、いつでも、その場を離れることを考えているように、感じています。

 最近では、この生き方は、少し早いですが、終活の始まりなのではないか、と考えるようになりました。いつ、逝けるようになっても、大丈夫なように、できるだけ、捨てておきたい、物ではなく、感情を、と思うのです。

 

 

 

今回の記事では、思い出を大切にできない、わたしについて書いてみました。 

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理想の青春像と、大人への物語 エーリッヒ・ケストナー『飛ぶ教室』 【108円本屋大賞】

【108円本屋大賞】

某大手古書店チェーンに存在する100円均一棚。それは、売れ残り、値段が下げられ続けた本たちが、最後に行き着く、最果ての地である。しかし、そんな棚にも、傑作、名作が眠っている。そんな本を救い出し、読み、人に勧めたら、、、

と思った、わたしが始めるシリーズです。

 

 

まず、第一弾は、こちらです!!

 

エーリッヒ・ケストナー  『飛ぶ教室』

飛ぶ教室 (光文社古典新訳文庫)

飛ぶ教室 (光文社古典新訳文庫)

 

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(実際に購入した本です。108円でした。)

 

 著者紹介

1899年‐1974年。ドイツ・ドレスデンに生まれる。貧しい生活のなかから師範学校に進むも、第一次大戦で召集される。大学卒業後、新聞社に勤める。1928年『エーミールと探偵たち』で成功をおさめたが、やがてナチスにより圧迫を受ける。1960年、国際アンデルセン大賞受賞

内容紹介 

孤独なジョニー、弱虫のウーリ、読書家ゼバスティアン、正義感の強いマルティン、いつも腹をすかせている腕っぷしの強いマティアス。同じ寄宿舎で生活する5人の少年が友情を育み、信頼を学び、大人たちに見守られながら成長していく感動的な物語。ドイツの国民作家ケストナーの代表作。

 5人の少年と、2人の大人の友情の物語となっています。 舞台は、学校と寄宿舎で、主な登場人物も男子生徒と男性教師となっています。とてもシンプルで、爽やかな少年たちのクリスマスを描いたものなのですが、読み終えたとき、胸がいっぱいになるような物語です。

 とても軽く、優しい物語だと、思いました。

 親に捨てられる、貧乏に苦しむ、愛する家族の喪失する、そうした非常に重いテーマを、軽快なタッチで描く、卓越した筆者の技量をうかがい知る事ができます。

 

 

 それでは、わたしが考えたオススメのポイントを書いていきます。

大人になる事ー少年と大人をつなぐ友情の物語

「少年は、成長し、大人になる」、当たり前のことですが、少年時代に目の前にいる大人と、少年である自分には大きな亀裂があるように感じていませんでしたでしょうか?大人になった自分は、どこか少年時代の自分とは、かけ離れた存在であるようにも感じられます。

 この物語は、少年が成長すること、そして大人が少年時代を思い返すこと、その両方を描きながら、友情という目に見えない繋がりによって、離れた人々を結びつけていくことになります。

 登場人物の再開は、ベタな展開でありながらも、それを望んでいる自分に出会えます。友情とは、時を経ても、色褪せぬものである、であって欲しいと思う、わたしたちに向けた物語です。

 

理想の少年たち

 この物語の登場人物は、頭脳明晰な少年、腕白な少年、絵画の才能に恵まれた少年、それぞれの長所が、それぞれの短所を補い合う素敵な友達に囲まれています。彼らは、互いを尊重しあい、困った時には手を差し伸べる優しさを持ち合わせています。

 この物語の少年たちは、自分の夢に向き合うことで、自分の境遇(不遇)に立ち向かおうとしています。

 

 彼らの姿は、美しく、そして、読者に勇気を与えてくれるのです。

 

友情と愛の曖昧性

  この物語で、感じたこと、それは友情は、愛と非常に曖昧なものであるということです。それは、日本の学生寮を舞台にした森鴎外の『ヰタ・セクスアリス』が、直接的な同性同士の性を描き出しているのに対して、この『飛ぶ教室』が、同性愛を描くことはありません。

 しかし、彼らの友情は、ときに深い愛と感じられるのです。それは、性的なものを差し引いた非常にプラトニックなものです。であるからこそ、彼らの友情と、異性にたいする愛情に大きな差異がないように感じてなりません。

 自分と、相手に深いつながりがあることを確信し、彼が何をすれば喜ぶのかを知り、出し惜しみすることなく自分の全てをぶつけるような、少年たちが描かれています。

 わたしは、この物語を読み、人を好きになること、その最も基本的な人間の心理について考えさせられました。

 

 素晴らしい作品ですので、是非読んでいただきたいです。

 

 

【108円本屋大賞】シリーズは、少しずつですが、続いています。

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疲れた心を癒す、明日も頑張ろうと思える 偉人たちの自伝・随筆 7冊

 疲れた時や、自信がなくなった時、支えてくれる本があります。今回の記事では、おすすめの偉人たちの自伝・ 随筆を紹介いたします。

 文学の偉人、宗教の偉人、物理学の偉人、さまざまな偉人の思想に触れられるような本を紹介したいと思います。

 5月病、眠れない夜、通勤や通学のおともに、偉人たちの「声」はいかがですか?

【目次】

 

 

 

①大野晋

 1919‐2008年。東京深川生まれ。学習院大学名誉教授。東京大学文学部卒業。国語学者。文学博士。

日本語と私 (河出文庫)

日本語と私 (河出文庫)

 

  内容紹介

地位も身分も才能もある学友たちに比べ、自分には何もない。友が円周から中心を通って向う側へ突き進むなら、自分は円周を細々歩き続けて目標に辿り着くしかない。「日本語はどこから来たか」を尋ね続ける生き方は、その研究方法そのものだった。まだ江戸が残る子供時代の東京下町風景や、日本語の源を求めて旅した南インドの様子から、『広辞苑』基礎語千語の執筆、戦後の国字改革批判、そして孤軍奮闘した日本語タミル語同系論研究……「日本とは何か」その答えを求め、生涯を日本語の究明に賭けた稀代の国語学者の貴重な自伝的エッセイ。

 この本では、著者である大野先生の日本語への愛や、研究の楽しさを感じることができ、普段は見逃しがちな日常に潜む謎や問題点を突き詰めて考える姿勢は、日々を生きる上でとても重要であることを教えてくれます。わたしが、特に好きなのは、大野先生の出身が東京深川で、クラスメートとの「生まれ」、「育ち」の違いを感じ、学校や友人の家に足を運ぶことが、すでに「外国文化」と触れることであったという箇所でした。

 また、一つのことをコツコツと積み上げていく、研究の楽しさを感じることができ、自分の仕事も小さなことから頑張っていこうと思えます。

 

 

②Richard Phillips Feynman 

 1965年ノーベル物理学賞受賞者

 1918−1988年。アメリカ、ニューヨーク生まれ。カリフォルニア工科大学教授。理論物理学者。

"Surely You're Joking, Mr. Feynman!": Adventures of a Curious Character

 

 内容紹介

少年時代より変わらぬ,あくなき探求心といたずらっ気….20世紀を代表する物理学者が,奇想天外な話題に満ちた自らの人生をユーモアたっぷりに語る.ノーベル賞受賞をめぐる顛末,また初来日の時の“こだわり”など,愉快なエピソードのなかに,とらわれぬ発想と科学への真摯な情熱を伝える好読物.   

 わたしは、原著を英語の勉強のために読んだのですが、難解な語り口ではなく、幼少期の思い出から、研究に没頭する日々に至るまで、わかりやすい英語で書かれています。

 優秀な先生でも、こんなわんぱくな少年時代があったのか、と思い、胸がとても軽くなる気がしました。

  英語の勉強では、下のオーディオブックもおすすめです!!

Surely You're Joking, Mr. Feynman and What Do You Care What Other People Think?

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 日本語版ももちろんあります!!

ご冗談でしょう、ファインマンさん〈上〉 (岩波現代文庫)

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  • 作者: リチャード P.ファインマン,Richard P. Feynman,大貫昌子
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2000/01/14
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③ 岡潔

 1901年−1978年。大阪生まれ。京都帝国大学卒業後、フランス留学を経て、北大、なら女子大学などで教鞭をとる。多変数解析函数論の分野における超難題「三大問題」を解決し、世界に名を轟かせた。1960年、文化勲章を受賞。

春宵十話 (角川ソフィア文庫)

春宵十話 (角川ソフィア文庫)

 

 内容紹介

 数学は論理的な学問である、と私たちは感じている。然るに、著者は、大切なのは情緒であると言う。人の中心は情緒だから、それを健全に育てなければ数学もわからないのだ、と。さらに、情操を深めるために、人の成熟は遅ければ遅いほどよい、とも。幼児からの受験勉強、学級崩壊など昨今の教育問題にも本質的に応える普遍性。大数学者の人間論、待望の復刊。

 この本のには、生きるということ、数学者が何を求め生きているのか、を伝える名文が書かれています。その名文とは、

私は数学なんかをして人類にどういう利益があるのだと問う人に対しては、スミレはただスミレのように咲けば良いのであって、そのことが春の野にどのような影響があろうとなかろうと、スミレのあずかり知らないことだと答えて来た。」と述べ、「私についていえば、ただ数学を学ぶ喜びを食べて生きているというだけである。そしてのその喜びは「発見の喜び」にほかならない。」と数学者としての生き方を記してらっしゃいます。みなさんは、誰かのために役に立ちたい、組織のために自分に何ができるか、という問いに疲れていませんか?自分のしたいことや、できることを思い出させてくれる素敵な文章だと思います。

 また、「どの人がしゃべったかが大切なのであって、何をしゃべったかはそれほど大切ではない。」という言葉があります。将棋の天才であられる羽生善治さんが、まったく同じことをラジオ番組でおっしゃていました。何かを極めた人の到達した次元なのでしょう。ポストファクトの時代となった現代、「人」を見ることが最も重要なことなのかもしれないと、考えさせられる文章です。

 

 

④遠藤周作

 1923年-1996年。12歳でカトリックの洗礼を受け、慶應義塾大学卒業後、フランスのリヨン大学大学院へ留学。1955年、『白い人』で芥川賞を受賞。

落第坊主の履歴書 (日経文芸文庫)

落第坊主の履歴書 (日経文芸文庫)

 

  内容紹介

テストは0点。女子にはフラれ、神父にも叱られ、授業はサボって映画三昧。周囲も心配するほど落ちこぼれだった少年は、やがて皆に愛される作家となった。生い立ちから「作家・遠藤周作」の誕生、作家仲間との交遊録まで。狐狸庵先生が語る、涙と笑いの回顧録。 

 あんな緻密で美しい文章を書かれる遠藤周作先生に、こんな半生があったなんて、と思いました。内容は、上記の通り、少年遠藤周作の珍道中が描かれております。各エッセイが、短くまとまっていて、通学や通勤にもってこいの本となっています。

 もちろん、『沈黙』や『海と毒薬』などの純文学作品を読んだ後の方が、より面白いと思いますよ!!

 

 『最後の花時計』もおすすめです。ファンレターを送って、返信をせがむファンに苦言をていしたり、最近のテレビは面白くない!なんて、おっしゃっており、とても身近に感じられる素敵なエッセイです。

最後の花時計 (文春文庫)

最後の花時計 (文春文庫)

 

 

 

⑤酒井雄哉

 1926年−2013年。大阪府生まれ。太平洋戦争時、予科練へ志願し、特攻基地・鹿屋で終戦。戦後、職を転々とするが、うまくいかず、比叡山へあがり、40歳で得度。約7年かけて4万キロを歩く荒行「千日回峰行」を1980年、87年に二度満行する。

この世に命を授かりもうして (幻冬舎文庫)

この世に命を授かりもうして (幻冬舎文庫)

 

 内容紹介

「『生かされている』ことへの感謝を忘れてはいけない」「悪いこともいいことも、みんな自然の中にある」「縁を『結ぶ』かどうかはその人次第」「苦しいことの中に『楽』を見出す」「命の長さよりもどう生きたかが大事」。荒行・千日回峰行を二度満行した「稀代の行者」が病と向き合い、命をかけて伝えたかった「生きること」の本当の意味。新シリーズ!こころの文庫。

 ガンに冒された宗教的達人が、自身の人生を振り返り、生きることの意味、そして生き方を語っています。内容は、インタビューをもとに書かれたものになっています。そのため、酒井大阿闍梨の人柄が感じられるものとなっています。

 少年時代に、石井防疫研究所に勤めたこと、特攻基地で旅立つ仲間を見守ったこと、妻に先立たれたこと、そして仏門に入り師匠にしごかれたことなど、盛りだくさんの内容になっております。

 とくに、歩くこと、歩くことが生きることにつながるという、酒井大阿闍梨の言葉は、日々の生活で見落としがちな自然や四季の移り変わり、そしてそれによって感じることのできる生きることの楽しさを伝えています。

 また、「行き道は いずこの里の 土まんじゅう」という言葉を紹介されています。死後どうしてほしい、と考えるよりも、毎日を一生券面名に生きることの方が不安のない毎日がすごせるとおっしゃています。素敵な生き方ですね。

 

 

⑥升田幸三

 1918年−1991年。 広島生まれ。14歳で家を出て、木見金治郎名人に入門。1952年王将位獲得。1956年、大山康晴名人に対し「名人に香車を引いて勝つ」という史上空前の記録を残す。史上初の三冠を達成。

 

勝負 (中公文庫)

勝負 (中公文庫)

 

  内容紹介

不世出の棋士が遺した人生を戦いぬく黄金律。少年時代、駒の哲学、勝負、上に立つ、後から来る者へ、思い出の人々、身辺雑記などのテーマで語る。1970年サンケイ新聞社刊の再刊。

 勝負師が、如何なる思想を持ち、生きてきたのか、そして、その思想は、わたしたちの生活に活かせるものなのか、考えさせられる内容になっています。

 わたしがこの本を読んで、感銘を受けたのは、「勝負師」と「賭博師」の違いについて述べている箇所でした。

 賭博師が一か八かやけっぱちで賭け、一回でおしまい、となるのに対し、勝負師は、勝負を決してあきらめることなく、とにかく生ある限り抵抗し、挽回をはかる人のことだそうです。

 勝負師、憧れますね。将棋に興味がない、ビジネスに活かせる感性がほしい、という方におすすめな本です。

 

 ちなみに、自伝も出版されております。 

名人に香車を引いた男―升田幸三自伝 (中公文庫)

名人に香車を引いた男―升田幸三自伝 (中公文庫)

 

 

 

⑦手塚治虫

 1928年ー1989年。大阪府豊中市に生まれ、兵庫県宝塚市で育つ。大阪大学付属医学専門部を卒業後、医学博士号取得。1946年、「マアチャンの日記帳」で漫画家デビュー。1962年には『ある街角の物語』でアニメーション作家としてもデビュー。

紙の砦

紙の砦

 

  内容紹介

太平洋戦争の末期、戦火にさらされた大阪の町で、すきっ腹をかかえながら好きな漫画の道にうちこむ一人の少年がいた……。表題作「紙の砦」他、巨匠手塚治虫が青春時代の思い出を綴った6編を収録して贈る自伝的作品集!

 言わずと知れた「漫画の神様」であられる、手塚治虫の漫画家前夜の生活を知ることができる自伝的漫画となっています。戦時中、そして戦後に、漫画家を目指した少年が、どのように過ごしたのかが、描かれており、夢を追うこと、そして、熱中することのすばらしさに、気付かされます。あと、少しばかりの女性との恋愛(らしき)ものも描かれています。恋と漫画、夢を追う人間の恋愛事情もうかがい知ることができるのです。 

 表題作の「紙の砦」も面白いのですが、トキワ荘の目線で描かれている「トキワ荘物語」がなんだか、もの寂しく、胸に響く作品となっています。

 

 

 

 

 みなさんは、どんな作品を読んで、心を奮い立たせたり、癒したりしてらっしゃいますか。今回は、わたしの好きな作品を紹介させていただきました。

 

 

 

わたしの読書ノートの選び方。アピカ・ライフ・ツバメノートを比較して

 みなさんは、ノートに読んだ本を記録していますか?わたしは、5年ほど前からですが、読書ノートを作るようになりました。わたしは、読書ノートに、内容をそのまま書き取ったり、コメントや感想を書いたりしてます。

 今回の記事では、わたしの読書習慣である、読書ノートについて書いてみたいとおもいます。

 【目次】

 

 それでは、わたしの読書ノートの選び方、書き方、そしてその効用について書いていきたいと思います。  

 読書ノート選びと書き方について

 わたしのノート選びの基準は、まず紙質です。わたしは、筆圧も強く、万年筆を使うこともあるので、裏にじみしてしまうものや、ペンのはしりが悪いものはできるだけ避けるようになりました。そのため、少し値段の高いものを使っています。

 また、わたしは、小説よりも学術書や、哲学的な本が好きなので、できるだけ、論旨をしっかりと書けるもの選んでいます。

 

 わたしの読書ノートの変遷

 わたしのノート選びの変遷ですが、 まず読書した内容をノートに残そうと考えたわたしが、選んだ最初のノートはツバメノートでした。

ツバメノート ノート B5 横罫 6mm×35行 100枚 W100S細 W3012

ツバメノート ノート B5 横罫 6mm×35行 100枚 W100S細 W3012

 

  このノートでは、ページ脇に線を引き、自分のコメントを書くようにしていました。

 

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 (内容は、クークラックスクランの勉強をした時のものですw)

 お値段もそれなりで、100ページもあり、思い切って文字を大きめに書けるという利点があったのですが、このノートでは、わたしの文字が、非常に悪筆のため、文字が暴れてしまい、なかなかうまくまとめることができませんでした。

 

 

 つづいて、わたしが選んだノートは、アピカのプレミアムCDノートです。

  このノートを選んだ理由は、紙質です。ボールペンでは、スラスラ書けますし、方眼であれば、きれいにまとめられるからです。

 サイズも、持ち歩くことを考え、B5サイズからA5に変更しました。

 このノートでは、方眼ということもあり、ついつい細かく書いてしまいますw

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(内容は、日本の宗教文化について調べた時のものです。)

 このノートでは、青文字で自分のコメントを残すようにしていました。それによって、内容の理解が深まったような気がします。

 しかし、このノートにも弱点が、それは、水性ペンや、インクフローの良い万年筆では、裏のページににじみが出てしまうことでした。そのため、新たなノート選びを開始しました。

 

 

 次に選んだノートは、デルフォニックスの ロルバーンです。

デルフォニックス ロルバーンポケット付メモA5 ダークブルー

デルフォニックス ロルバーンポケット付メモA5 ダークブルー

 

  このノートは、リングノートなので、より狭い場所でノートを取ることができ、ポケット付きなので、資料やメモも、保存しやすいのです。大きさは、A5を選びました。万年筆の仕様にも耐えられる紙質なので、非常に便利でした。

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(内容は、明治維新について洋書を読んだ時のものです。訳すのが面倒なので見出しを書き込んでいます。)

 このノートを使ってみると、やっぱり自分には、リングノートは合わないのではないか?、リングが意外と邪魔だな、と思い始めました。やっぱり自分には、糸綴じノートが一番合うのかもしれないと思い始めたのです。

 

 そして、最後にわたしが選んだノートが、ライフノート MARGINです。黄色で、おしゃれです。方眼は黄色、無地が赤、横罫が青になっています。

 

ライフ ノート MARGIN A5 黄 N710

ライフ ノート MARGIN A5 黄 N710

 

  このノートの紙質は、万年筆や水性ペンにも強く、スラスラかけます。また、ツバメノートではページ脇に線を引いて自分のコメントを書いていたのですが、このノートでは、最初から赤い線がページ脇にあるので、とても便利です。

 

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(内容は、洋書を訳しながら読んだものです。)

 このノートで、ひとまず読書ノート選びは、終了したいと思っています。ただ、売っている文房具店が少なく、見つけることが困難なのが、玉に瑕です。

 

 今回、取り上げなかったノートが数冊あるのですが、それは「浮気」みたいなもので、数回使って、今回取り上げたノートに戻ってしまいました。ですので、今回の記事では、「本命」の4冊を紹介しました。

 

 

 

読書ノートの効用

 それでは、約5年間、読書ノートをとったことで、感じたことを書いていきたいと思います。

 「読んでいないこと」を自覚できる

 その本に対して、自分の理解度を知ることができます。書くことで、理解度を深めることはもちろんですが、「何を」自分が理解できていないかも、明確になります。そのわからないことは、違う本を読むことで捕捉するようにすると、体系的な知識を得ることができると思います。

 思索する読書へ 

 読書ノートを書くことは、読書をしながらも、「本を読まない時間」を作ることになります。本を読むことと、その本について考えることは、少し違う作業になりますし、自分の生活にその知識や思想を活かすには、そうした考える時間が必要になります。読書ノートは「自分で考える」読書の基礎を作る良いきっかけになるのではないでしょうか。

本と本のつながり、自分なりの読み方を知る

 読書ノートをとることによって、本と本がつながっていることに気づくことが多くなりました。たとえば、新しく出版された本で、自分が昔読んだ本が取り上げられたときに、その著者の感想と自分の感想を比べることも容易ですし、自分が重要だと考えて書き取った部分とは、全く違う部分が引用されているときも、自分の読みの特徴を知ることができます。読書が、あらたな読書へとつながっていく、それが読書ノートによって明確に感じることができるようになりました。

 

 

 今回は、わたしの読書ノートについて選び方、書き方について書いてみました。みなさんは、読書ノートをとっていますか?どんな読書習慣をもってらっしゃるでしょうか?

 

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排外主義の盛衰を考える。 浜本隆三 『クー・クラックス・クラン:白人至上主義結社KKKの正体』 おすすめ本の紹介です。

 アメリカではトランプ大統領が生まれ、ヨーロッパでは移民排斥を訴える極右政党への支持が急増している昨今、「排外主義」という言葉を耳にするようになりました。

 人々は「他者」を生み出し、「他者」を恐れ、そしてその「他者」によって自分たちの既得権益が侵されたと、被害を訴えることになります。現在の世界では、いかに被害者として振舞うことができるのかが、重要になっていることは明らかでしょう。

 マイノリティーに属する人々が「加害者」となり、マジョリティーが「被害者」となるとき、人々は排外主義に走るのでしょうか。

 

 今回は、世界的に排外主義の潮流が強まる現在、読むべき本をオススメさせていただきたいと思います。

 

その本は、浜本隆三『クー・クラックス・クラン:白人至上主義結社KKKの正体』です。

クー・クラックス・クラン: 白人至上主義結社KKKの正体 (平凡社新書)

クー・クラックス・クラン: 白人至上主義結社KKKの正体 (平凡社新書)

 

 この本は、本邦初のKKKを対象とした専門書になります。内容は、非常に読みやすく、KKKの歴史、概要を網羅しておりますので、興味がある方は、ぜひチェックしてください。

 内容

一九世紀半ば、南北戦争直後にアメリカ南部で組織された、白人至上主義結社クー・クラックス・クラン。一九二〇年代、会員数は数百万人に達したといわれ、現在でも、全米で五〇〇〇人が「クラン」と名のつく組織に所属しているといわれる。なぜ、クランの火種は燻りつづけるのか。世界的に排外主義の潮流が強まるなか、KKK盛衰の背景とメカニズムを考察する。

 

最近では、トランプ大統領が生まれ、クー・クラックス・クランの活動が活発化されてきているとの記事が出ています。現在でも、根深く残っているアメリカの思想の一つとして理解、勉強することが重要であると考えられます。

www.huffingtonpost.jp

 

 現代、世界を席巻している排外主義を知るために、ぜひこの本を一読していただきたいです。

 それでは、わたしのオススメするポイントを書いていきたいと思います。

KKKの歴史をわかりやすく解説

 この本は、専門的にKKKを扱う日本で初めての本です。ですから、ある種の「入門書」として、KKKの歴史をわかりやすく書かれています。

 KKKは、テネシー州のプラスキという田舎町で、1866年に結成されました。設立メンバーは、6名の若者で、みな南北戦争に従軍した元南部連合軍の兵士でした。最初は、いたずらレベルの活動であったのですが、徐々に黒人に対する暴力、リンチを行うようになり、人々の注目を集め、最大で55万人が加入したと言われています。彼らの活動は、1871年にクランの活動を制限する「クラン対策法」により終息したのですが、20世紀初頭に復活し900万人の会員を集めたものの組織内部の腐敗が明るみになり衰退、また1960年代にまた活発化するなど、盛衰を繰り返しているのです。

 

いままで知らなかったKKKの姿

 この本で、最も興味をそそられたのは、今まで知らなかったKKKの姿です。例えば、上述したように最初は6名の若者が、集まっただけのサークルのような集団でした。その活動というのは、仮装して町の人々を驚かすというものあり、イタズラ集団のようなものであったそうです。

 この本では、クランに加入するための加入儀礼についても、取り上げています。クランの本部は「巣窟」と呼ばれ、加入希望者が訪れると案内役の「官吏」が質問をし、人物に問題なければ、目隠しをして「巣窟」の中に導き、そこで、「一つ目の巨人」とよばれる人物によってあらゆる質問を受けることになり、それによって、加入をゆるされると、王冠を与えると告げられるのですが、実際にはボロボロで、ロバの耳がつけられた帽子を被らされるという、いたずらを含んだものであったそうです。

 この他にも、儀礼や装飾についての記述、そして慈善活動団体としてのKKKの姿が描かれており非常に興味深いものとなっています。

 

世界の動向を知る

 トランプ大統領は、「アメリカを再び偉大にする」と宣言しています。彼らは、本来のアメリカを取り戻そうと、人々に呼びかけるのです。彼は、人々の「失ったもの」を取り戻すと主張し、聴衆の「喪失感」をくすぐります。このような言動は、右翼運動と重なるものであるといいます。右翼活動とは「比較的優位にあった集団が、その成員と権益者の、権利と特権の保持、復権、拡大を目指して行う社会活動」です。

 現代では、ヨーロッパにおいても移民の流入、増加により極右政党の支持が広がっているといいます。

 

www.huffingtonpost.jp

 

 こうした現代において、排外主義を唱えたKKKの歴史、そして思想の特質を知ることは、正確な判断をするための非常に重要な「資料」となるものであると思います。

 この本では、現代のトランプ現象をも含め、書かれています。

 この本とともに、 

反知性主義: アメリカが生んだ「熱病」の正体 (新潮選書)

反知性主義: アメリカが生んだ「熱病」の正体 (新潮選書)

 

 反知性主義を学ぶことで、より深く現代の人々の変わりゆく思想を学ぶことができるのではないかとおもいます。

 

 

小学生の作る秘密基地の観察報告。

 小学校の頃、よく友人たちと秘密基地をつくりました。家の近くの裏山、沼地の側の茂みに、自分たちの基地を作っていました。その規模は、大人になった自分としては、あまりにも小さく、作りもシンプルなものでしたが、ヒモで陣地をくくったり、枝を集めたりしただけで、ワクワクしましたね。

 今回は、たまたま、公園で出会った小学生たちの秘密基地作りへの奮闘を報告したいと思います。

 

 「秘密基地作成」観察報告

 職場の近くの公園で、小学校2、3年生の男子4名が造った完全オープン型・視認型「秘密基地」が、如何なる過程をもって構築されたのか、2月初旬からの私の観察結果をご報告いたします。

 

 
小学生たちとの出会い、そして観察へ


 彼らとの出会いは、2ヶ月前に遡ります。職場に向かって歩いていたわたしの耳に、「このヒモちょうだい」という、小学生同士のやりとりが聞こえたのです。わたしは、そのヒモをどうするのだろうと、しばらく見ていました。そして、彼らが基地を作ろうとして話し合っているのに気づいたのです。 彼らのチームは4人で、みなジャージを着た元気そうな男子でした。

   「秘密基地、これでつくろう!!」という、元気な声が聞こえてきました。

 おじさん(わたし)は、彼らの奮闘を見守ることを決心したのです。

 それは、失った童心を取り戻すこと、そしてなによりも、基地作っている小学生は、面白いと思ったからです。

 

 以後、通勤途中や、土日で会った小学生の奮闘ぶりを記していきたいと思います。 

 


システム開発「ヒモシステム⇒板システム⇒枝システム⇒W枝システム」

 

 まず、秘密基地を作成するために使用したものは、前述のヒモでした。それは、1メートルに満たないもので、かなり短く、それもボロボロのヒモが3本ほどしかありませんでしたが、ヒモとヒモを結い、木の幹と枝を結びつけることで、ある種の境界を作り出す役割を果たしていたようです。

 これが、彼らの秘密基地の境界を表し、他の木との区別を可能にするものであることは、容易に想像できました。


 その二週間後、彼らのなかに、革命的なものを手に入れます。それは板でした。

 彼らは、この板を木と木の間に置き、枝の上で座ることの安定性を向上させることを目指し板を設置したのです。板の大きさは、1平方米ほどで、なかなか大きなものでした。

 3月初週、板システムの限界を感じたのでしょうか、彼らは、木々の間を、2メートルほどの枝で橋渡しにするシステムを構築したのです。

 このシステムに移行するため、先ほど使用されたヒモがブリッジ固定用に使用され、板ははずされることになりました。

 彼らの、飽くなきクリエーター魂は、その後W枝システムを生み出します。前に固定された枝のすぐ横に、同じ長さの枝を探して来て、ヒモでくくりつけていました。

 これにより、実際に少年たちが、木々をスムーズに移動することが可能になりました。このシステムを開発した時に、たまたま居合せることができたのですが、小学生たちは、かなり興奮しており、なんども枝と枝との間を行き来していました。

 

 しかし、この「W枝システム」は、4月中旬にあった豪雨により、現在1本になってしまいました。この風雨によって、壊滅してしまった基地を小学生たちは、少しずつですが、現在も、修復に勤しんでいるようです。

 

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(実際の写真です。壊滅後です。全体像はうまく撮れませんでした。)

 

 最後に、このシステムの移行の中で、見えたものは、システムが高度になればなるほどに、秘密基地の下にゴミが増え、公園が少しずつ汚くなっていったことでした。技術革新が先鋭化することで、視野が狭くなっていくのか、倫理観が欠如していくのか、分かりませんが。

 

 今回の小学生の秘密基地の観察を通してわかったことは、小学生たちが自由な発想で作り上げるものは面白いということです。できれば、小学生の作った秘密基地写真集を出版してほしいなと思いました。

 母に、この小学生たちの奮闘を話したところ、母の思い出を聞きました。

 「竹林の間をきれいにして、ヒモで丸く陣地を作った、次の日に、お母さんはしゃもじを持って行ったのよ。」と。

 思わず、しゃもじを持って行ってしまうほど、ワクワクするのが秘密基地なのですね。

 

 そういえば、なんで「秘密基地」っていうんだろう、みなが分かるような場所に作っているのに、と思った今日この頃でした。