オニテンの読書会

文化・民俗や、オススメ本の紹介、思ったことも書きます。

文学部で学ぶということ。

 わたしのような人間が「文学部」というものを語る資格があるのかわかりませんが、消えゆく文系学部に属していた人間として、そして文学部という魔窟に10年もいた人間として、少し書きたいと思います。これから文学部に進学しようか迷っている高校生や、進路相談を受ける立場の方に読んでいただけたら嬉しいです。

【目次】

 

 

文学部で学ぶとは?

 端的に申しますと、文学部で学ぶとは、以下のような本を読まないということだと思っています。(貶めているわけではなく、褒めています。理由は下記に。)

ニーチェが京都にやってきて17歳の私に哲学のこと教えてくれた。

ニーチェが京都にやってきて17歳の私に哲学のこと教えてくれた。

 
史上最強の哲学入門 (河出文庫)

史上最強の哲学入門 (河出文庫)

 

  これらの本は決して質の悪い本ではありませんし、とてもわかりやすい本です。中身は、有名な哲学者のキャラ化や、各思想の簡単な説明になります。とても売れている本だそうです。この本によって、哲学というものの間口が広がり、学びたいと考える人が増えているかもしれません。

 しかし、わかりやす過ぎるのです。

 例えば、キャラ化は、カテゴライズやレッテル貼りに似ています。それは、ある対象を、自分がわかりやすいものに、落とし込む作業です。しかしながら、その作業は、情報を取捨選択し、あくまで自分たちに対象を引き寄せたものであり、自分がその対象に近づこうとする作業ではないということを理解しなくてはなりません。

 文学部で学ぶということは、「わかったつもり」で語ることから、「わからない」を楽しむレベルに向かうことであると思っています。

 哲学を学ぶのであれば、最低でもその哲学者の原著を読まなくてはなりません。その多くは、難解で、しかも外国語で書かれているものです。

 文学でも同様です。イギリス文学であれば、英語を、ロシア文学に所属し「ドストエフスキーを読む!!」と決意したのなら、ロシア語で読まなければ、教授から何を言われるかわかりません。

 日本文学であっても、深い読解力が必要になりますし、作品の背景を理解しなくてはなりません。

 文化人類学や民俗学では、主に自分の文化圏とは離れた地域について調査することになります。

 それは、自分から「わからない」へと向かう勇気を伴うものなのです。

 文学部での研究や勉強は、「他者」である著者や作品に、自分から近づいて行くことであると思います。それは、挫折や、苦しみを伴うものであると思いますが、わからないものが、すこーし、わかったときの喜びは、計り知れないのです。

 その少しばかりの「わかる」ことの嬉しさと、「わからない」への興味を持続させなければ、文学部で学ぶことは難しいのではないか、と思っています。

 

研究は自由だ。

 文学部の研究は基本的に自由です。理系の学生のカリキュラムに比べたら、驚くほどに自由です。理系の学生に聞くと、卒業論文や修士論文は、先生に言われた範囲を研究したとか、先輩の研究を受け継いで論文にした、という話を聞きますが、文学部の研究では、そんなことはありません。自分の興味・関心で、研究対象を選ぶことができます。

 例えばですが、わたしが、大学3年生だった頃、1年間、同性愛(主に、明治時代の男色)について、ひたすらに調べた経験があります。

 ひとえに、同性愛研究といっても、文学的、民俗学的、宗教学的、社会学的、神話学的などなど、文学部では、様々なアプローチで研究することが可能です。

 わたしが所属していた文学部では同性愛を、中世の僧侶と稚児の関係から研究していた歴史学者の先生や、マンガなどの表現から研究していた社会学の先生もいらっしゃいました。

 自分が興味があることを、研究対象としすることができる、しかも、かなり無理がきく!、それが文学部の研究なのかもしれません。

 

就職や、仕事に関係ない!

 文学部の魅力の一つに、「社会に役に立たない!」というものがあります。それは、時に、批判される理由になりますが、わたしは魅力として考えています。ここで、有名な数学者の岡潔さんの一節をみてみましょう。

私は数学なんかをして人類にどういう利益があるのだと問う人に対しては、スミレはただスミレのように咲けば良いのであって、そのことが春の野にどのような影響があろうとなかろうと、スミレのあずかり知らないことだと答えて来た。

私についていえば、ただ数学を学ぶ喜びを食べて生きているというだけである。そしてのその喜びは「発見の喜び」にほかならない。(『春宵十話 (角川ソフィア文庫)』)

 これは、文学部での研究にも、そのまま言えることだと思っています。しかし、社会人になっても、これと同じことがいえるでしょうか。社会人になった以上、会社や組織、そして社会の役に立つことが求められるのは必然であると思います。

 だからこそ、学生時代、最後のムラトリアムぐらいは、思い切って自分のためだけに、勉強してはいかがでしょうか?自分の興味関心に、猪突猛進で楽しめる最後の期間を是非、文学部で学んでいただきたいのです。

 しかも、就職にあまり「文学部出身」は関係がないようなのです。昨年の話ですが、わたしの所属していた研究室の学生10名中、6名が超大手金融機関に就職したのです。彼らは、まったくといっていいほど金融系の研究や勉強をしていません。それなのに、受かったのは、彼らの人間性を評価されたからなのではないでしょうか。

 彼らは、「得した」といっていました。大学時代、興味関心に素直になって研究し、なぜか、大手企業に就職したのですから。

 わたしの経験では、文学部出身という経歴が、就職に不利に働くことはないように感じています。

 大学院生でも、有名企業や公的機関に就職している院生も多く、彼らは入社後、企業の制度を利用し、海外の大学へ留学するなど、ワールドワイドに活躍しています。

 

 今回の記事では、文学部で学ぶことについて書いてみました。

 

 

 

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