オニテンの読書会

文化・民俗や、オススメ本の紹介、思ったことも書きます。

なぜ、あの知識人のツイートは下品に見えるのか。

 SNS上では、批評家や学者、そして作家といった方々が、コメントしていたり、舌戦を繰り広げたりと、活発に活動されています。しかし、時々、「節操ないな」とか、「品がない」と感じてしまう時があるのです。

今回の記事では、わたし自身が、なぜそのツイートを下品に感じるのか、自問していきたいと思います。ですので、特定の人が下品である、と決めつけているわけではなく、わたしの感情はなぜ引き起こされたのか、がテーマとなります。

 

 

 

①パブロフの犬状態ーすぐに反応しちゃう人たちー

 とにかく頻繁にツイート、しかも、ほとんどの結論が同じである人をみると、「もう、この人Twitter に飼われているのかな?」と思ってしまいます。正義感であれ、知識の披瀝であれ、結局はツイートした後の、スッキリ感という排泄にも似た快感と、人々からに共感を求めているのは、変わらないでしょうから、「欲望に素直な人」であると、思ってしまうのです。「あっ、これは問題だ!ジュるっ」という具合にヨダレが出ているように感じます。

立川談志さんが、「上品とは、欲望に対して動作がスローモーなやつのことを言う」とおっしゃていました。また、とある芸人さん(名前が思い出せないのですが)が、「Twitterをしまくっている人たちは、汁男優で、いつもブリーフの中に手を突っ込み、かける対象を探してる」と表現されていました。すぐに反応して、かける。 ツイートは、1日の自慰回数、もしくは排泄回数ぐらいが適正かもしれないですね。

 

②誰が、何を語るかに説得力があるか。ーなんでも、噛み付く人たちー

 また、そのツイートをしている人に説得力があるのか、という問題があります。太宰治『斜陽』では、主人公の母が礼儀作法には則っていないながらも、無作法には見えないという描写があります。これは、まさに品というものが、一定のルールに沿ったものではなく、その動作をする人物の説得力から発生、保有されるものであることを表しています。

 匿名でツイートされる方も多いですが、知識人の方々は、本名もしくは筆名でツイートされています。ですから、その人というものが、ある程度知っている状態にあると言えます。匿名では気にならなかったツイートでも、人物によっては「あなたが、それを言うのかい?」と考えさせられることになります。とりわけ、社会的に地位がある方の意見としてツイートが、ニュースなどで引用されてしまう昨今では、単なる独り言とツイートが捉えられない状況にあります。

 突飛な意見かもしれませんが、むしろ全員匿名でツイートした方が、嘘か真か信じられないので、Twitterも面白いかもしれません。芸能人も匿名で。

 とある哲学者の方が、「全ての人がプロになるわけではなく、一時的なカタルシスを得るために部活動をするなんて無意味だ!」と部活動反対を叫んでいたのですが、同業者として「それは哲学も同じじゃないか?哲学者なら一面的な価値観で他を否定することへの疑問を呈するべきでは?だから文学部不要論が出るんじゃないの?」と思ったことを思い出します。背景がわかるから、滑稽に見えることもあるのです。

 

 

③括りがデカイ。ー小さなことを思想や所属と結びつける人たちー

 些細なことを思想や所属と結びつけ、大きな問題にする、ということが多々見受けられます。そうしたツイートでは、「男が〜」、「文系は〜」とか、「高卒は〜」など、とにかく大きな括りを用いることで、誰にでもそばにいる心当たりがある人へと抽象化していきます。ここで、聡明な読者の方々からツッコミをいただくことになると思います。この記事のタイトルもそうした大きい括りを用いています。色々考え、「あの」をつけることにしたのですが、うまい言葉が見つかりませんでした。反省しています。

 閑話休題、大抵の場合、「男は、〇〇する」のではなく、「〇〇した男がいた」と言うのが、正しいでしょうが、それでは伝わりにくく、共感されず、拡散されないのでしょう。

 そして、些細な行為を思想や所属と結びつけることで大きなものと戦うという印象を出していきます。もちろん、差別などの問題は些細なことを解消することが重要です。わたしが想定しているのは、原発に反対したら左翼、基地に賛成なら右翼という、いささか早急なカテゴライズです。

これが行きすぎると、非常に危険なものとなります。

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山本直樹『レッド 最後の60日間』第3巻 48ページ。

 (このシーンでは、リンチ殺人が思想の戦いと解釈され、抽象化、巨大化されています)

 

 この手の議論は、政治的にも利用され、見えない敵を作り出すことになります。わたし自身、自問しながら考えていきたい問題でもあります。

 

 

今回の記事では、自分がなぜ、あの人品ないなぁ、と思うのかについて、書きました。自分自身もしていないか、問いながら行きていこうと思います。