オニテンの読書会

文化・民俗や、オススメ本の紹介、思ったことも書きます。

ハゲの哲学 -さよなら、髪の毛、そして、こんにちは、自分。

ハゲとは、自身に絶望を見ることである。

しかし、その躓きから、自分を見つけ出す行為でもある。

                            Suguru TAKAGI , Japan

 

 みなさんは、ハゲていますか?わたしは、20代後半のあたりから、髪の毛が颯爽としてきました。そうです。ハゲてきたのです。今回の記事では、髪の毛を失うことの悲しみ、そしてそれに対して、わたし自身が考えたこと、言われたことについて書いて見たいと思います。

【目次】

 

 

 さて、今回の記事では、以下の本を参考文献とします。

東京ポッド許可局 ?文系芸人が行間を、裏を、未来を読む?

東京ポッド許可局 ?文系芸人が行間を、裏を、未来を読む?

  • 作者: マキタスポーツ,プチ鹿島,サンキュータツオ,みち,みずしな孝之
  • 出版社/メーカー: 新書館
  • 発売日: 2010/09/24
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
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 東京ポッド許可局が2010年に出版した本にはCDが付いており、その中でハゲとは何かについて討論?されています。ぜひ、興味のある方は、ご一読ください。

 

さよなら、髪の毛 「抜け毛とは、薄い死」

 まず、ハゲとは何か?という問題を扱う前に、いかにハゲたかを、書いていきたいと思います。わたしは、20代前半まで、髪の毛を失うことなど、考えることもなく、のんきに生きてきました。自分がハゲることなど頭の片隅にもありませんでした。

 そんなわたしに、抜け毛の猛威が襲ってきたのは、20代後半になった頃でした。公務員をやめ、自分の夢のために一歩一歩突き進んでいる中で、起こった事件なのです。

 これは、おそらく過度のストレスが原因であると、わたし自身は考えています。あまりに急激に襲ってきたので、なすすべがなかったのです。

 正直、この時は、受け入れることができませんでした。それは、「なぜ、この世界で、自分が選ばれたのか!」、「なんで、自分がハゲなくてはならないのか?」という、とても些細な「ヨブ記」状態に陥ったのです。それは、怒りにも似た感情であり、受け入れることができないという、拒否の感情でもありました。

 キューブラー・ロスの名著『死ぬ瞬間』には、ターミナルケアにおいて、患者が怒ったり、拒否している様子が描かれています(最終的には、ご本人もそうなるのですが、、、)

死ぬ瞬間―死とその過程について (中公文庫)

死ぬ瞬間―死とその過程について (中公文庫)

  • 作者: エリザベスキューブラー・ロス,Elisabeth K¨ubler‐Ross,鈴木晶
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2001/01/01
  • メディア: 文庫
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 また、上述の東京ポッド許可局の本でも、マキタスポーツさんが、「なぜ、ハゲは笑われるのか」という問題について、「ハゲが死を感じさせるから」とおっしゃています。

 わたしとしては、ハゲるとは、「薄く死ぬ」こと、奪われるという感覚を日常において感じ続けることだと考えています。 

 死ぬとは大げさですが、理想とする自分はもとより、元々の自分像さえ、すでに「死」んでいますし、自分自身がおいていくというプロセスをいち早く感知することになります。

 

明るいハゲ or not

 ハゲはじめた頃、まだまだ、目立つほどではなかった頃、わたしも早く、この状況を対処しなくてはならないと、亜鉛のサプリメントを飲んだり、早寝早起きをしてみたり、したのですが、一向に改善しませんでした。

 そこで、CMで宣伝さているAGA(男性型脱毛症)のクリニックに足を運んだのでした。

 病院で、薬を処方され、3ヶ月ほど服用したのですが、気分が落ち込むのです。なんだか、元気がでない。性的欲求も減退していきました。試しに、薬をやめてみると、たちまち元気になります。

 人によるかもしれませんが、AGA(男性型脱毛症)の薬には、副作用があり、私の場合は、うつ症状と、性欲の減退が、明らかに現れたのでした。

 わたしは、その時、大きな仕事を抱えており、モチベーションを保つことは非常に重要で、むしろ前向きに仕事に向かわなければならない状態だったのです。

 そんな中、わたしは、考えました。

 明るいハゲか、暗いフサフサか

 「暗いフサフサに決まっているだろ!」という方も多いかと思いますが、わたしには喫緊の大切な仕事があり、もともと、非常に明るいタイプの人間です。

 そのため、もともとの自分の見た目をとるか?、もともとの自分の性格をとるか?という問題がわたしに迫っていたのです。

 わたしが、出した答えは、「明るいハゲ」です。薬をやめ、髪の毛との最期の日々を大切に過ごすことにしたのです。

 

気のおけない女性の意見

 わたしは、幸運にも、ハゲる前に結婚しておりました。そのため、妻にハゲについて相談することができました。彼女がいうには、「まったく気にしないよ」とのこと。しかし、この発言は、わたしのことを大分(世界で一番だと信じたい)好きな女性の意見です。一般化は不可能でしょう。

 そこで、気のおけない女性の友達たちに、意見を求めることにしたのです。彼女たちは、わたしよりも年下ですが、わたしに対して臆することなく、意見を言ってくるので、こうした込み入った話を相談するには、最適の相手であると思いました。

 異なる場所、異なる時間に聞いたのにも関わらず、彼女たちの意見は、言った言葉は同じものだったのです。それは、

 「タカギさん、そんなこと気にするんですか?」

 でした。

 彼女たちの意見では、まず、「そんなことを気にするタイプだと思えない」、そして「ハゲていることが、タカギさんに対する評価に関係ないだろう」ということでした。

 彼女たちの言葉で、わたしは我に帰りました。そもそも、わたしは人生において「ルックスで勝負したこと」など一回もないのです。どちらかというと、女性に対してもコミュニケーション能力で、仕事においても泥臭い方法で、勝負してきました。

 彼女たちの意見から、わたしは自分自身を思い出すことになったのです。それは、外見の一つを失い、新たにカテゴライズされてしまう過程において、過度に外見を気にすることで、自分を見失っている自分に気づいた瞬間でもありました。

 

 

ハゲてみてわかったこと 

 よく言われるのですが、「剃れば」との助言は、わたしにとって不要です。スキンヘッドよりは、そのまま自然にハゲを受け入れる方が、より自分を認めているように感じるからです。

 何よりも、自分には、自分の髪の毛は見えないのです。

 そして、あなたに関わりが深い人であれば、あるほど、あなたがハゲているなんてどうでもいいことなのです。

 ですから、もし、ハゲるんじゃないか、と心配している若い方がいたら、こう言いたいと思います。

 「維持する努力を惜しむな。ただ、結果を受け入れる準備もしておけ。きみの大切な人は、どちらのきみも受け入れてくれるはずさ。」と。

 

 

 記念すべき100記事目の記事ですが、あえてこの内容を書いてみたいと思ったのです。