プライドは低く、誇りは高く、生きたい
英単語の"pride"(プライド)を辞書で、調べてみますと「誇り、傲慢」という意味だそうです。しかし、日常で使う、「プライドが高い」と、「誇り高い」の語句には大きな意味の違いがありますね。
【目次】
たしかに、プライドが高い男、誇り高い男、では、その意味も、印象もかなり違います。日本においては、プライドと誇りでは、使い方にも差があるようですが、人間の精神には、この二つの心性が存在していることも、事実であるように思います。
プライドと誇りの違いを考える
やはり、「プライド」の意味の中には、うぬぼれや傲慢さが包含されているように思えますし、誇りには、自負と責任が含まれているようにも思えます。
わたしは、人には、「プライド」と「誇り」という二つの尺度があるように感じています。他者に対する比較による優越性が「プライド」、自分自身から湧き上がる感情や自信が「誇り」なのだと、考えています。
すごく素朴な表現になってしまうのですが、
プライドは、「劣っていると思われたくない、負けたくない」
誇りは、「なんとかする、なんとかなる、勝てる」
という感じでしょうか。わたしの中では、プライドは、「負けたくない」、「嫌だ」という後ろ向きな感情であるの似たして、誇りは、「勝てる」、「なんとかなる」という前向きな感情であると思います。
このどちらの感情もあるのが人間であると思いますが、プライドと誇りのバランスが良い状態が、人間関係も仕事も良好になるのではないかと思うのです。
プライドが高く、誇りが低くなってしまうと、他者を故意に傷つけたり、傷つけられることを怖がったり、とビクビクした生活になってしまいます。
プライドにも色々ある
プライドの正体は、過度に比較を好む、もしくは、過度に比較を拒む、精神であるとわたしは思っています。
わたしは、職業柄、高学歴な方(東大などの国内レベルではないです)とお会いする機会があるのですが、高学歴な方でも、その学歴に対する考え方が、人によって違います。
端的に表しますと
「○○大出身だから、わたしはすごい」という方と
「わたしがすごいから、○○大出身なのだ」という方に分かれているように感じます。
前者は、自分に対する自信の根拠が「所属機関や系統」であるのに対して、後者は自分に対する自信の根拠が「自分」にあります。これは、出身大学だけでなく、働いている会社であったり、家柄であったり、いろいろと当てはまるものだと思います。
どちらが、良いか、悪いかは、ないと思いますが、自分自身に自信を持つことは、非常に大切であると思います。
たとえば、就職活動に向かう学生の場合、高学歴な子であればあるほど、「失敗できない、今まで、うまくやってきたのに」と、すごく考えこんでしまいます。そうした時は、ここまで、やってこれた自分に自信を持つことを促しています。
誇り高く生きるとは
他者に自分自身の優越性を見せるプライドに比べ、誇りは、日常生活では、その姿を見せないことがほとんどであると思いますが、誇りがもっとも発露する場が、あると思います。それは、窮地であると思うのです。
仕事でのトラブルや、災害現場、さまざまな窮地に誇りは、現れます。その時に、節度を守り、自分ができることをする、という「当たり前」のことを、しっかりとできる人間が、誇り高い人間であると思います。
窮地以外にも、誇りが発露する場が、あると思いますが、その時もやはり、何かの障害にぶつかった時であると思います。
平時に見られるものが、プライド、有事にみられるのが、誇りなのかもしれません。
誇り高い人間とは、頼りになる人間でもあると思うのです。窮地や障害に直面した時に、そうした人間性が発揮できるように、日々精進、誇りの充電をしときたいな、と思う今日この頃です。
プライドと誇り、みなさんは、どう感じていますか?